ジェシカの来訪

 急ピッチで二階の一室を二人の寝室に改装し終える。今回はアイも同席しながらなのでリーンがおかしな行動を取ることはなかった。


 ようやく完成した寝室は、大きなベッドの天蓋から真っ白なレース編みのカーテンが伸びており、窓を閉め切り魔晶ランプの灯りのみになると、リーンを待つアイのシルエットが幻想的に浮かんでくる。


 相変わらず口づけの一つも許さないアイだが、毎夜、寝室を共にし時に甘えてくるリーンを受け入れたりもするようになっていた。

 リーンは、リーンで毎夜のように、やれ縛ってくれだの、叩いてくれだの、垂らしてくれだの言ってくるが、アイが一通り嫌な顔をすると満足そうにベッドへと入る。


(リーンって、時々サディズムな所がある気が……)


 アイは勘違いしていた。マゾヒズムであるが故に自分が何をして欲しいかを隠すことなく言い、予想外の反応を相手が見せれば、それはそれで興奮する。

アイの嫌がる顔を見るのは、単に嫌がる姿が可愛いと思っての行動だった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 一緒に寝るようになってから数日が経過して、あの鏡張りの部屋を何とかしないといけないと、考え始めていた頃、工房にガラス職人を呼び寄せ、新しく何かを作ろうとしていた。


「えっ? 鏡を買いたい?」

「へぇ、親方。商団がやって来て鏡をありったけ買いたいと」

「おかしいわよ。何処から耳に入れたのかしら? まだ商品として完成してないはずなのに」


 商品化として大量生産の準備は整いつつあったが、公表もしていない。噂を聞きつけたとしても、一個人ならともかく大量に買い取りたいなどと現実的な商人なら言い出すはずもなく、アイは少し興味が惹かれ会うだけ会ってみることにした。


 

 工房を出ると、整えられた庭木の側にリーンと共に話す人影が二人。一人はリーンの父親であるブルクファルト辺境伯の右腕てもあるゼロン、その横に背丈の低い女性が此方を見ると足早に駆け寄ってくる。


「アイ様ぁー!!」

「ジェシー!!」


 それはスタンバーグ領で経営しているユノ商店の主でもあるジェシカであった。ジェシカは、アイの胸に飛び込むように抱きつく。


「良かっだぁぁ……アイ様が大怪我じだっでぎいでぇぇぇ……ジェシーは、ジェシーはじんばいじまじだぁぁ」


 鼻水と涙で顔を濡らしたジェシカは、汚れたアイの作業着に顔を擦りつけるものだから、アイに顔を向けた時にはあちこち汚れが付着していた。


「ぷっ……ジェシー、ひどい顔しているわよ」

「だっでえぇ、だっでえぇ……」


 一向に泣き止まないジェシカを落ち着かせる為に、リーンとゼロンに会釈したあと、工房へと連れていく。


「それにしてもゼロンと一緒だったのね?」

「途中で合流したんです。警護も兼ねてくれました」


 工房にあるアイの部屋のソファーに並んで座り、アイがジェシカの頭を撫でながら肩を寄せるとようやく泣き止んでくれた。


 リーンから聞いていた話だと、ゼロンもゼファーに負けず劣らずの融通の利かない男で、偶然出会ったとしても、たとえ自分が妹のように可愛がっているジェシカであっても、警護を買って出るとは思えないと、アイは不思議そうに首を傾ける。


「ダメね。あのゼロンという人は、よくわからないわ。私が拐われた時も見ているだけで助けようともしなかったらしいし」

「そうなのですか? お礼に新作のぶどう酒三本で引き受けてくれましまけど」

「……私の命は、ぶどう酒三本以下ってことなのね」


 しかし、いいことを聞いたとアイはほくそ笑みを浮かべる。何かあったらぶどう酒で手を貸してくれるかもと。


「それにしてもジェシー。鏡のこと誰から聞いたの?」

「あの冷徹眼鏡です。一枚だけ試作品をラムレッダ様に贈られたでしょ? ジェシーも見せてもらって、これだ! って、思ったんです。今回は北の帝国の方に向かうので、いい元手になると思って」

「確かに一枚贈ったわね、忘れていたわ。それにしても大量生産の準備は出来ているのだけれども、すぐには無理よ。大量の鏡なんて……あっ!!」


 アイは何か閃くと早速準備に取りかかるのであった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



「アイーっ!! 危ないから降りてくれー!!」

「あ、アイ様ぁ、気をつけてくださいよー!」


 リーンとジェシーは、二人揃って叫び声を上げる。現在アイは職人数人と共に家の屋根に登っており、体に縄をくくりつけていた。

 目標は封印した鏡張りの部屋。表の扉はアイが頑丈な鎖と共に大きな南京錠を取り付けてしまった上、鍵も現在はドロドロに溶けてしまっている。表側から何度か人を使って開けようと試みたが無理であった為に、窓側からガラスを破って侵入するつもりであった。


「頼む~、アイ~。無理するなぁ」


 祈るようにリーンは、今まさに屋根からつたい降りるアイを見守る。まずは二つの縄を使い、アイともう一人の職人が降りていく。注意深く慎重に慎重を期してアイは鏡張りの部屋の窓にたどり着く。


「あの、親方。本当に割ってしまっても?」

「ええ。構わないわ」


 アイと一緒に降りた職人は鈍器でガラスを割り窓の鍵を外す。上手く部屋の中へ侵入したアイが、窓枠から外へ顔を出すとリーンもジェシカも胸を撫で下ろす。

 その後、アイに続いて五人の職人が次々と降りていく。


 部屋の扉は廊下側へと観音開きになっており、鎖が邪魔でいくら引っ張ってもビクともしない為に、アイは内側から強引に壊すつもりで部屋の中へ人を入れた。


 アイを中心に横一列に並び一斉に扉に向かって突撃する。一度だけではびくともせず、アイ達は肩をさすりながらもう一度距離を取る。


「壊しても構わないわ! 行くわよ、せーの……!」


 壁が揺れ、扉と壁の間に隙間が出来る。再び距離を取り、各々でストレッチなどを行い、気合いを入れ直す。アイも両頬を自分で叩く。


「行くわよ、せーのっ!!」


 扉は、とうとう傾いて廊下側へと倒れて行った。


 部屋は開放され、壊れた扉は人手を使って外へと運び出されていく。商団の人間とアイの工房の職人が一枚、一枚丁寧に鏡を取り外す。


「大体、これで全部ね……って、ジェシーどうしたの?」


 ジェシカは少しアイと距離を取り、近寄ろうという気配がない。アイが一歩歩み寄るとジェシカは一歩後退る。


「ジェシー?」

「あ、アイ様。いえ、その……あまり言いたくないのですけど、アイ様にこんな趣味があったなんて……。いえ、大丈夫です! ジェシーは口外しませんよ! アイ様が全面に鏡を張って、そのリーン様と何をしていたかなんて」


 アイはジェシカの言いたいことをハッと察する。鏡張りに、大きく明らかに家の主が使いそうなベッドが一つの部屋。自分より年下なジェシカも、夫婦歴で言えばずっと先輩なのである。

 この部屋で行われいたであろう、自分が尊敬しているアイのあられもない姿を想像したジェシカは恥ずかしくなり逃げ出してしまった。


「誤解よ!」


 そう叫んで伸ばした手が虚しく空を切るのであった。

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