第51話《VRナイト・パーリー》

***


『塔』が見える。


 優利はただ、『塔』を見つめた。『塔』は全貌は視えず、VGOと同じく、闇に包まれている状態で、ただ、進むと螺旋階段が少しずつ見えて来る。


 初めてVRMMOに触れたゲームが、「ゲーミングPC」についていたチラシの体験版だった。VGOはその体験版の「無料チケット」の中のひとつとして出て来た。30秒の退屈なCMを見てやると、チケットがもらえて、本来のゲームに勤しめる。今はそのゲームが何だったのかは憶えていない。憶えていたのは、ぼんやりとした塔の真下に視える、たった一つの入り口と、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインのロゴだ。なぜ、水槽の中にロゴが浮かんでいたのか……それは、水槽の脳を現していたのだろう。


「もう、きみのところへは行かない」


 感覚だけのVRにおいて、目を逸らすこと、耳をふさぐことは難しい。

「胡桃が心配するから」はっきりと口にすると、『塔』は消えた。消えるというよりも、薄れたと言ったほうがいい。



――これで、いいんだ……きっと。




『ヒロ……』


 暁月優利の言葉に、いち早くクルタがほっとしたように声を掛けて来る。暁月優利は顔を上げた。


「闇に染まる心には、もう行かない。胡桃や、向日葵、父や母のいる世界で、顔を上げて生きて行く。胡桃が来てくれたなら、どこでだって頑張れるから、俺。聞いてんだろ。クルタ。情けないとか言うなよ」


『いえ、ヒロはかっこいいんです。ヒロみたいのを、ヒーローというみたいですね』


「かなり、違う。でも、クルタにヒーローと言われると、ちょっと嬉しいな」


『嬉しいですか。ヒロ、ヒーロー、似ています』


「ヒーローってのは英雄のことで、俺はただの重篤患者だって。クルタだけの英雄にしてくれ。何ができるわけでもねーけど」


 そう、何が出来るわけでもない。むしろ、人の役に立たないことのほうが多いだろう。


 それでも、この青いオウムが英雄と言ってくれただけで、嬉しい。

 クルタは嬉しそうに腕から飛び上がった。



『キャッスルフロンティアKKの最高峰のPAIの僕に任せてください。VRの世界の勤務開始です。VR世界のシーサイト業務は、色々ありますが、少しずつ憶えましょう。上司のパワハラに関しては、腕輪に通報機能があります。メディカルシステムも完備しています。感覚がおかしくなったら、適度に休憩し、じっと感覚調整が終わるまでお待ちください。全ては現実とリンクしています。寝不足は大敵です』


「それ、初日にやれって」


 クルタは照れたように言い返した。


『初日は、ヒロがメスの名前をつけて、ボク、怒っていたんです。あと、ヒロは今のヒロではなくて、嫌なヒロでした。ボクもヒロの……』


 クルタは言葉を切り、力なく翼を動かした。ファサ、ファサ……と次元のない捻じれた空間に響いていた一匹と一人の会話は、突き抜けるような光の洪水に遮断される。




 太陽に吸い込まれるような疑似感覚を憶えた刹那、空気が穏やかになった。


「5G都市計画は、何者かに阻まれている……ってね」

「門奈さんっ……あれ? 今日は騎士じゃないんですか。フォーマルスーツ……」


 既に到着していた門奈は暁月優利に手を差し伸べて、男にしては長めの目を細めて見せた。


「ヒロ、悪かった。さっきのキスは胡桃には内緒で。あと、俺はゲイではなく、両刀だが、肉体接触は女のほうが好きだ。センシティブな愛だから」


 どうでもいいが、門奈計磨の知らなくていい秘密ばかりが降って来る。胡桃は……と思うと、見透かしたように、門奈はアパレル風味のアーケードを指した。


「まだ服、選んでる。VRだから普段着られない服を着るんだと。俺の給料から天引きしてやるよ」

「俺も欲しいです」

「新入社員の腕章くらいなら買えるぞ」


 ご自分も、ラメ入りの黒スーツを着た門奈は、「可愛い彼女だな」とまた口調を優しくした。


「なんでもしてやりたくなる。彼女は、俺の想い人に似ているよ」

 クルタが眉を潜め始め、「おもいびと」と呟きながら、しかめっ面を始めた。


「オウムが凄いゴルゴのような顔してます」


「アクセスしてるんだ。先日PAIのアップデートの時に、『自走アーカイブ・システム』と『成長AI端末』をロボ学の奴らが追加した。何でも学び、何でも調べる。運営の手先のPAIが進化したのは、クルタの変異に気づいたからだが」


 門奈は煙の出ない煙草を咥えると、目を閉じた。


「通常のPAIは全部同じシステム、同じアーカイブで統一されているのに、クルタには自我が産まれた。俺はエラーだと思ったが、少し違うようだ」


 会話の途中で、「おまたせしました~」とわさっとした生クリームが遠くから走って来て、クルタがびっくりして丸くなった。


 胡桃だった。三段の白いドレスはどうみても……。


「おま、それ……っ……」

「一番高いヤツをくださいって言ったら、こうなったの。ね、ヒロ、教会があるんだって。行ってみない?」


 VRMMOに転生したら、そこには現世の彼女が結婚式のために待ち構えていました。てへぺろ。


そんな売れなさそうなサブタイトルを思い出して、くらっとなった。隣で門奈計磨が「可愛い彼女だな」とクルタを叩き起こし、ボーナスの数字を出させている。


「いいけど……門奈さんが屍のようになってるよ、胡桃。教会、連れて行く?」


「ありがとうございました! わたし、ウエディングドレスが夢だったんです。でも、うちは代々神社の挙式で、絶対に着られないので、我儘をありがとうございました!」


 ぺこりと頭を下げたところで、暁月優利は我に返った。現実逃避をVRでするなど変だが、逃避である。


(俺は就職して、確かに、社会人不適合者のレッテルは消えた。でも、いきなり結婚? 胡桃を好きなんだってやっと言えた俺が、結婚?!)


「胡桃ちゃん、それ、ふわ★きゃっとシリーズのウエディング優待セットだよね」


 ふわ★きゃっとは、特に課金が多いゲームである。「ふわ★きゃっと」で嫌なヤツを思い出した。蠍座である。あの様子だと、相当なふわ★きゃっとユーザーで、ああいうユーザーは怒らせると陰湿だ。


「門奈さん、今日、あいついませんよね! 蠍座っすよ! 嫌ですよ。こんなホロ着た彼女見られるの! ええと、門奈さんに説明しますが、男の二次元彼女への妄想はすさまじいものがあってですね」


「ゲーヲタがうるせえな! おまえは仕事だろ!」


「ゲーヲタを舐めんなって言いたいんです! いいですか? 男は「**ちゃんは俺の嫁」とか言い出す始末です。昨今はNTRだの、オフ**だのが流行っているでしょ! 俺の彼女が攫われたらどーすんですか!」


「それほど可愛いって一言も言えないなら、俺がNTRから安心しろ」


 ――最もな言葉に加え、最大の皮肉に暁月優利ははっと息を呑んだ。


 だいたい、胡桃も胡桃だ。そういうものは、二人の式の時に……脳裏にぷおー……と神社の尺八響く中、白無垢をずるずる引きずり、神棚前で三々九度する胡桃を思い浮かべた。

 VRは夢を魅せる場所なら、胡桃の夢を非難する権利は、ないだろう。


「これ、可愛くないのかな」ぼそりと呟いたふわふわに包まれた胡桃に「そんなことはないけど」と告げてやる。胡桃はくふっと微笑んで、ただ、VRを物珍しそうに見詰めていた。


 時折、光を纏った人々が、夜に輝きながら通り過ぎる。さすがに夜も少ないと思いきや、今日はなぜか人が多い。



「――やけに、にぎやかですね」

「今日は、夜のVRのナイトデー……暁月、あれを見ろ!」


 胡桃がはっとヒルズ側の屋根を見つめ、視線を下ろしていった。ヒルズの辺りは、電灯が大層ににぎやかで、そのライトアップは、いつものドームまで続いている様子。


 クルタが目を丸くし、胡桃も目を凝らし、優利はようやく気が付いた。

 窓が開いており、カーテンを結び付けた紐が伸びている。門奈は片手で顔を覆った。


「……アーサーが逃亡した。あの天衣無縫の創作者がっ!」


「そういえば、ライブに行かせろって……あ、チケット! 確かに持ってました!」

 目の前で、三段フレアがふぁさっと落ちた。重ねスキンだったらしい。ウエディングランジェリー風味で足をどすんと置いた胡桃が告げたは言うまでもない。



「よくわかりませんが、手伝います!」

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