二、思い出になる前に

 数日後、ユリカは携帯電話でユメハラの名前を検索していた。

 どこをどう歩いてユメハラの元にたどり着き、アパートに帰ってきたかは覚えていない。地下へと続く階段があるとしたら、裏通りのような物騒な場所。

 わざわざ住んでいるようには見えなかったし、出会った時間を考えると、ユメハラはあの場所でなにか商売をしているかもしれない。携帯電話で調べれば、相手に繋がる情報が掴めるのではと考えたのだ。

 それが合法か非合法かは分からない。しかし、自分も近い仕事をしていたのだから、相手が非合法の仕事をしていようと構わない。『ユメハラ・ルイコ』に会いたいという思いだけが、鬱屈としていたユリカを動かす原動力だった。

 だが、表示された検索結果は、ユリカの予想を越えていた。

『トポグラフ・マッパー夢原涙子』

 ユメハラ・ルイコとはこういう漢字を書くのか。しかし名前の前に付いた名称の意味がわからない。英語は中学高校共に苦手科目だった。

 ラッパーだったら聞いたことはあるけど、と思いながらタイトルを押すと、匿名で書き込みができる掲示板へと飛んだ。

『人の涙から地図を作る地図職人』

『地図のおかげで、なくしたと思ったものが見つかった』

 涙から地図? それを使ってなくしたものが見つかった? いったいどういうことだろう。

 他にも夢原に対する感謝の言葉を綴った書き込みや、本人の住所らしき書き込みもあったが、『合法ロリ涙子たん萌え』だの『不思議の国のアリスコス希望』だのといった気持ち悪い書き込みが圧倒的に多く、うんざりして読むのを諦めようとした時だった。

 ユリカの目に、ある書き込みが飛び込んできた。今年の夏頃の書き込みだ。

『夢原さんのおかげで、大切な人との思い出を思い出すことができました』

 なんでも、大切なことを忘れていることはわかっているのに、それがなんなのかわからず苦しんでいた時に夢原涙子のことを知り、彼女に依頼して作った地図のおかげで、亡くなった大切な人との思い出を思い出すと同時に、父親とのわだかまりが解けたという。

 それが本当なら、まさに魔法の地図だ。もしかしたら、自分の目標や夢も見つかるかもしれない。

 ユリカの胸が期待に膨らむ。しかし、書き込みの続きによって期待がすぐ泡となった。

『夢原さんの作る地図(トポグラフィー・マップ)は、その人の記憶を元に作ります。僕の場合は忘れていた記憶を呼び起こすきっかけとして使いました。マッパーはマップを作ることはできても、マップを読むことはできない・読むことができるのは、涙を流した依頼人だけだそうです』

 人の涙で作る地図とは、裏を返せば、人の思い出や記憶を凝縮した涙でなければ作れない。目を引いたのはその書き込みぐらいで、ユリカは今度こそ読むのを諦めて画面を閉じた。

 人の涙で作る地図とは、裏を返せば、人の思い出や記憶を凝縮した涙でなければ作れない。目を引いたのはその書き込みぐらいで、ユリカは今度こそ読むのを諦めて画面を閉じた。

 自分がほしいのは過去ではなく未来。思い出ではなく、目標や夢なのに。自分がこうしている間にも、あの二人はどんどん先に進んでいるのに。

 正確には二人ではなく、三人。名前も聞けずに会えなくなってしまったが、今も夢を追いかけているのだろうか。

 ユリカは携帯電話の画面を開き直すと、例の書き込みを読み返した。書き込みをした人の地図には、もう会えない大切な人との思い出が染みこんでいるのだろう。

 でも、とユリカは思った。自分はカナコにも友達にも、夢原にも会いに行ける。その人が生きている限り、会いたいと思ったら会いに行けるのだ。

 本人の住所らしき書き込みのところまで遡ると、一旦画面を閉じてバッグに放り込む。脱ぎっぱなしの服とゴミの袋で散らかった部屋から財布を見つけ、同じようにバッグに放り込んだ。

 夢原に会いたい。いや会わなければ。彼女が自分の望むものを作れなくても、あの人に会える可能性が少しでもあるなら、自分は夢原に会わなければいけない気がした。

 思い出になる前に、あの人に会いたい。

 ユリカはクローゼットから外出できそうな服を出したり引っ込めたり、化粧品をとっかえひっかえしながら、慌ただしく身支度をした。


 夢原に出会ったのが秋口の夜なら、あの人に出会ったのもまた秋口の夜。高校三年生の時だった。

 あの頃は男友達数人で学校をサボり、ゲームセンターやカラオケ屋に入り浸る毎日だった。田舎としては途中半端なだけあり、娯楽施設は充実しているとは言えなかった。それでも深夜の公園で友達と馬鹿みたいに騒いだり、先生や親の愚痴を言い合ったりするだけで胸がスカッとした。警察に補導され、両親にこっぴどく叱られても、友達と過ごす時間の方が大切だった。

 自分たちを阻む物は蹴散らしてしまえ。高校を卒業したら晴れて自由の身なのだから。

 その日も学校をサボってカラオケ屋に入り浸り、日付が変わるまで公園で騒いだ後に解散。ユリカは友達と別れてアーケード商店街を歩いていた。不況の煽りを受け、ほとんどのお店は閉めたシャッターの上に『テナント募集中』や『貸物件』の張り紙が貼ってあった。

 両親のいる家には帰りたくなかった。とはいえ、未成年がゲームセンターやカラオケ屋で入り浸るには時間が限られている。朝まで公園にいられるのは夏ぐらいまで。いくら反抗的でも、寒い思いをしてまで突っぱねたくはなかった

 そんな時。あの人は張り紙を貼ったお店の前で、ギターを鳴らして歌っていた。歌っていた曲が自作のくさい歌詞を並べたものではなく、CMでよく聴く曲だった。

 肩にかかる位の黒髪が、ギターを鳴らす度に揺れる。歌いながら、時々鼻をすする仕草が可愛いと思った。

 顔の造形は芸能人の誰かを崩した感じがして、けして美人とは言えなかったが、誰もいない場所で堂々と歌い上げる姿が立派だと思った。途中半端な自分にはない、信念を持っている気がした。


「で、なんとなく話しかけづらくて、しばらく眺めてたんだけど。あ、悪い意味の話しかけづらさじゃなくて、なんか圧倒されるなーって感じのヤツね」

 そこまで説明すると、ユリカは夢原が用意してくれたお茶で喉を潤した。話に耳を傾けていた夢原も、「なるほど」と相槌を打ってからお茶に口を付けた。

 掲示板に書かれた住所を頼りに、ユリカは無事に夢原と再会することができた。でもまさか、地下にこんな事務的な空間が広がっているとは思いもしなかった。

 夢原と挟んで座っている応接用のテーブル。分厚いファイルを収めた棚。ユリカは夢原の机やパソコンから、高校の職員室を思い出した。座っていたのは担任と教頭、そして騒ぎを起こした娘のせいで呼び出された母親だったが。

 小さい流し台と小さな冷蔵庫は、騒ぎの中で怪我をし、職員室の前に連れて行かれた保健室を思い出した。

 唯一違うところといえば、顕微鏡で見た雪の結晶のような、どこかの地表を撮った白黒写真が貼ってある壁。

 これが人の涙で作った地図こと、『トポグラフィー・マップ』なのだと、夢原が教えてくれた。

「お話したのは、その冬の一度きりですか?」

「ううん。卒業式の前日まで喋ってたよ。それが最後だったかなぁ……」

 あっけらかんと答えたつもりだったが、寂しさが表情に出てしまったのかもしれない。夢原がユリカの寂しさを包むような、どこか母性を感じさせる微笑みを浮かべていた。

 頭頂部で一つにまとめたお団子頭に、胸元に黒猫のワッペンが付いたピンクのツナギの夢原は、外見こそ小学生ではあるが、中身は確かに大人だった。

 再会した時こそ驚いたものの、仕草や言葉のトーンが大人の女性であるとユリカは察した。多少の茶目っ気も、大人の女性の余裕から来ていることが窺える。

 しかし、身構えることなく話を聞いてもらえるという安心を感じる反面、物足りなさも感じていた。

(うーん。話の受け答えも雰囲気もバッチリだし、なんでもそつなくこなしてるし、女友達としては楽しいんだけど……じゃあこの物足りなさは男性から見たらってことかな?)

 ユリカは膝の上で頬杖を付き、じっと夢原を見つめた、夢原もユリカの視線に気付いて、不思議そうな顔で首を傾けた。

「ハヤマさん?」

「夢原さんってさ、隙がないよね」

 半ば決めつけるような言い方に、合点のいかない夢原は「はぁ」と曖昧な返事が返ってきた。

「あ、これはあたしから見た印象なんだけど、なんていうか、未だに男性って隙のある女性に弱いから、夢原さんも隙を見せたら、男性にモテるんじゃないかと思ってさ。こんなに可愛いんだから、モテないわけはないんだろうけど」

 最後は付け足しのように言うと、夢原は言葉を詰まらせ、初めて狼狽する姿を見せた。手に持っているタブレットを持ち直したり、視線を斜め下に下げたり。

「あ、ごめんごめん。もしかして気にしてたとか?」

 元キャバ嬢時代に築いたスキルが不発に終わったというより、思ったことは口にしないと気が済まない自分の性格が仇になったか。

 だが、夢原は首を振った後、えへへ、という照れ笑いのような、見ているユリカでさえ気恥ずかしさに悶えそうになる笑みを浮かべ、小さい体をさらに小さくさせた。

「いえ、謝るのは私の方です。そんなこと、言われたことも、考えたこともなかったので……その、恥ずかしいですね?」

(か、可愛い……)

 大人の女性が見せる、子どもっぽい反応。特に夢原は見た目が見た目だ。相手によってはたまらない反応だろう。今まで接してきた中で一番可愛い夢原に満足したユリカは、歯を見せて軽快に笑った。

「じゃ、これから考えようよ。もし夢原さんに気になる人ができたら、あたしも応援するしさ」

「そう上手くいけばいいんですけど……あ、そろそろご依頼を確認しないと日が暮れてしまいますね」

 気を取り直した夢原が強引に話を逸らしたのではなく、ユリカの雑談混じりのいきさつが「もうこんな時間!?」と驚くくらい掛かってしまったからだ。 

 そして、夢原の事務所には時計がなかった。パソコンか、もしくは彼女が操作しているタブレットの時計で事足りるからだろう。ユリカも携帯電話で時計を確認するため、部屋に時計はない。

「ハヤマ・ユリカさん。今回のご依頼は、学生時代に出会ったある方に会い、その方との思い出をトポグラフィー・マップにする、ということでよろしいですか?」

 ユリカが二つ返事で了承するのを確認すると、夢原は「かしこまりました」と笑顔で返した。

「ですが、これからお名前を存じ上げない方を探すんですよね?」

「うんまぁ、それがネックなんだよねー。自分でも調べて見たんだけど、あたしの地元、ローカルで活躍してるミュージシャンが多くてさ。もしかして無謀だと思った?」

「そんなことはないです、けど……ちょっとは」

 思い出の詰まった涙をマップにするのではなく、これからマップにする素材を探しにいくのだ。多くの依頼を受けてきた夢原も及び腰になるのは当然だ。でも、だからこそとも思っていた。

「あたしね、あの人に会えたからって、今の状況がぜんぶ良い方向に行くなんて思ってないんだ。急に目標や夢が出てくるわけないってことも知ってる。今のところ、友達や夢原さんには会いたいって思えば会えるけど、その人に関しては、会える可能性が低いからって会いに行かないのも癪に触るっていうか。ぶっちゃけ、あたしのプライドの問題なの」

 かつての自分がはねっかえりだったのは、故郷のような中途半端な自分を認めたくなくて、周りの環境のせいにしていたから。かつての自分がなりゆき任せだったのは、自分のいる環境を変えようとしなかったから。どの自分も、自分で考えることを放棄していた。

 たとえあの人に会えなくても、自分で考え、自分で行動してあの人に会いに行った思い出があれば、この先の人生が夜のように真っ暗でも、胸を張って進んでいけるような気がした。

「会いに行かないまま諦めるなんで絶対にイヤ。もし夢原さんに無理って言われても、どんな手段を使ってでも絶対に会いにいくつもりよ?」

 腕組みをして意志の強さを示すと、夢原は肩を振るわせて笑い出した。

「ちょっ、そこは笑うとこじゃないじゃーん」

「ふふ、すみません。ハヤマさんにとって、その人はそれだけ大切な存在なんだなって思ったんです」

「だったら余計笑わないでよー!」

 わざと唇を尖らせる真似をしたが、本当は『大切な存在』という言葉がこそばゆかった。好きな人や、恋人に使う表現だと思っていた言葉だったから。ユリカは、その人への想いを改めて感じた。恋でもない。言うなればそれは、尊敬。その人に会えるのなら、火の中だって水の中だっていける気がした。

 最終的にユリカも釣られて笑い、一通り笑った後、「あ、そういえば」と思いついたように声を出した。

「夢原さんってさ、ウニ好き?」

「はい。好きです」

「じゃあ食べにいかない? あたしの故郷まで」

 ユリカは歯を剥き出しにして笑うと、夢原は突然の申し出に、「はい?」と目を丸くした。

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