第41話

「怖いのは平気?」

「見るのは好きなんですが、言われてみるとそうですね。見終わった後に一人でいるときに来るタイプかもしれません」

 ピザを食べながら画面をじっと見つめている彼女を盗み見る。落とした照明の中で鑑賞しているのがホラーなんていうのは、普通なら襲って下さいという様なものだし、今までは家で映画を見たいなんていうのは女性側からのそういうアプローチだった。


「ゲームもホラーが多いのに?」

「勉強用です。――――勉強用、という建前です」


 今までならそれこそ映画など最後まで見ずに隣にいる身体を引き寄せている。なのにこんな近い距離にいて、腕などもう触れている距離で、ただ彼女の皿に食べ物を運んでいる関係だというのは心苦しい。なのに、真逆に心地良いとも思う、癖になりそうな距離だと思って本当に毒されていると一條が思った。


「今日は一緒に寝てあげようか」

 その唇に自分が作った料理が運ばれるのに優越感を感じている。きっとそんなもの聞いた日には、兎のお腹の香りを嗅ぐのが好きだという以上に変な顔をされるのに違い無い。

 自分も充分変態じみている自覚はあるが、実際どう考えてもそうなのでもう開き直るしかない。


「全員で寝るのにはこのベッドじゃ狭いです。一番に落ちるのは誰でしょう、一條さんですかね?」

「僕が一番重いのに僕が一番最初に落ちるの?」


 次は何を食べようかと唇をぺろりと舐めた楚良が聞こえてきた声に瞳を向けて、一條からサチ、そして茶々と順番に顔を向けつつソファをぽんぽんと叩いてみた。

 その音に気付いたのか、ソファの端を掘ろうとしていた兎達がまた合間に寄ってくる。


「ええ勿論。一番肩身が狭いのは唯一の男性だと相場が決まっております」


 ふふとまた彼女が笑って、その唇がフライドポテトへと噛みついた。そう言えば茶々もサチも雌だし彼女も女性だと一律で考えたのは、最早人と兎をごっちゃに考えている彼女の思考だ。

 おどろおどろしいBGMがテレビから流れれば、サチと茶々が揃って耳を上げて彼女と同じテレビの方へと目を向ける。一條が膝に置いていた自分の皿を一度前へ、そしてサチを抱き上げた。


「済みません、ジンジャエール貰っていいですか?」

「ビールじゃなくていいの?」

「禁酒中です!一條さんは飲んで良いんですよ?」


 会社ではなく家ではそろそろ解禁すれば良いのにと思いながらも、サチを膝に乗せたままジンジャエールの瓶を栓抜きで開けば、グラスを探す前に彼女が瓶ごと手に取って唇を寄せる。


「前から茶々の所に帰るのは好きでしたが、最近本当に家が天国で困ります」

「困るの?」

「やはりお仕事は会社でやるのが一番効率的ですから。でも兎を傍に仕事が出来るのも捨てがたい。一條さんのおかげですね、この天国化は」

 フライドポテトをジンジャエールで飲み込んだ彼女が、瓶を一度机の上へと戻して料理に目移りしている。ナゲットとフィッシュフライを取った彼女の皿の端に、タルタルソースをついでにのせておく。


「――――そう?僕も割と天国だから感謝してるよ。サチを自由に出来る範囲もかなり広いし、物珍しい玩具も沢山あるし。こうして一緒にご飯食べるなんて怖くて出来なかったし」

「さっちゃんは賢いので人の食べ物には近付きませんよ。…本当に一條さんってさっちゃんの事を愛してくれていますよね、兎飼育と販売に関わる者として理想的なケースだと思います」


 手を拭った彼女が皿を膝の上へとのせても、二匹の兎は顔は向けてもそれに近付くことはない。茶々が圧倒的に興味が無さそうで、サチもそれにつられている風に見える。

 栄養的に満たされているからだろうか、特に揚げ物や肉ならば欲しがる事は無い。野菜や何やらは正直危ない事はあるから、ジャンクフードならではだろうか。


「君には負けるよ。でも子兎がいなくなるとやっぱり茶々ちゃんも寂しそうだね」

「本当はもう1匹増やさないかと祖父から打診はあったんですが、今は保留ですね」

「そう言えば、空木さんって将来的にはおじいさんの兎牧場というか、兎飼育を継ぐの?」


 父親は刀司伽藍なのだろうし無理ではないかと思いながら問いかけて見れば、そうですねえ、とテレビの方へと目を向けつつ楚良が小さく呟く。

 立てた膝の上へと皿を置いて、んー、とまた小さく唸った。


「実は父の再婚話が持ち上がった事もあるんですが…。この間あった時に出て行ったと言っていたのでどうでしょうね。傍目には兎大好き!!と言っていた女性だったんですが、影で財産どうのと脅されたので………まあそういうことでしょうね」

「――――…ああ…」

 あの時出て行った女性がどうこうというのはあえて聞かずにおいていたが、遺産問題というかお家騒動だったのか。もうこうなってくると、今までの全てが彼女に金目当てだとか彼女自身には価値がないとかいう戯れ言を信じ込ませるのに成功している気がする。

 人の見る目が信じられなければ、兎を見る目に頼るのは自然ではないだろうか。


「祖父は兎飼育のノウハウを知る人間さえいれば規模には拘らないと言っていましたから、どうしても私がという事は無いです、名義貸しぐらいはするかもしれませんが、戻って私が直接という事は無いと思います」

 戻っても良いと言われているが、と彼女は小さく付け足した。問いかければ返る答え、その言葉が今は嬉しい。


「一條さんは……ご兄弟などは?」


 ふと彼女の唇から一條の事に言葉が及んで、それにも珍しいと彼自身は思った。それこそ不躾であるという理由から、楚良の口からそれが漏れる事は殆ど無かったと思う。


「僕は男ばかり4人の一番上でね。普通の家庭だよ、サラリーマンの父と、母は料理教室の先生でね。何も珍しい事は無いんだけど」

「いや、珍しいですよ。だからこんなに料理が上手なんですね」


 凄く美味しいですとまた彼女の唇から漏れた。聞かれる事を嫌だとは少しも思わない、寧ろ興味を持ってくれしいと一條は思い、話してくれてよかったと楚良が内心安堵した。

 ただ、自分の興味を満たすというだけの会話なのに。応えてくれるのは嬉しい。


「僕には継ぐ家もエピソードもないから、君の話を聞くとすごいなって思うんだよね。空木さん家の兎飼育のノウハウってやっぱりプロ仕様なの?」

 ジンジャエールを飲み、食事を続けている彼女に少しは体重が戻れば良いと思いながら問いかけて見れば、珍しく直ぐに答えは返って来なかった。

 手を拭った彼女が一度皿を置き、そして足の上へと茶々を置く。


「実は兎に魔法を掛けるのがノウハウなんです」

「秘密、って事でいいのかな?企業秘密?」

「一応空木家以外の人には教えてはならないのだとか何とか」

「兎飼育にそんな重要な秘密があったとは思わなかったよ…」

 気軽に聞いたのに本当に珍しくそんな事を言われて、何となく彼女の手元でお腹を見せられている茶々の方へと目を向けた。


「海外の飼育家に教えてもらった内容のアレンジだとか。勿論血統を穏やかな子に寄せていくとか、健康状態を整える方が大事なんですが。――――言おうかどうしようかずっと迷っていたのですが。これ以上隠すのは何か不誠実な気がするので言いますね」

「不誠実?何が?」


 告げられた言葉にこの流れだと兎の事かと思えば、思わずサチを一條が見下ろした。

 彼女に不誠実なんて言われるのはサチに何かがあったとか、何かをしたという事なのだろうか。


「茶々がどうしてさっちゃんに怒らないかという事をずっと考えていたんですが、…骨格周りや顔立ちから言っても、もしかしたら祖父出の子ではないかと」


「えっ、それって茶々ちゃんと姉妹とか、いとこだって事?」

「レッキスは1系統だけなのであり得るとしたら年齢的に同じ親から生まれているかなと。流石に同じ出産ではないでしょうが――――…最初に写真を見せて貰った時にさっちゃんのおばあちゃんにそっくりだなって思ったんです」


 最初、と言われて本当に最初かと思えばそう言えば一瞬だけ意外そうな顔をしていた事を思い出した。

 あの時にそれこそ既知に会ったかの様な顔をしたのは、そのせいだったのか。


「――――それで…」

「いえ、ちゃんと遺伝子検査でもしなければ分からないので予想ですが。本当にそうなら、一條さんにこんなに幸せにしていただいてこれ以上嬉しい事はないです」


 もしかしたら昔に会っていたかもしれない、と、一條が思えばその偶然に驚くと同時にだから此処まで彼女が良くしてくれたのかと思った。

 彼女は以前目の前で酷い状態の兎を見せ付けられて、何とかその救出をと願っていたというのは聞いた。多分最初に一條の家に行くときに躊躇が無かったのも、それを見たかったのかもしれない。その上身内が排出した兎が里子に出されたというなら、もう彼女が手を掛けない理由なんて無いだろう。


 彼女の好意には全て理由があったなんて、今更この距離で知らされるのか。


「なら、感謝しないと。僕をサチに会わせてくれて有り難うって」

「それでウチでご飯を作る羽目になっているとかは災難ですよ」


 男女の始まりなんて何でも良いと一條は思っていた。寧ろ彼女の様にこれを縁だと思えれば良いのに、と、彼女が茶々から手を離して再び料理へと向けながらの言葉に首を振った。

 思いを明かすことさえ許されない関係に胸が苦しくなり、いっそ抱き寄せて触れてしまいたいとさえ思うが、それを成す前に指は止まってしまう。それはもう、彼女の酔いを理由にした時に好きに触れた、それだけでも彼女に後ろめたい事しかない。


 食事をたらふく食べた彼女は映画を見ながら珍しく眠たげに瞳を擦っていて、その膝に乗っていた茶々が止まる指先に身体を伸ばしてその顔を伺った。

 こくりこくりと動く頭に気付いた一條が片腕で背中を抱けば、ぐらりと傾いた身体が力なく胸の方へと凭れてくる。

 彼女が無防備に眠たくなるのはそれこそ酔いの時でも一條が傍にいたからだと彼女は言うし、実際にそうなのだろう。健康状態に関わる事だというのもあるが、それだけでこんなにも嬉しくなる。苦しくなったり嬉しくなったり、自分は高校生にでも戻ったのではないかと溜息。


 手元の皿やら何やらを片付けその頭を肘掛けに乗せ、足を反対側へと伸ばしてその場所の肘掛けと背もたれをフラットになる様に倒した。眠り際は本当に彼女は深く落ちる様に眠っていて、物音でも殆ど目は覚まさない。


 立ち上がった一條が、リビングの端にあるクローゼットを開けばそこにはいつも使う布団が一組、その中から掛け布団と毛布、そして枕を取り出してソファの方へと振り返った。

 兎達がわくわくとした視線で見つめているのは、楚良が此処で兎と眠る事は無いからだろう。今まではずっと彼女をきちんと部屋に帰してきた。眠る時は抱いて連れていくのがいつものこと、だ。


 毛布を彼女の身体に掛けてそっと頭側の肘掛けを倒すついでに枕に入れ替えて置く、兎達がそれに気付いて我先にと枕の近くに身体を移してその顔へと鼻先を寄せている。しー、と一條が声を掛けて見れば、分かっているとでも言うのだろうか直ぐに顔を引いて近くに二匹が腰を落ち着けた。


 食器や料理を先に片付けてしまおうと手に乗せてキッチンに運びながらその様子を眺め、本当に彼らは楚良が好きだと思う。好きで好きでたまらないのが溢れているのが楚良だが、それと同じぐらいには兎からも好かれている。

 残った食事を簡単にしまい込み、珍しく食器も洗わずにシンクに置いたまま。手を洗って落ちても大丈夫な様に珈琲テーブルを横へと避けた一條が、ソファベッドの端へと浅く腰を掛ける。


 上向いた彼女は静かに寝息、胸の上下を見つめていたが決意を決めた様に一度深く息を吸い込んだ。


 許されるだろうか。兎達が寄り添うより近く、その横へと横たわれば身体も吐息も触れる距離で、その毛布の中へと潜り込んで上へと掛け布団を掛けた。一人で眠るのには不足がないが、二人と兎二匹では本当に密着する距離。彼女の首元で丸くなっていた茶々が迷惑そうに一條を眺めたのを、機嫌を取る様に撫でて置く。


 彼女に仕掛けるこれは悪戯なのか、願望なのか。


 茶々に避けて貰ってその首元へと腕を差し入れれば、収まりの良い場所を探す様にもぞもぞと動いた楚良が一條の胸の方へと転がって、また深く息を吐いて動きを止めた。

 寝ている彼女にこんな事、多分後で罰が当たって死ぬ。顔がどうとか皆に言われるが、一條にしてみれば可愛くて仕方が無い。

 息を殺す一條の様子を見ていた茶々が、わざわざその一條の顔の前で寝そべり、ぐい、と後ろ足でその額を押した。離れろととか言う明確な意思だが、気付かないふりをしておいた。


「…何もしないよ」

 とってつけた様な言い訳を兎相手にしてみるも、ぐいぐいとまた押される。しかしこんな事で負けていては、彼女の傍にはいられない。そうでなくとも兎相手には完全敗北しているのだから、と小さく息を吐き出せばぽやりと楚良の瞼が開いた様だった。


 起こしただろうか、何と言い訳をしようかと考えて居たら、その瞳が茶々へと向けられ直ぐにまた一條の方へと戻った。


「落ちないで下さいね…」

 その言葉は最早吐息の大きさで、これは彼女の寝言に近いと直ぐに理解した。腕枕とは反対の手でこめかみあたりを撫でてやれば、楚良の瞳がまた閉じて眠りへと落ちて行く。


 これを許しと見るか寝言と見るのか。どちらでも同じだろう、彼女は目の前で瞳を閉じてそして眠りへと落ちた。そして自分は追い出されなかった、それが結果でいいし彼女の許しだと信じていればいい。

 何せ彼女はだ。今はその鈍さに甘えてこの距離で、彼女の眠りを守っていれば良いと思った。


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