ラヴイッツ公爵とロージー

 リーンの手のひらで転がされていたようで落ち込んでいたアイであったが、何とか立ち直ると、着替えを終えてリーンにした目隠しを外す。


「もう取ってしまうのかい? このまま放置してくれても良かったのだけど」

「いやよ」


 リーンの思惑を外したアイではあったが、全く嬉しくなく喜べずにいた。


「それじゃ、公爵に挨拶しないとね」


 リーンはアイを連れて部屋を出ると、ロージーとばったり出会う。


「良かったですわぁ。服のサイズ、アイリッシュ様にピッタリ。ロージーの服では小さ過ぎるので、侍女の服で申し訳ないですけどぉ」

「いいえ、感謝します。ロージー様」


 ふふ……と含みのある笑みを浮かべたロージーにアイは深々と頭を下げて礼を述べると、リーンのあとをついて行く。


「ロージー、済まないがここからは遠慮してもらえないかい。僕とアイだけで会いたいんだ」


 公爵の部屋の前までついて来ていたロージーはリーンに頼まれ少し淋しげな表情を見せると、一歩部屋の前から退く。


 リーンは、自ら扉を開きアイをエスコートするように入れると、扉を閉めた。


 リーンとそれほど年齢の変わらないロージーを少し可哀想だと思ったのか、声をかけてやろうと振り返ったアイが閉められていく扉の隙間から見えたのは、人を射殺しそうな勢いで睨むロージーの目であった。


 背筋が凍りつき、ブルッと身震いを起こす。


「アイ、どうかしたのかい?」

「いいえ、何でも……」


 きっと気のせいだと、頭を振って忘れようとするアイは、改めてラヴイッツ公爵の前に出て一礼する。一人用のソファーに腰をかける公爵と謁見するにしては、随分と小さい部屋であり、公爵自身の私室なのであろうと思われた。


「初めまして、ラヴイッツ公爵様。私は、スタンボード伯爵が一人娘、アイリッシュと申します」

「おお、無事のようで何よりだ。リーンも済まなかったな、兵を出してやれず。あそこで兵士を出してしまうと、我と辺境伯が蜜月関係だと思われかねないからな。国の重鎮である我と辺境伯が手を組んだ……そう思われるだけでも、よからぬ噂が立つからの」


 リーンは、首を横に振り、そしてラヴイッツ公爵をじっと凝視する。


「そう怖い顔をしないでくれ、リーンよ。いつ、誰が、貶めるとも限らない貴族の世界。うちにも恐らく我の不祥事を探る連中の仲間が入り込んでおるからの」

「いえ。今思うと、それは当然の処置だと。怒りに囚われるとは僕もまだまだ若い」


 リーンとアイは、その後公爵に促され、目の前にある装飾の施された白いソファーへと座る。


「ところでアイリッシュ。君は今回の婚約、自身でどう思う?」


 リーン本人がいる前で、どう思うと聞かれ困惑するアイは、公爵の意図を読み取ろうと、脳をフル回転させる。


「周囲には、よく思われていない、かと」


 厳しい表情であった公爵の顔が、正解だと言わんばかりに和らぐ。


「何故、そう思うのかね?」

「はい。まずは、私とリーンの身分の差です。伯爵の娘と辺境伯の嫡男……無くはないでしょうが、問題は力関係だと。スタンバーグ伯爵家は弱小、対してブルクファルト辺境伯家は、この国随一の力を持っています。辺境伯と懇意にしようと思っている貴族は多いかと。そして……あ、いえ何でもありません」

「ふむ、構わぬ。申してみよ」


 アイはどうしても言い淀む。それは、もしかしたら今回の誘拐に関連しているかも、そう思っていたからだった。


 隣にいたリーンと目が合うと彼は黙って頷き、アイは公爵の方へ向き直して話すことに決めた。


「その……はばかれるのですが、その、貴族の中にはラヴイッツ公爵様も含まれるかと」

「はっはっは! だから、言うのを取り止めたのだね。いやいや、何とも正直なお嬢さんだ」


 公爵は大きく口を開いて笑う。本来ならば失礼だと怒られてもおかしくはなく、アイは公爵の様子から安堵していた。


「残念というか、我は既にリーンの父親と懇意にしておるでな! その心配はないぞ。 ……問題は他の貴族達だ。既に結婚しているなら多少は遠慮するだろうが、婚約……それも五年という期間、君は常に狙われている自覚をした方がいい」

「公爵様。アイを脅かすような真似は止めてください。大丈夫です、僕が必ず彼女を守りますから」


 真剣な眼差しのリーンの横顔は、十一歳とは思えないほど大人びていて、いきなり手を握られたアイは驚くも、そのままリーンの手を握り返した。


「はっはっは! そうか、そうか。ならば我も考えを改めねばならぬな。このラヴイッツ公爵家の為にも。アイリッシュ」

「はい、公爵様」

「これから、我も良しなに頼むぞ。何せ、君は将来の辺境伯夫人だ。はっはっは!」


 その後、公爵は方針を変更して、アイを拐った連中の捜査に協力することを二人に約束をして、二人は部屋から退室した。


「ロージー、まだ居たのか?」

「ふふ、お父様の楽しそうな笑い声が聞こえて、つい……。ああ、大丈夫ですわぁ。話は聞いておりませんから」

「まぁ、隠すほどのことじゃないけど。公爵様は、アイを拐った連中の捜査に乗り出してくれたよ」

「まぁ! それは。アイリッシュ様ぁ。きっとお父様が直ぐに捕まえてくれますわ」


 屈託のない笑顔のロージーに、アイはさっき見たロージーとのギャップに幻でも見たのかと思い直したようで、その事を追及することなく微笑み返す。


「では、ロージーはこれで失礼しますぅ」


 パタパタと廊下を走るロージーの姿は、落ち着きのない子供のようで、アイとリーンは部屋へと戻っていった。


 ロージーは時折すれ違う侍女や使用人に声をかけながら、自分の部屋へ戻ってきた。パタンと扉を閉めたあと鍵をかける。遮光カーテンを閉めて部屋の中は真っ暗になると、ロージーはクッションを手に取り扉に向かって投げつけた。


「忌々しぃいいいっ! お父様まで抱き込むなんて、あの女ぁ! まぁ、連中は全員死んだようですし、足がつくことはないでしょ。全く……あの泥棒猫がっ!」


 真っ暗な部屋にぽうっと魔晶ランプの灯りが灯り始める。光に映されたロージーの目は、先程までと違い鋭く吊り上がっていた。

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