盗賊?

 馬車での長旅にアイは疲れ果てていた。椅子にはクッション代わりに、起毛させた敷物をひいてはいるものの、元々が固い木製の座椅子。ずっと座っているだけでも辛いのに、馬車なので激しく揺れる。


「いたたたたっ……」


たまらずアイは馬車の中で、お尻の位置を時折替えては、何度もさする。


 よく、この時代の貴族なんかは平然としていられるなと、考えながら鈍った身体をストレッチで解す。


「お、お嬢様、その格好は……!」

「ん? どうかしたの?」


 顔を上げたアイは馬車の中では立つことが出来ないため、向かいの座椅子に両足を大きく広げて載せるとそのまま前屈をしていた。


 しかし、自分の服装に無頓着だった彼女は気づいていない。ワンピースのスカートの丈は膝下程度までしかなく、開いた胸元もステイズと呼ばれるコルセットで固定され寄せられており御者台から窓を通して丸見えであった。


 きょとんと小首を傾げるアイはストレッチを続けており、老齢の御者はそれ以降、馬車の中を覗くことはなかった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 馬車はアイの実家があるスタンバーグ領を出ると北へと進んでいく。見慣れない景色が車窓を流れて行くのを見ながら、アイは空が曇り始めているのに気づく。


「ねぇ、確かこのままラヴィッツ公爵領に入ると、出迎えの兵士が居るのよね?」

「へぇ、なんでもラヴィッツ公爵様とブルクファルト辺境伯様が懇意にしているらしく、警護の兵を用意してくれているとか……」


 女性の一人旅は流石に危険だと、前もってブルクファルト辺境伯から警護の兵を用意すると連絡があった。ラヴィッツ公爵領は、アイの実家であるスタンバーグ伯爵領を出て、横に細長い別の伯爵領を縦断するとすぐである。


 現在、馬車は縦断中なのだが雨が振り出す前に、ラヴィッツ公爵領内へと入っておきたいアイは、御者に急ぐように促す。


 ポツリポツリと雨が降り始め、馬車の窓を濡らす。いつの間にか曇っていた空は、真っ黒な曇天と変化していた。御者は馬車に備え付けられた魔晶ランプを灯し、視界を確保する。


「ねぇ! ラヴィッツ公爵領はまだなのかしら?」

「へぇ! もう恐らく入っているはずですが……」


 雨音が大きくなり、互いの声が聞き取りにくくなり声を大にする。馬車の前方についた窓から、雨の中、アイは必死に目を凝らすも兵士らしい者の姿は見えない。


「雨が強くなってきたわ。取り敢えず公爵邸のある街まで急ぎましょう」


 雨でぬかるむ地面に車輪が取られないように一定の速度のまま、馬車は進んでいく。やがて、遥か先ではあるが、雨のカーテンに視界を遮られながらも、街らしきものが見えてきてアイはほっと一息吐いた。


「お嬢様、馬が近づいて来ます」


 やっと迎えが来たのかと、アイは窓から覗き見ると、確かに馬に乗りこちらに近付く人影が見えてきた。


 シルエットだけでなく、視界にもその姿を捉えたアイはぎょっとする。


「急いで馬車を飛ばして!」


 近づいて来た人物は、顔を布で隠していた。明らかに身バレしないようにである。迎えの兵士ではないと悟ったアイであったが、遅かった。


「ぎゃああああっ!」と、聞きたくない御者の声にアイは思わず耳を塞ぐ。


「アイリッシュ・スタンバーグだな」


 低く感情のこもってない声に、アイは怯えた表情をして動けない。気づけば馬車は、馬に跨がった覆面の男達に囲まれていた。


 一人の覆面の男に馬車の扉を無理矢理こじ開けられ、アイの髪は無造作に掴まれ雨の中、外に引きずり出される。


「あ……あ、あ……」


 雨に濡れ、服はぬかるみで汚れたアイは、覆面の男に取り囲まれる。助けを叫びたいが、声が震えて言葉が出ない。御者台では老齢の御者がぐったりと倒れ、赤い血を垂れ流していた。


 生まれて初めての命の危機を感じたアイ。どうするべきか頭の中を回転させるも、ぐちゃぐちゃで上手く考えが纏まらない。


「うぐっ……!!」


 アイを馬車から引きずり出した男がアイを無理矢理立たせると腹部に強烈な痛みが走り、アイは気を失う。ぐったりしたアイを馬に乗せ、覆面の男達は立ち去る。


 そこには雨がザーッザーッと降り注ぐ中、一台の馬車だけが残されていた。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 次にアイが目を覚ました時には、どこかの掘っ立て小屋らしき場所であった。木箱が積まれているが、空気が埃っぽいことから長い間使われていないと思われる。


 両腕を後ろに縛られており、脱け出せそうにない。アイの他には人は居らず、外の雨音から拐われてから日はそれほど経過してないようにも思えた。


「痛っ!!」


 縄の縛り方がきつく手首の辺りが痛いのか、仕切りに手を動かす。


「盗賊なのかしら……」


 初めこそ、予想外の事態にパニックになっていたアイではあったが、今は割りと冷静になってるようであった。まだ、ズキズキと下腹部の辺りが痛む。それでも木箱に背をつけ後ろ手に縛られた手で立ち上がろうとしていた。


 ガチャリと音がするとアイの心臓は跳ね上がる。扉が開かれると、三人の男が入って来る。全員、布で顔を隠したままだ。


「なんだ、もう目が覚めたのか……。寝ていれば、苦しまずに済むものの」

「あなた達は、何!? 盗賊? いえ、違うわね……。私の事を知っていたみたいだし、只の盗賊ではないわね」


 アイの指摘に一人を除いて動揺が走る。唯一ドンと構えているリーダー格らしい男の顔を、他の二人が慌てふためきながら見る。


「気が強く聡いのは、結構なことだが、すぐに後悔することになるぞ」

「あ、兄貴ぃ! もういいだろ、手を付けちまってもよぉ!」


 男の言葉にアイの全身の鳥肌が一斉に逆立つ。布の隙間から覗き見るような粘着した視線に思わず身体を隠すようによじるが、その瞳は潤み始めており、今にも泣き出しそうであった。

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