アイの友人達②

 伯爵邸の庭に堂々と入ってくる女性。「毎度」と叫びながらアイ達を見つけると、急ぎ足で駆け寄ってくる。


 無柄の亜麻色あまいろのシャツに、深い緑色のカーゴパンツと庶民的な格好。赤茶の髪を振り撒いて近くに寄ってくると、少し焼けた肌だが鼻の上のそばかすが目立つ。


「ジェシー」

「アイ様、お帰りなさーい」


 ジェシーと呼ばれた女性は、その身を放り投げ身体ごとアイに飛び付く。


「ラムレッダ様もお久しぶりです」

「ジェシカさん、そろそろ離さないとアイ様が椅子から落ちそうですわよ」

「えっ──わあああっ、アイ様! ご免なさい!!」


 アイは椅子から落ちそうなのを物作りで鍛えた両足で踏ん張り、支えていた。慌ててジェシカは、アイから離れると「えへへ」と破顔して誤魔化す。


「全く、お前は……。報告に来たのじゃ無かったのか?」

「出たな、冷徹眼鏡!」

「お前といい、お嬢様といい……人の話を聞けんのか」

「ちょっと、私は話はちゃんと聞くわよ!」


 頬を膨らませて怒るアイであったが、もちろん本気ではない。いつもの日常の光景。それ故、もうこんなやり取りは出来ないのかと思ったのかアイは少し淋しげな表情を浮かべた。


「アイ様!? こら、冷徹眼鏡! アイ様を悲しませることをしたなっ!」

「違うのよ、ジェシー。少し淋しく思っただけ。私がブルクファルト領に行くから……」

「あ、婚約者どうでした? クソ野郎でしたか、やっぱり! なんならこのジェシーがぶん殴ってやりますよ!!」


 勇ましく二、三度拳を突く素振りをするジェシカ。当然、突き出した拳はゼファーへと向けられていた。


「いい加減にしろよ、お前は。商会の定時報告に来たんだろ」

「あ、そうでした、そうでした」


 このジェシカという女性は、ここスタンバーグ領内で商売をしているユノ商会の一人娘である。元々伯爵邸への出入り業者であったが、いつも父親についてくるジェシカは、一目でアイを気に入り、懐いている。


 アイも十歳年下なジェシカを妹のように可愛がっており、ジェシーという愛称もアイが考えたものだった。


 現在、父親よりも婿養子の旦那よりも商売熱心なジェシカは、ユノ商会を取り仕切り、アイの作ったぶどう酒を一手に引き受けるまでになっている。


「それで、偽物のぶどう酒の流通はどうなの?」

「はい、アイ様の言うようにビンにはユノ商会の刻印をして偽物と区別出来るように。それに空ビンを十本で一小銅貨で買い取ることでビンも再利用出来て、少しずつですが、価格も下げられるようになりました。ただ……」

「どうかしたの?」

「はい。酒場などの業者はそれで良いのですが、個人で買うとなると……。やはり、刻印の有り無しで本物か偽物か周知されていないようで」

「その心配はないわ。取引先には偽物と本物の区別の仕方、教えているのでしょう? すぐに知れ渡るわよ」


 アイが作ったぶどう酒である原材料のアボロニは、皮に非常に渋味があり、種にも苦味がある。皮を剥き、掌サイズの果実の中身には細かく種があり手作業で、それらを全て取り除かなくてはならず、非常に手間がかかる。


 それ故、それらの行程を省いた粗悪品が安値で流通してしまう。その対策にブルクファルトへ向かう前に指示を出した結果をジェシカは伝えに来たのであった。


 ビンに刻印を彫ることで本物の証とし、その空きビンを少額で回収することにより、他所に出回らないようにする。回収したビンは、煮沸消毒することにより使い回せるようにしていた。


 刻印にはユノ商会、そして後ろ楯になっているスタンバーグ家のものが使われており、許可なく模倣しようものなら大事となる。


「そうそう。ジェシーに伝えることが……。いつもはぶどう酒の売上の一部をうちに入れてくれていたけど、今月で終了にするわ」

「えっ……そんな。正当な上納金なのですから受け取ってください」

「ゼファーとも話し合ったの。今、うちは魔晶ランプでも十分黒字出ているから。まぁ、私の置き土産と思ってちょうだい」

「そ、そんなぁ……。そんな、淋しいこと言わないでください、アイ様ぁ」


 まるで今生の別れを切り出され胸が潰れる思いのジェシカは、アイに強く抱きついた。ジェシカの表情にアイは目を細めながら赤茶けた髪を優しく撫でてやる。


「まぁまぁ、落ち着いてジェシー。時々戻ってくるから。もしかしたら、破棄して戻ってくるかも」

「お嬢様。それはいかがかと?」


 アイの言葉を聞いて、一瞬明るさを取り戻したジェシカだったが、ゼファーの余計な一言にキッと睨み付ける。 


「例えばの話よ。一応五年という猶予はあるけれど、それでもリーンのあの変態性が正されない時は……」

「時は?」

「逃げる」


 堂々と言い放つアイにゼファーは、こめかみを押さえる。そんなことをすれば辺境伯の面目は丸潰れだ。さすがに軍をもって攻め込むなんてことはないだろうが、スタンバーグ家に迷惑がかかるのは目に見えていた。


「はぁ~~っ……。ご両親の苦笑いが目に浮かびますよ。そうなる前に俺に報告ください。何とかしてみますから」


 ゼファーの言葉に妻のラムレッダも強く頷き、ジェシカも同意する。三人の友人の想いをアイは胸に畳むのであった。


「あ、それともう一つ。ジェシーはザッツバード領に行くかしら?」

「まぁ、時々は。それがどうしたのですか?」

「いえ、三年前の内乱から今はどうなってるのかなぁ、って」

「詳しくは分かりません。ですが、ブルクファルトの旗が立っているのは見たことが」

「ふ~ぅ。ゼファー。どうやらリーンの情報は本当みたいね」


 今は、ザッツバード領は実質ブルクファルト家の管理下にあるようなものだと、アイもゼファーも考えた。


 それがどんな意味を持つのか──それは、ブルクファルトの領地がラインベルト王国の約三分の一を占めていることに。


「お嬢様、もしかして辺境伯は……」

「ゼファー、滅多な事を言わないで! 気のせいよ、きっと……」


 意味が分かっていないラムレッダとジェシカは互いに首を傾げるのみであった。


 アイの三人の友人達。ゼファー、ラムレッダ、ジェシカの三人とは離ればなれになるのだが、再びアイを含めた四人が一堂に集う時、アイは苦境に立たされる事をまだ知らない……。

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