実り梅

朝日奈

一.

どこぞの地方の伝承に、呪いの梅の唄あった

どこぞの梅の木の花か、遠い遠い昔の木


梅にはわらべ

が巣くっておった

小さな童が巣くっておった


だけども、その梅探しても

ひとっ子ひとり見つかりゃせん


しまいにゃ皆忘れちまった

梅の子残して忘れちまった――




実り梅




 時は江戸。桜咲きかう春の頃。

 とある小さな侍屋敷に、一組の夫婦が暮らしていた。

 どちらも未だうら若く、働き者で、大層仲の良い夫婦と評判だった。

 夫の名は勘九郎、妻の名は梅。

 二人は各々の仕事こなしながら、ある日の朝を静かに過ごしていた。

 そう、静かに、穏やかに……


 突然、外からあわただしい音が聞こえてきた。

 誰かが外にいる町人達に話しかけながら、こちらのほうへ小走りにやってくる。

 しかし、二人とも大して驚いたりはせず、仕事を続けながら外からやってくる音に耳を傾けた。

「五月蝿いのがやってきたな」

 口では文句を言っていたが、それとは裏腹に表情は楽しそうだった。

 勘九郎は読み物を閉じて開け放たれた障子の向こうにある庭を見やった。塀があるため姿は見えないが、音はその向こうから聞こえてくる。

 夫につられて、梅もクスクスと笑った。

「ええ。今日は一体どうしたんでしょうね」

 勘九郎が当て推量を言う前に、庭からひょっこりと音の正体が現れた。

「よう、お二人さん。元気でやってるかい?」

「弥七。来たときは門から入れといつも言っているだろう」

 勘九郎は顔をしかめ、わざとらしくため息をついた。

「まあまあ、旦那。こんないい日に、眉間に皺なんて寄せてちゃあ、お天道様に申し訳ねえ。ほら笑って笑って」

 弥七はそう言ってにっと笑った。

 その呆けたような顔に勘九郎はつい苦笑してしまった。

「それで、弥七さん。今日はいったいどうなさったんですか」

 二人の間に割って入るように、梅が聞いた。

「おお、そうだ。今日はお二人さんに花見の誘いに来たんだ」

「お花見ですか?」

「もう桜が咲いているのか? 前に私が見たときはまだ蕾しかなかったが……」

 梅と勘九郎が交互に聞いた。

「もちろん。あっちこっちで咲いてらあ。二人とも家にこもりすぎだぜ。もっと外に出ねえといけねえ。ってわけで、旦那。これからどうだい。いい場所があるんだ。あれ見てるだけで酒の肴にゃあもってこいだ」

 弥七はそう言って、手でお猪口をすする真似をした。

「お前の目的は始めからそれだろう」

「あと、お梅さんのうまい弁当もな」

「まあ。うまいこと言ったって何も出ませんよ」梅はピシャリと言い放った。

「ええ! そんな殺生な……」

 本気で嘆いている弥七を見て、二人はおもわず吹き出した。

「どうしますか?」

 梅は笑みを絶やさずに夫に聞いた。

「そうだな。天気もいいし、せっかくだから行ってみるか。梅、弁当を頼む」

 梅は予想していたように、小さく頷くと台所に消えた。


   * * *


 梅の支度が済むと、早速三人で出かけた。

 弥七の道案内でたどり着いたのは、ちょっとした空き地のようなところだった。三人のほかは不思議なくらい誰もいない。

 だが確かに、弥七の言う通り、その空き地を囲むように立ち並ぶ桜はどれも見事なものだった。


「桜散る 花のところは 春ながら 雪ぞ降りつつ 消えがてにする」


 不意に勘九郎がそう口ずさんだ。

「承均

そうく

法師という方が詠った歌だよ。こんなにも暖かいのに、まるで雪景色を眺めているようじゃないか」

 勘九郎の言うように、立ち並ぶ桜はどれも満開で、風に揺れ散る桜吹雪や茶色い土の上に積もる花びらはまるで雪のようだった。

「ええ。本当に綺麗」

 梅も目を細めながら、うっとりと眼前に広がる景色に心を奪われていた。

「お二人さん、こっちこっち。この場所が一番綺麗に見えるんだ」

 いつの間にか離れたところまで移動していた弥七は、手招きして二人を呼んだ。

「ささ。座って座って。さっそく宴といこうじゃあないの」

 そういうや否や、弥七はさっさと弁当の包みを開け始めた。

「お前は食べることしか頭にないのか?」

 勘九郎が呆れ顔で言った。

「いやいや、もちろん花のことだって頭に入ってますよ。なんたって花見に来てんだから。花見の醍醐味といやあ、桜。酒や肴はそれを際立たせるためのいわば脇役。とはいえ、主役をよく見せるためにゃあ、この脇役はかかせねえ。ってことで、俺は早く、極上の桜を堪能したいだけでさあ」

「上手いこと言って。本当に弥七さんはよく回るお口をお持ちですね」

 梅はからかい半分に、弥七の口上を褒めた。

「いやいや、お梅さん。俺の口は回るだけじゃなく、物をしまっておくのにも都合がいいんですぜ。ただし、食い物しか入らねえけど」

 そう言って、弥七はうまそうに握り飯をほおばった。

 二人はそんな友人を半ば呆れ顔で、しかし楽しそうに見つめた。

「全く、お前という奴は……私たちも食べようか」

 梅は、はいと返事をすると早速夫たちが飲む用の酒を用意し始めた。

「あら。いけない、盃を一つ置いてきてしまったみたい。ちょっと、取りに行ってきますので、お二人はお待ちになっていてください」

 梅は立ち上がって家に戻ろうとした。

「いや、私が行って来よう。盃は一つはあるのだから、お前はこいつの酌でもしてやっていてくれ」

 勘九郎はそう言って立ち上がると、梅が何か言う前に彼女を座らせた。

「弥七、私が戻る前に酒を飲み干してしまうなよ」

「当たり前じゃあないですか。旦那がいなきゃあ、酒を飲んでも盛り上がらねえですからね」

 猪口を片手にそう言う弥七は、すでにできあがっているように見えた。

 勘九郎は少し心配になりながらも、梅に後を任せて、家へと向かった。

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