雨空のアリア

みなづきあまね

雨空のアリア

全く仕事が終わらないわけではなかった。でも、早く帰る理由もなく、むしろ夕飯が出来てしまったため、お腹に合わせてデスクに座っていた。


昼に自分の弁当を食べようとしていた時、期間限定のキッチンカーイベントに誘われ、同僚と見に行くことになった。見るだけのつもりが、あまりに美味しそうなデリの数々に抗えなかった。


弁当が腐るのも嫌で、おかずだけ食べ、デリを弁当箱に詰め、早めの夕食とするつもりだった。だから、19時半までオフィスに残っているのだ。


時計の針が6を指したのと同時に弁当の箱を開けて、色とりどりの野菜や肉に箸を伸ばした。どれも素材の味が生かされていて美味しい。


15分ほどかけて味わい、歯磨きをし、帰る支度を始めた。すでに人はまばらだった。鞄を肩にかけ、ドアに向かおうとした時、視界に彼が帰り支度をしているのが入った。


普段20時前後まで働いているらしく、早めに退勤する私と帰りが被ることはあまりない。しかし、もしかしたらチャンスかもしれない。私はゆっくり更衣室に向かった。


ロッカーを開け、コートを羽織り、ストールは手に持ったまま下に降りた。出口前にある鏡に向かい、ストールを巻いていると、背後から足音が聞こえた。


「お疲れ様です。」


私はいかにももう帰りますというように、ドアの向こうに進んだが、口は彼との話をやめなかった。


「来週末から忙しくなりますね。準備終わりましたか?」


週末の大きな仕事の進捗状況を聞いてみた。


「まあ大体。向こうの人とは全員あったことあるし、そんな苦痛ではないかな。」


彼は自分の仕事を頭で思い出している様子だった。そのまま私達は一緒に歩き出した。話が続かないと思うと余計に緊張し、ポケットに入れている手に力が入った。


「そろそろ寒くなりますね。というか、今日木枯らしが吹く予報だったけど、思ったよりは寒くなかったな。」


「明日、最低気温8度ですよ。」


彼がそう言ってスマホを差し出した。私は不服な声をあげた。


「真冬になると職場の中まで寒くなるから大変ですよね。耐えられない!」


「いや、実は前の職場が中庭のある感じで。夏とかはリゾートみたいでいいけど、寒い日に雨や雪が降れば、否応無しに入り込んできたから、それに比べれば全部マシかな。」


彼はそう言って笑った。 一度話題が途切れて沈黙が訪れた。私は話をまた仕事に戻した。


「とりあえず週末を乗り切ればひと段落。でも、最終日が鬼門なんだよな〜怖い人が何人かいて。」


私は最近の憂鬱の原因を漏らした。


彼はそんな私は見て肯定の返事をした後、


「慣れもありますよね。社会人なりたての頃は毎回緊張したけど、パターンが大体わかってきたし、今のお客さんは向こうから飲み会企画してくれたりするから、今回はそんな重荷じゃないんですよ。」


と述べた。確かに仕事は慣れるしかない。私は数日後に迫る超長いであろう仕事を、ひとまず頭の隅に追いやった。


アーケードを抜けると、雨がポツポツ降っていた。昨晩ネット天気を確認した時は、曇りで済むはずだったのに!


「え、雨降ってる!傘ないよ・・・」


「昨夜も今朝も天気予報で降るって言ってましたよ。じゃなかったら、傘持ってきてませんよ。」


私が落胆する側で、彼はさも当たり前という風に言った。なんかプチ説教された感じで凹む。


駅に着き、エスカレーターをぎこちない感じで上がり、改札に着いた。私はどちらの線でも帰れるが、彼と同じ電車に乗ることがもう緊張の限界でこたえた。


「今日はあっちの線で帰ろうかな。早いし。お疲れ様です。」


私は改札を抜けた先で彼に会釈し、左に曲がった。彼も私に挨拶し、右の階段へ向かっていた。


ホームで1人になり、いつも仕事の話ばっかりしてしまうし、内容も毎回同じような感じで、あまり盛り上がらない・・・とうじうじした。


雨が降ってるから、傘を差してくれる優しさくらいあってもいいのに。学生じゃないんだから、社交辞令的にさらっとしてくれたとしてもいいのに。


でも、一緒に歩けた事実は嬉しかった。少なくとも私の歩調に合わせてくれた。


今度はもっと楽しくて、彼を知れる話をしよう。私はホームに滑り込んだ電車に乗り込み、家路を急いだ。

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雨空のアリア みなづきあまね @soranomame

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