最終章 変態紳士はいつまでも……

謁見

 リーンが侯爵として爵位を賜り、スタンバーグ領の領主となってから実に一ヶ月が経過しようとしていた。

茹だるような暑さの中、久しぶりにリーンがスタンバーグ邸へと戻って来た。


 連絡も無しに突然の事。


 ハーブを栽培する予定の土地へと視察に向かっていたアイは、リーンの帰還の知らせを聞いて誰よりも喜び急いで邸宅へと帰っていった。


 同行していたゼファリーはアイの後ろ姿が見えなくなるまで思わず目を細めて見送っていた。


 リーンは邸内に入るなり自分の書斎へと足を運ぶ。扉を開き、中に入ると書斎の机の上は綺麗に片付けられており、棚の中の本も高さをあわせて並べられていた。


 この一ヶ月、スタンバーグ領の立て直しに忙殺されていたであろうに、これだけでも、アイやゼファリーの事務処理能力の高さが伺えた。


「入るわよ、リーン」


 扉がノックされ、この一ヶ月ずっと聞きたかった声に、リーンの返事のトーンは優しくなる。


 ガチャリと開いた先に立っていたアイの手には服が大事そうに抱えられていた。ちょうど暑すぎて着替えようと思っていたリーンは、ちょっと驚く。


「暑かったでしょ、これに着替えて」

「わざわざありがとう。それじゃ誰かを……」


 着替えの手伝いを呼ぼうとするリーンの腕をアイが掴んで首を横に振る。


「私がやるわ」

「えっ? でも……」


 アイはリーンの前で跪き、上着のボタンから一つずつ外していく。突然のアイの献身的な態度に戸惑いつつも、リーンは照れ臭そうに顔を赤らめされるがままになる。


 汗を拭き取り、真新しいシャツに腕を通すと今度はズボンへ手をかけた。


「アイ、そこまででいいよ!」

「大丈夫、平気よ」


 一気にズボンをずらして、リーンは下半身下着一枚になる……はずであった。


「ちょ……!! どうして、履いてないのよ!」


 思わずアイは顔をリーンから背けてしまう。


「いや、だってアイが勢い良く下ろすから!」


 顔を背けたまま、目だけをリーンの下ろされたズボンへと向けると、どうやら下着と一緒にズラしてしまったようであった。


「アイは大胆だね」

「た、偶々よ! 偶々!! ほら、早く履いてよ、下着!」

「えぇ~っ? 今日はアイが手伝ってくれるんだろ? 最後まで面倒見てよ」


 アイが恥ずかしがっているのを面白おかしくなったリーンの息が段々と荒くなる。このままだと、リーンに何をされるかとアイは顔を大きく背けたまま、両腕を恐る恐る下着へと伸ばし、何とか履かせることに成功する。


「いやぁ、アイが恥ずかしがる姿は、別の意味で興奮するね」

「も、もう! リーンの変態!!」


 そう悪態つくもアイは結局最後まで着替えを手伝うのであった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 リーンがスタンバーグ領に滞在している間、スタンバーグ邸内では、アイと仲睦まじい姿を従業員達は良く見るようになっていた。

それは、まるで夫婦のようで、その話はスタンバーグ領内に、すぐに広まる。

疲弊していた領民達にとって、領主のほっこりとしたニュースは、平和な未来を暗示させるようで活気が湧く。


 しかも、今一番勢いに乗るリーン・ブルクファルトの話となれば、領内にとどまらず国中に広がりを見せた。


 噂のアイリッシュ・スタンバーグに一度会ってみたいとなるのは当然で、他の領地から挨拶の体でアイを一目見ようと押し掛けてきたりもする。


 無下にする事は出来ずに相手をするアイであったが、物作りも出来ずにイライラが募っていた、ある日、リーンに書斎へと呼ばれる。


「入るわよ、リーン」


 ノックするやすぐに書斎の扉を勢い良く開く。


「荒れてるね、アイ」

「そりゃあ、人と会ってばかりだし、大して興味の無い花やお茶の話ばかりに辟易ともなるわよ。それに……」


 アイはリーンから視線を逸らすと少し膨れた顔でいじけて見せる。リーンは察したのか、書斎にある一人掛けのチェアからソファーへと移ると、手招きしてアイを隣に座らせた。


「これでいいかい?」


 リーンはアイの手を取ると指と指をしっかり絡ませる。アイも満更ではない様子で、そっと指を折り畳んだ。


「実はね……アイに会いたいんだってさ、王様が」

「一度会ったわよ? 婚約の儀の前に?」

「はは、あれはお忍びだろ? 今度は正式に会いたいのだと」


 アイは思わず首を傾げてしまう。アイには、お忍びで会う事と正式に謁見する事の違いが良くわかっていなかった。

正式に会う、それはアイをリーンの婚約者だと公にする事。そうなれば、余程の理由がない限り婚約を破棄する事がリーンにもアイにも出来なくなってしまうのだとリーンは説明する。


 リーンから婚約の破棄を申し出てくれないかと考えていた時期もあった。しかし、今のアイにその気持ちは一寸もなく、むしろアイがリーンに愛想尽かされる事を恐れているほどであった。


 今のアイはスタンバーグの家名を背負っているが、家は正式には断絶している状態。リーンに捨てられると只の街娘と変わらないという苦しい立場にある。

アイはリーンの気持ちを確かめるべく、本当にこれでいいのかと尋ねると、リーンは目を細め優しく微笑んで答えた。


「じゃあ、明日にでも出発しようか」

「はい……」


 アイとリーンはゼファリーが邪魔をしに来る迄、しばらく二人きりの余韻に浸るのであった。

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