アイの目覚め
ラムレッダから一通りアイの過去を聞き終えたリーンは、何か感想を述べる訳でもなく目を丸くしながら、眠っているアイとラムレッダを交互に見比べていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「えっ……あ、いや。その話の続きだけど、もしかしてその奴隷だった子供達の事を国に報告したりとかは……」
「ん~、あ、していますね。アイ様の父である伯爵に最期までやり通すように言われて、ぶつぶつ文句を言いながら書類を作っていましたから」
ラムレッダの返答を聞いたリーンは、丸くした目を一段と見開きぶるりと背筋が震えた。
「す、すまないけど少しアイを看ておいてくれないか」
「はい。構いませんよ」
ラムレッダにアイの看病を頼みリーンは部屋を出ると、駆け足で真っ赤な絨毯の廊下を走り抜けていく。
リーンが急ぎ向かったのは、この辺境伯邸の書庫であった。
ここには過去、代々の辺境伯が集めた資料や書類が保存されており、中には決して外に出せないようなものまである。
リーンは、書庫の中でも禁忌として置かれた場所へと移動し、目的の資料を探し始めた。
「えーっ……と、あった。これだ。ザッツバード侯爵家に関する資料」
パラパラと束になった資料をめくる。それは過去にリーンがザッツバード侯爵の謀叛を察して、ブルクファルト辺境伯の代行として捕らえた時のものであった。
リーンは一枚の資料にめくる手を止めて目を通す。そこには──
告訴状
ザッツバード侯爵領内にて不正な奴隷の取引が発覚。至急調べたし。また、これが平時行われていた時は、ラインベルト王国の伯爵家として見逃す訳にはいかず、同国ザッツバード侯爵を訴えることとする。
──との内容が書かれており、最後には“アイリッシュ・スタンバーグ”と署名がされていた。
「はは、まさか……まさか、あの謀叛の要因の一つとなった“不正な奴隷取引”。その決め手となった資料にアイの名前があるとは……」
誰も居ない薄暗い書庫で、リーンは一人高笑いをあげた。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「あ、お帰りなさいませ」
アイの眠っている部屋へ戻ってきたリーンは、何処か嬉しそうに顔を綻ばせていた。
ラムレッダが「何かいいことでも?」と尋ねると、ご機嫌なリーンはアイのベッドに寄り添い寝顔を見ながら「君は運命って信じるかい?」と優しく問いかける。
ただ、それはラムレッダに言ったのか、それとも顔を向けているアイへと言ったのかはわからない。
ラムレッダは「運命……ですか?」と自分にもアイにも言ったものだと捉え、考えに耽る。
「そういえば、昔アイ様が……」
アイの名前が出てリーンは、ラムレッダの方に向きなおす。
「昔、アイ様が『きっと自分にも運命の王子様が現れるはず』と仰っていたことが……。もしかしたら、リーン様が『運命の王子様』なのかもしれませんね」
「『運命の王子様』ね。王子様というのは比喩なのだろうが……ふふ、だとしたら喜ばしいかな」
リーンは優しくアイのピンク色の髪を撫でてやると、目を一層細めておでこにキスをした。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「アイ様、目が覚めたのですね」
「ええ。でもどうしてここにリーンが……」
アイの傍らでベッドに伏すようにして眠るリーンの寝顔を見ると、まだまだ子供で、アイは優しくエメラルドグリーンの髪に指を絡ませ遊んでいた。
「ずっと看病していたのですよ。交代でって言っていたのに、つい先ほどまで起きていらっしゃいました」
「そう……ラムもありがとう。心配かけてしまったようね」
「いえ……アイ様ならきっと大丈夫だと信じておりましたから」
そう言うラムレッダの目には涙が浮かぶ。
ラムレッダが止めるのも聞かずアイは体を起こそうとするが、ズキンと脇腹の痛みに額には脂汗を掻き顔を歪ませる。
「ふぅ……そう言えば、私何で怪我なんて……」
「覚えておられないのですか?」
ラムレッダは、婚約の儀の晩餐会で脇腹を何者かに刺されたのだと話す。
「私、何か恨みでも買うことしたかしら?」
思い当たる節がなく天井をぼんやりと見つめるアイに、ラムレッダはまだ寝るように促す。
「いいえ、もう大丈夫。正直夢見が悪かったし」
「そう言えば、随分と
「……下着一枚のリーンにずっと追いかけられていた夢よ。そりゃ
「クスッ……。リーン様は不思議な方ですね」
「理解不能というのよ、これは」
アイは小さく溜め息を吐いてみせるが、リーンが目覚めるまで彼の髪を撫でる手を止めることはなかった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「う、うーん……あ、アイっ!! 良かった、起きたんだね!」
「ええ。ラムレッダから聞いたわ。リーンも看病ありがとう」
「随分と素直だね。元気になったら何かご褒美貰おうかな?」
ニカッと歯を見せ笑みを見せるリーンに、アイは身震いすると傷が痛む。
「もう! 怪我が痛むでしょ!!」
「ははは、ごめん、ごめん! さて、アイの目が覚めたことを皆に知らせてこないとね。皆も心配していたからね」
リーンが部屋を出ようと扉を開くと偶然か部屋の前にはゼファリーが立っていた。
「お嬢様、怪我はもう大丈夫なのですか?」
「ゼファー。貴方にも心配かけたようね」
「いえ、お嬢様ならきっと大丈夫だと信じてましたから」
アイやラムレッダ、そしてゼファーと入れ違いで部屋を出ようとしたリーンも、一斉に吹き出して笑い始める。
「む、何がおかしいのですか」
ゼファリーは珍しく感情を露にして眉を吊り上げズレた銀縁眼鏡を指で戻す。
「だって貴方、ラムと同じ事を言うのですもの。夫婦ってやっぱり似るんだって思うと、ふふ……」
ラムレッダは照れ臭くなり伏せた顔が赤くなっていた。
そして、アイはリーンが部屋を出たあとに気づく。自分が目覚めラムレッダとの会話の時にはリーンは寝ていたはずだと。
つまり、リーンの髪で遊んでいた時、彼は狸寝入りだったのだと。
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