~愛しき女~

れなれな(水木レナ)

第1話 直樹とアイリ

 深夜の時間帯を過ぎると、直樹は部屋を抜け出し、早朝の日課をこなす。

 飼い猫にエサをやり、掃除をして。

 実家住まいなので、隣人に気がねなく掃除機もかけられる。


 三年ほど前からずっとこうだ。

 直樹は思い出す……。






 オリエンタル系は総じて若く見える。

 そうでなくてもアイリは、信じられないほどの童顔だった。

 パリ出身で一人だけ少女のようなので、たいそう悩んでいた。


 しかし、周囲の期待を感じ取れないわけではなかった。

 アイリも努力はしていたのだ。

 メイクを施し、彼氏をつくり、価値観を共有しようと、学校を出ればバラバラ。


 大学での4年間は、孤独だったというが、それはアイリがモテすぎたからだろう。

 性格はいいのに、ひとりでいることが多い。

 キャンパス内で、アイリをめぐるみにくい争いがくり広げられた。


 彼らは無邪気な笑顔を彼女から奪い去り、青春を浪費させた。

 アイリはいちいち構ってくる相手を、軽くあしらうことができなかったのだ。

 出逢ったとき、アイリはくっきりとした二重まぶたに、哀しみを隠していた。


 しかもその表情が、ふくふくとした仔猫のようだったので、直樹もちょっかいを出してみたくなってしまったのだった。

 それまでピンクの口紅だけだったのに、流行の化粧をするようになり、そしてアイリは変わっていった。






 直樹が砂糖をかんでいると、


「虫歯になるわよ、ワタシ、貴方とだけはキスしないわ」


「いや、この後紅茶を飲むから、虫歯にはなりませんよ」


 紅茶を干して、「アチ」と舌を出すと、アイリはいたずらっぽそうにこちらを見ていた。

 愛嬌のある目だった。

 低い鼻がますます猫っぽく、その口づけも仔猫がするみたいに、ちょんとつつくようなもので――。


「ワタシをバカにしてるんですか」


 直樹はアイリの華奢なあごをとらえて、本物のキスをした。


「お砂糖の味がするわ」


 と言って、一週間後に歯科医へ行って検査してもらったそうだ。

 おふざけは通用しないのだ。

 直樹とアイリは恋人同士になった。


 しかし、アイリにはもう一人、恋人がいる。

 直樹の知らないところで、アイリがどんな風にすごしているのか、直樹は知る気がなかった。

 アイリの思惑など、大した問題ではない。


 そうやって、事態を俯瞰して見ていると、ある日、異変がおきた。

 約束にアイリが遅れてきたのだ。

 思えば、前日の通話でも様子がおかしかった。


 熱があると言っていた。

 次の日のデートにそれでも現れたのは、彼女の律儀な性格がそうさせた、もしくは直樹への想いがあったからだろうと、その時は思えた。

 うぬぼれていたのだ。


 だから、気づかなかった。

 いや、気づきたくなかった。

 アイリが、年下の男にいいようにされているなどと、想像もつかなかった。


 彼氏ならば、気づいてやるべきだったのだ。

 それでなくともアイリは男の誘いを断れない。

 無防備すぎた。


 断らなくてはならない理由に、直樹はなってやれなかった。

 アイリは好きにしたらいいし、自分もそうするから、と言ってしまったから。

 それでも彼女は自分を選んでくれるだろう、と、期待しすぎていたから。


 しかし、そんな勝手な彼氏など、他の男から見れば、スキだらけの女を放っておくバカ者だ。

 それでいてさえ、直樹はアイリを離せないでいる。

 離す気など、端からないのだ。


 なぜなら、直樹にとってアイリは初恋の相手だったから――。






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