ヒロシマ〆アウト〆サバイバル〜凡人の生存者はポストアポカリプスなヒロシマで洋ゲー的な成長システムを手に入れて生き残るようです〜
しば犬部隊
ポストアポカリプスライフ
第1話 ヒロシマサバイバル
「お、マジか。カニ缶か。カニ缶じゃ。これ」
パッケージに移る、脚の長いカニの絵を何度も確認する。
大漁と書かれたそれを善人は持っていた買い物袋に放り込む。
口の中に滋味深い海鮮の味が浮かぶ。こんな生活だ。食べることは最大の娯楽でもある。
「お。鯖缶もある。頭が良くなるな」
頭の悪い独り言を呟きながらゴトリと、陳列棚から置いてある分だけの缶詰を善人が買い物袋に放り込む。
レジを通さず、帆布で出来たトートバックに缶詰が溜まっていく。
それを咎める店員はいない。もう、どこにもいない。
将棋倒しになった商品棚。ブツっブツっとついたり消えたりする蛍光灯。物が散乱したフロア。
ところどころの壁や床には、赤黒いしみ、青黒いしみが混じる。絵の具に初めて触れたこどもがいたずらをしたと言われたら納得がいくような光景。
その異様な光景の中、スーツ姿の男が倒れていない商品棚、缶詰が積まれたそれを漁り続ける。
初夏、上空から照りつける太陽は建物の中も平等に温度を与える。
夏物のスーツパンツに白いシャツ。腕まくりをした袖口はぐしゃぐしゃになっていた。
足元にはマスクが打ち捨てられている。店内に入った瞬間に鼻に混じった生ゴミのような臭いはいつしか気にならなくなっていた。
ネクタイをつけていない胸元は二つほどボタンが開いていて、とてもこれから客先に向かうような格好ではない。
「あっつ。ほんっと
雑な方言で海原はぼやく。彼の声が死んだ店内に響いた。
電気が止まり、空調の死んだ店内は暑い。
彼は垂れ落ちる汗をシャツの袖口で拭う。汚れた皮脂がシャツに黒いしみをつけた。
「次のシャワー……いつだったけ」
ぼんやりと彼が缶詰を漁りながらぼやく。最後にプールの備え付けシャワーを浴びたのが三日前。身体の不快感は限界に近い。
彼は頭の中で、自分より一回り以上年下の学生にどう交渉するかを考え初めていた。
袋の中に入れたカニ缶を取り出し眺める。
「賄賂…… 名付けてハイスクールクラブショック作戦だな」
疲れが溜まっている彼がまた、頭の悪い独り言をつぶやいた。
「なんですか、ハイスクールクラブショックって?」
「ああ、それはの。人生経験の少ないクソガキ共に、カニ缶と辛めの炭酸飲料が織りなす快感を植え付けて、それと引き換えに便宜を図ってもらうっていうーー」
唐突に背後から投げかけられた言葉に海原が振り返らずに反応した。
「何言わすんだ。雪代」
「さすが海原さん。保身の為なら高校生相手にでもかしづく。そこに痺れる、憧れない」
「うるせー、文句があんならお前の頭の固いS気味の妹ちゃんに言ってくれよ。大人を雑に扱い過ぎってよ」
海原の背後にいつのまにか一人の女性が佇んでいた。
女性物のパープルメインのスポーツウエアに身を包んだ女性が海原の背後に立っていた。
動きやすい同色のショートパンツに黒いレギンスを組み合わせ、足元を白いスポーツシューズで固めた彼女は、様子だけを見ればこれからランニングにでも出かけるかのような出で立ちをしていた。
海原が後ろを振り向き、立っている彼女を見上げる。
「なんか、雪代の格好、毒虫みたいな色してんな」
「んなっ!? 海原さん、だからモテないんですよ! 女の子の格好に虫はないでしょ!」
若干オーバーリアクション気味に、雪代と呼ばれた女が海原に対して抗議の声を上げた。
「せめて、毒のある花とかって言ってください! ほら、綺麗な花には毒があるって言うでしょ?」
ふふんと、雪代がその豊かな胸を張る。エナメル材質のスポーツウエアは生地が薄い。ぐっと持ち上げられた胸から海原は、すぐに目を逸らした。
事実、雪代は海原から見て、いや大抵の人間から見て美人だ。とびきりと言っても過言ではない。
黒目がち、切れ長の瞳は一見、見る人に冷たい印象を与えるものの、コロコロと変わる表情のおかげで、相殺される。
黒曜石を梳いて線にしたような黒髪は、海原よりもシャワーの回数が多いとは言え十分な手入れはされていない。にもかかわらず、不潔感はまるでなく椿油を差されたかのように艶めいていた。
身長はあまり高くはない。160センチあるか、ないか。それでも手脚は長く、しなやかな肢体は胸元が膨らみ、腰がキュッと冗談のように絞られている。臀部はそう造られたかのように、大きすぎない丸みを帯びていた。
「毒じゃなくて、棘だ。トゲ」
「え、まじ?」
背後で得意げに胸を張る美人が驚いたような声を上げる。海原はため息をつきそうになりながらそれをこらえた。
残念な美人。それが海原の
同じアパートのお隣同士、近くてそれでいて決して交わることのない二人。
二人の付き合いはあの日から始まった。
あの日。世界が終わった夜から。
「つーか雪代ちゃんや。そっちの収穫はどうだったんだ?」
海原は、陳列棚から溢れた缶詰のラベルを確認しながら雪代に話しかけた。
お、これも食える。すぐさま帆布のトートバックに放り込む。
「むふふ。海原さん。わたしだってやるときはやります、ばっちり見つけて来ましたよ!」
雪代が得意げに笑う。すぐに海原の横に並び、手にもったビニール袋を差し出した。
「海原さんが言った通り! レジの近くの棚にありました! トマト、スイカ、かぼちゃ、キャベツ、そのほかにも、たあくさん! 野菜の種の袋、あるだけ確保完了しました!」
右手で、下手くそな敬礼をしながら雪代が笑う。つられて海原も眉間から力を抜いて、短く笑った。
無理をしてくれている。雪代の元気な姿は、海原には空元気のようにしか見えなかった。
「雪代、大丈夫か」
「え? 何がです?」
「全部だ。元気じゃなくてもいいからな。少なくともここでは」
俺の前では、と言おうとして気持ち悪かったから言わなかった。
海原は雪代の方を見ずに、淡々と缶詰のチェックを続ける。中身と製造年月を眺め、合格ならトートバックへ。ダメなら遠くへ滑らせて避ける。
そんな海原の様子を隣でしゃがんで眺める雪代が小さく、微笑んだ。
「海原さんが頑張ってるから、わたしも頑張りますよ、元気に、頑張るんです」
「そうか」
「そうです」
それきり、荒れ果てたスーパーの店内に静寂が訪れた。缶詰が地面を滑る音だけが時たま、二人の耳に入る。
雪代が海原の手つきを眺める。自分とは違う長く、ゴツゴツした指が缶詰を拾い、投げ捨てるのを見続ける。不思議と飽きる気はしなかった。
帆布のトートバックが満杯近くなる。
沈黙を破ったのは、海原だった。
「これだけ持って帰れば文句はないだろ。そろそろ帰ろう」
「了解です! あ、野菜の種はどうするんですか?」
がさりと雪代が、ビニール袋を海原に見せつけるように押し付けた。犬が投げたボールを主人に得意げに咥えてきたかのような……感じただけで、海原は言葉には出さなかった。
「
「了解です! いやー、なんかみんなに内緒で悪い事してるみたいでドキドキします」
「雪代の妹ちゃん達、
「ふふふ。たしかに、ツグちゃんにバレたら追い出されてもおかしくありませんね。でも大丈夫です。2025年のわたしの目標は、清濁併せ飲み込む度量の大きな女ですから」
雪代が誇らしげに自らの胸を叩く。柔らかな胸にその拳が沈み込む。
へんなことを考えない内に海原は立ち上がった。たったら、たてなくなるからだ。
「行こう。雪代」
「了解です、海原さん」
雪代が立ち上がった。
その時。
カラカラカラカラ!!
店内にけたたましい音が、響く。
反射的に二人は足を止めた。
海原の首筋の後ろにぶわりと鳥肌が立つ。
瞬時に海原は雪代の様子を確認。おどおどしている雪代の腕をなるべく優しく掴みながら
「しゃがめ」
声を潜めながら腕を引く。
こくこくと何度も雪代の首が下に振られる。よし、落ち着いている。悪くない。
海原に引き落とされるように雪代が腰を落とす。
カラカラ、プツ。
カラン、コロン。
空き缶が転がったような音を最後にけたたましく軽い音は止んだ。
「雪代、鳴子を仕掛けたのは出入り口と非常口の二つだったな?」
海原が声を潜めながら雪代に問いかける。
「うん、うん、そう、そうです、海原さん。言われた通りの場所にしかつけていません」
雪代の顔色が悪い。もともと色白のその肌が透けてしまいそうなほど血液が通っていない。
その手は震えている。冷静ではない、このままだとまずい。
雪代の状態をそう判断した海原は唐突に
「雪代、3足す5掛ける2はいくつだ?」
声を潜めつつ、雪代に短く問うた。
「え?」
「3足す5掛ける2だ。七秒以内に答えろ」
「え、七? えっと、えと、じゅうろ…… 違う! 13。13です!」
雪代が指を折りながら答えた。海原は雪代を見つめる。
手先は震えていない。頰には少し、赤みがさしている。
「よし、正解だ。そのままゆっくりと呼吸しろ」
雪代は言われたまま、胸に手を当ててゆっくりと呼吸を開始した。海原は雪代の手から野菜の種が入ったナイロン袋を渡すように促した。
「落ち着いたな? 大丈夫、何も問題はない。俺たちはこのまま音から遠い方の出入り口を使ってこのスーパーを出る。スーパーを出た後はこの野菜の種をいつもの場所に隠す。そのあとは校舎に戻って、ゆっくり休む」
海原は、雪代を見つめながら噛みしめるようにゆっくりと話す。雪代は小さく、しかしたしかに何度もうなづいた。
「それだけだ。いつも通りにやろう」
「はい。わかりました。海原さん!」
こえを潜めながら、雪代が腕を胸の前に掲げて応えた。
「音は正面出口の方から鳴ったと思うが、雪代はどう思う?」
「わたしも同じです。多分一番大きい正面入り口だと思います」
海原達が物資を漁っていたここ、食品スーパー[エブリバデイ]には出入り口が二つのみしか存在しない。
本来であれば電動で動く自動ドアが備え付けられた正面入り口と、正面出口から遠く、反対側、店舗の右奥に備えられた非常口。
海原達はちょうどその中間の地点、食品売り場の缶詰コーナーに居た。
「決まりだな。ゆっくりと非常口まで歩くぞ。扉は開けたままだな?」
「はい、開けたままカンカンを仕掛けてます」
海原は雪代のカンカンという表現に少し吹き出しそうになる。ダメだ、今は笑ったらいけない。
そういうのは、ここを切り抜けてからのお楽しみだ。
「オーケー、さすが雪代。頼み事をしたら右に出るやつはいないな」
「おお、なんででしょうか、海原さん。褒められているはずなのに、わたし、少し馬鹿にされた気がします!」
「気のせいだ」
「そうですか」
二人は見つめ合い、ニヤリと笑い合った。雪代の指の震えはいつのまにか止まっていた。
「俺が先行する、それと、雪代」
「なんですか?」
雪代が小さく首をかしげる。長い黒髪がふわりと揺れる。
「アレは
低い声で、海原が告げる。反論は許さないとばかりに言い切る。
「お断りします」
が、雪代は今度は首を横に振った。
「わたしの性格、もう分かってますよね?」
雪代が、蘭とした目つきで海原を見つめた。熱量がこもっているかのような目つきに海原は小さく溜息をつく。
「……わかった。でも出し惜しめ。アレお前に相当の負担がかかる」
「了解です!」
雪代の下手くそな敬礼に苦笑しつつ、海原は小さく息を吸う、呼吸とともに緊張感が胸に籠る。
篭ったそれを、ゆっくり吐き出す。
準備は出来た。始めよう。
海原はまずしゃがんだ状態でポケットに手を入れた。そこから小さな折りたたみ式の手鏡を取り出す。
ゆっくりとしゃがみながら通路の出口へ近づく。
商品棚に前と後ろを挟まれた狭い通路から広い通路へ手鏡を差し出し、左右を確認した。
左へ手鏡を向ける。確認。いない。
右へ手鏡を向ける。確認。いた。
海原は舌打ちを打つのをギリギリで我慢する。
右に向けた手鏡には通路側を歩く、鳴子を鳴らしたソレがたしかにいた。
初めて見るヤツだ。あれは……トカゲか?
海原を手鏡をしまい、後ろを振り返る。
「こっちはダメだ。反対側から逃げるぞ」
「はい!」
海原が通路を逆に、雪代を伴いしゃがんだまま移動を始める。
シュロロロロロロ。
奇妙な音が二人の耳に入る。鳴き声? 少なくともスーパーの店内で聞こえるような音ではなかった。
海原は首筋の辺りに鳥肌が立つのを自覚する。
(さて、死ぬか、生きるか。競争だな)
無意識。海原の頰がわずかにつりあがっていた。
雪代はそれに気付き、すぐに目を逸らした。
終わった世界でのいつもの日常が始まる。
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