望遠鏡

 鏡をアイから買い取ったジェシカは、このままブルクファルト辺境伯領を越え帝国へと向かうという。長らくラインベルト王国と小競り合いを続けてきた帝国への往来は殆んどなく、両国に認められた一部の商団のみ。

 ジェシカのユノ商会もぶどう酒のお陰で往来を許されていた。


「気をつけてね、ジェシー」

「大丈夫ですよ。何度も行っていますから」


 常に一触即発の両国であるため、いつ何が起こるかわからないと心配しながらアイはジェシカを村の外まで見送りに付き添う。


「ジェシー、あなたは私の妹のようなものよ。決して無理はしないでね」

「はい! アイお嬢様もリーン様も仲良くしてください」


 アイは地平線の向こうにジェシカの一団の姿が見えなくなるまで見送り、家に戻っていった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 ジェシカが出発してから数日、鏡の生産も軌道に乗りだしたアイは再び工房にこもり職人達と作業に没頭する。

 気づけばアイの工房は、また増築され三つとなっており、一つは陶器、もう一つは鏡を生産する工房となっていた。


「アイ、次は何を作るんだい?」


 十人以上掛けられる長いテーブルに、並んで座るアイとリーンは、朝食を摂りながら会話を交わす。そんな二人の背後に並ぶメイド達は、とても眠そうで目を擦り耐えていた。

 何せ二人の朝は早い。リーンは仕事を早めに終わらせる為に敢えて早起きをし、アイはアイで、朝の方が頭が冴えるからと、日の出前には起きる。

 二人を中心に事が進むこの家では、メイド達ももっと早起きしなければならなかった。


「そうね、試作が出来たら見せてあげる」


 楽しみにしておいてと笑うアイの側で、侍女のリムルはうつらうつらと船を漕いでいた。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 試作品が出来たのは、それから数日後であった。アイは書斎にいたリーンを誘い、家の屋根に二人で上がる。


「いきなりこんな所に連れてきてどうしたんだい?」

「いいから、これを覗いてみて」


 アイは、筒状の棒をリーンへと渡す。覗けと言われて棒の先端から中を見ようとすると、リーンは吃驚して屋根の上で尻餅をつく。


「え? え? どうなっているんだい?」


 気を取り直してリーンは再び筒状の棒を覗く。すると、自分の目の前に湖の対岸がすぐ側にあるように見えた。棒を覗きながら、顔を左右に動かすと木々に止まる小動物や鳥、更には水を汲みながら懸命に鏡を磨く職人の一人一人の顔までハッキリと見える。


「な、なんなんだい? これは?」

「望遠鏡よ。簡単に言えばかなり遠くの物を近くに見える眼鏡のようなものと思ってちょうだい。幸いというか、眼鏡に使う凸レンズの技術が既にあったから、一からって訳じゃないけど」


 望遠鏡には凹凸のレンズを作る技術、そして光を反射させるに辺りかなり精巧な鏡の技術が必要であった。

 今回、それが三つ重なったことでアイは望遠鏡を作ったのである。


「その試作品はあげるわ。リーンだったら有用に使ってくれるでしょうから」

「望遠鏡……いいね、これは。アイ、すまないがこれと同じものを二十本ほど作れるかい?」

「二十本!? また、急ね。できなくないけど、何に使うのよ」

「うん。買い取ってくれる人に心当たりがあるのでね」

「わかったわ、二十本ね」


 望遠鏡に夢中なリーンを置いてアイが屋根から降りようとすると、リーンに呼び止められる。


「そうそう。出来れば、この望遠鏡? の事を秘密に。出来れば、その二十本以外は作らないでほしい」

「うーん、面白いものが出来たから私は満足しているし、あまり売れそうにないから特産品とはならないけど。けど、どうして?」

「頼むよ」

「まぁ、リーンがそう言うなら……」


 アイが不思議そうに首を傾げながら屋根の上から去ると、リーンはフッとほくそ笑んだ。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 翌朝アイとリーンは目を覚ます。リーンはいつも通り先に着替えを終えて寝室を出ていってしまう。

アイも、リムルがどうしてもというので着替えを手伝ってもらっていた。


「さて、この辺が一番良く見えるかな?」


 食事もせず家を出たリーンは、湖畔の森の繁みの中へと姿を隠した。


 アイはシフトドレスを脱ぐと下着に手をかける。人に見られながら着替えをするというのは、どうしても慣れないものだと我慢していた。

 新しい下着をリムルが渡して来てアイはおもむろに下着を広げる。


「黒? 私、こんな下着持っていたかしら?」

「あ、それは、この間ジェシカ様が来られた時に是非アイ様に、って置いていったものです」

「ジェシーが?」


 普段履くことのない色に戸惑いながらも、折角なので履いてみる。上半身裸で、黒のレースの下着姿で鏡の前に立つ。


「やっぱり似合わないわね」

「そんな事ありません、良く似合ってますよ」


 リムルに褒められ悪い気はしないが、アイはどこか落ち着かない様子で、キョロキョロと辺りを見回していた。


「アイ様?」

「うーん、なんか見られている気が……」


 アイはこの寝室唯一の窓ガラスが気になる。自分の背丈より大きな窓が。アイは窓の側に寄り外の景色を一望すると、薄いカーテンを閉めた。


「あぁ! 閉められた!! でも、いいものが見れた。今日はこの辺にしておくか」


 繁みの中から出てきたリーンの手には例の望遠鏡が。


 何事なく、家に戻って来たリーンは朝食を摂りにいく途中でアイとバッタリ出会う。


「リーン、外に出ていたの?」

「うん。ひんやりとした空気で目覚めをよくするために少しね」

「そう……所で、ちょっといい?」

「うん? なんだい?」


 リーンは後ろめたさを感じることなく、堂々としており動揺の一つも見せずにいた。


「私に黒いって似合わないと思わない?」

「そんな事ないよ! よく似合うさ、アイの白い肌に黒い下着・・のメリハリというか。とても色っぽいよ!」

「そう……。なんで、黒の下着・・って知っているのかしら、リーン!? 私は下着なんて一言も言っていないわよ!」


 アイの指摘でリーンは明らかな動揺を見せる。逃げる間もなくアイに捕まったリーンは、そのまま首根っこを掴んでリビングへと連れていかれる。

隙を見て逃げ出そうとしたリーンに馬乗りになり、リムルに命じて持って来させた縄で縛り始めた。


「アイーっ! もっと、もっと強く!!」

「少しは反省しろーっ!」

「あの、リーン様アイ様に来客が……」


 いつの間にかリーンの上半身は服が脱げ裸になっていた。


 そんなリーンと背中に足を乗せながら縄でリーンを梱包していたアイは、来客と聞きリビングの入り口に目をやると、ブルクファルト辺境伯夫妻が、困った顔をして此方を見ていた。

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