リーンの意図
リーンの部屋へと向かうまで、アイは心を押し殺せと自分に言い聞かせていた。
「アイ様、唇から血が……!」
下唇からつーっと血が垂れていることに気づいたリムルは背伸びをしながら自分のハンカチでアイの唇を抑えた。
「どう? もう、血は出てない?」
「はい、大丈夫のようです」
「そう、それじゃ行きましょう。リムルありがとう」
リーンの部屋の前に到着したアイは、大きく一つ深呼吸して扉をノックする。
「どうぞ」
「リーン、どうしたの、呼び出し──あ、失礼しました」
てっきりリーンしか居ないものだと思っていたアイは、既に先客が居たことに驚く。しかも、その人物の身なりが良く、白髪白髭のご老体であるが品位と貫禄のある佇まいから
「アイ、隣に」
リーンに促され対面へと座ると、そのご老人は目尻の皺を深くして笑ってみせたので軽く会釈を返した。
「アイ、此方はルベル王だよ」
「はぁ……はああぁっ!?」
まさか来るはずでないであろう王様の登場にアイは声を失った。暫く動けなかったアイは、ソファーから立ち上がると深々と頭を下げた。
「し、失礼致しました」
「ホッホッ、構わぬよ。さぁ、そこに座りなさい」
ルベル王に再び促されてソファーへと座るも、そわそわして落ち着きがない。何より自分の国の王様の顔すら覚えていないのかと咎められそうで不安になる。
「今回、アイを呼んだのは他でもない。君の実家、スタンバーグ領についてだ」
ドクンと大きくアイの心臓が跳ねた。いきなり核心を突かれ、アイは震えが止まらなくなる。
「君は何処まで知っている?」
ジッとリーンの真っ直ぐな瞳を向けられて、アイは追いつめられる。下手に嘘を吐いてバレれば、ただでは済まず、かと言って本当の事を話すと、それはそれで実家の危機。言い淀むアイの手にリーンは自分の手をそっと重ねる。
「大丈夫。僕や王様は情報が欲しいだけだ。君の実家に迷惑がかかることもないし、王様も追及しないと仰ってくれている」
アイは苦悩する。果たしてリーンを信じていいものだろうかと。婚約の儀でリーンに心を蹂躙されたばかりだというのに。
「ああ、そうだ。婚約の儀の話だけど。あれはアイが僕を頼らないでコソコソしていたからだよ。僕ってそれほど頼りないかい?」
「コソコソって……あれはウチの問題で……」
「今はこのリーン・ブルクファルトの婚約者だろ? 違うかい?」
アイは再び口をつぐむ。リーンの言っている事は分からなくもないが、彼を本当に頼っても良いものだろうかとの葛藤がアイの心を締め付ける。
(この問題は、とてもじゃないけど私だけで片付けられるじゃない。わかっている、わかっている……けど)
賭けに出るには危険が大きすぎる。何かもう一つ、もう一つアイの背中を押すものが欲しかった。
「アイ。今回の件、正直に話せば君の実家の問題だけでは済まなくなる可能性が高い。下手をすれば国を二分することにも。そうなれば戦争だ。
そんなことになると君の実家は敵としてウチが対応しなくてはならない。僕はそれを避けたいんだよ。婚約者の実家を……ううん、愛すべき
「リーン……。わかったわ、今は貴方を信じる。王様、待っていて貰えますか? この件で私より詳しい者が居ますので」
アイは一度退室すると、急いでゼファーを探す。広い邸内をリムルと二人で駆け回り、アイの両親と話をしているゼファーを見つけると、有無を言わさずゼファーの腕を引っ張り王様の元へと連れてきた。
「お、王様!? お嬢様、これは!?」
「ゼファー。例の件、王様に全部話を」
「いや、しかし、それは……」
「王様は追及しないと約束してくれたわ。リーンもよ」
既に弟のレヴィに引き継がれているものの、口には絶対に出さないがゼファーの中では、アイも同等以上である。
「わかりました。ありのままをお話します」
ゼファーは奇妙な金の流れからスタンバーグ領の土地が勝手に売られていたことまで、全てを話す。王様とリーンからも、情報は共有した方がいいと教えられたのは、アイとゼファーにとって寝耳に水で、とてもじゃないが自分達では手に負えない話であった。
「アイに聞いたがバーリントン商会。ゼファーだっけ? 聞いたことは?」
「……あります」
「本当なの!? ゼファー」
「はい。俺がお嬢様に頼まれてぶどう酒の販売経路を探っていた時です。ユノ商会はともかく、販売経路を広げるにはラインベルト王国を飛び出なければなりませんでした。そこで国外に強い商会を探している時に名前が上がったのがバーリントン商会です。ですが、その話は頓挫しました」
「それは何故だい?」
「はい。一つは、商売のやり方が俺から見て穴だらけだったことです。正直、商会としてやっていけているのか疑問に思うほど。もう一つは、奴隷商も生業にしていることですが、どうも正式な経路で商売していないようで。恐らく中には拐われた者も……まさか!?」
アイもゼファーの説明を聞いて気づく。最近、拐われて奴隷商に売られそうになったばかりなのだ。
「ルベル王。やはりこの件は捨て置けません。どうなさいますか?」
「ふむ……。果たして誰が敵で誰が味方なのかは、まだわからんの。リーンよ、そして二人とも。この事は他言無用で頼む。それと我が動いていることも」
「畏まりました。ゼファー、貴方もいいわね」
「はい。それでは俺からは、バーリントン商会にぶどう酒の件と称して接触してみます。それと旧坑道の件も」
「ゼファー、ありがとう。そしてご免なさい。貴方にばかり負担をかけて」
「大丈夫ですかっ!? お嬢様が俺を気遣うなんて、熱があるのては!!」
「あるわよ! 少なくとも冷徹眼鏡のあなたよりわね!」
じゃれ合う二人を見て、リーンは頬を膨らませ不貞腐れていた。
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