其ノ弐拾弐 兵器ニツイテ

 砲撃は中央棟全体を振動させ、余波は地底にまで及んだ。

 宇賀神中佐がよろめいた隙に麗春が彼の手に噛みつき、とっさに振り払った中佐は娘を放してしまった。

 彼女は父親のもとへと逃れ、黒木大尉が中佐に躍り掛かる。そのまま、転んだ佐官の懐から手錠のものも含まれているであろう鍵の束を探って入手した黒木は、王龍に投げた。


「行くんだ!」

 大尉の声に押されるように、戸惑いつつも親子は部屋を出て行った。無論、王龍の所持していた短波無線機も一緒に。

 もの惜しげに中国人たちを見送る中佐を、黒木が構わず殴った。宇賀神が殴り返し、大尉の拳銃がはじき飛ぶ。

 二人は余った宇賀神中佐の拳銃を軸に、揉み合いを演じた。独楽のように回転し、何度も壁に衝突する。カ号兵器の制御装置にぶつかったところで、ようやく彼らは静止した。四本の手が絡まる銃が、主人に相応しい力量を求めて拮抗する。


 黒木大尉は震える声で献言した。

「宇賀神中佐、もう終わりです。支部を爆破して撤退しましょう」

「ああ、どうやら終焉らしいな」

 中佐は目線を映像受像機にやった。大尉もそれを追う。中央棟の外構えを投影する受像機は、煙を上げて崩壊しつつある外壁を映していた。


「ソ軍の本隊だ」悔しそうに、宇賀神中佐は嘆いた。「無線式カ号の夢は絶望的だな。せいぜい敵軍に包囲されながら限界まで粘り、死んだあとにカ号を強奪されるだけか」

「そうです、怪物のために玉砕するなど無駄死にではありませんか」

 黒木大尉が懇願すると、中佐は嘲笑った。

「他人に世界を滅ぼされるのはもっとごめんだ」

「カ号が世界を滅ぼす? そんなものではないでしょう」

「いいや、あれは妖怪だ。人間とは異なる意識を持ったある種の生命だよ。実のところ、無線式がどれほどのものになるかは想像もつかんのだ。ともすれば、人類は淘汰されていたかもしれん」

 恐ろしいことを中佐がいかにも楽しげに言ってのけたので、黒木大尉は身震いした。

「諸刃の剣を造るつもりでいたんですか? 制御しきれなかったらどうしていたのです!」

 激仰する黒木に、宇賀神中佐は平然として答える。


「成功すれば人類を支配し、失敗すれば絶滅させていたかもしれん。どちらも面白かろう。わたしは神仏のようになれるのだから」

 えも言われぬ恐怖感に黒木大尉がまたも震撼すると、中佐は続けた。

「なにも特別なことではないぞ。諜報員を自称する亜米利加アメリカの被験者を詰問して聞いたが、広島と長崎に落とされたあの新型爆弾、実験前には地球の大気を焼き尽くしてしまう危惧もあったらしい」

 初めて耳にする内容に、黒木は驚愕した。宇賀神の話はやまない。

「本末転倒だろう? 勝つためには世界をも滅ぼす、それが人間だ。守護神となりえる竃神を化け物に変異させたようにな。あの爆弾の技術も、人を生かすために役立てる方法もあったかもしれん。我々は大半の者がなにもわからぬうちに、一部の馬鹿者の誤った判断によって死滅するのかもな」


 それを最後に、拳銃に掛ける中佐の握力が極端に弱まった。

 大尉が銃を奪うと、宇賀神中佐は手榴弾を手にしていた。銃を手放す代わりに、黒木が腰に下げていたものを盗んだのだ。

「人間が生まれたときから何者にも縛られてはおらず、法が人工の紛い物であるように、カ号も我々に無理やり従わされてきただけだ。異なるのは、人の衆愚は黙って騙され続けてきたところか。されどカ号は違う、あくまでも制御装置は足枷に過ぎん。解き放って人類に復讐させてやろうではないか、――貴様らに対してだけだがな!」


 手榴弾の安全栓が外された。これだけでは爆発しないが、黒木大尉は焦って身を引いた。

 起爆筒を叩くことで発火するそいつを、宇賀神中佐が頭上に掲げる。


「……おそらく原子爆弾やカ号が誕生した時点で、国政が非論理的であっていい時代は終わったのだ。凡人にはほとんど止める手段のない僅かで愚かな権力者の過ちで、全人類が滅亡しかねない世になったのだからな。日本もドイツもアメリカなどと同じ民主主義国家でありながら、この戦争に突入していくことを大衆も支持していた。そんな程度の低い生き物である人が、愚行をやめられるとは思えん。だからわたしは、世界の終焉を把握することのできる権威ある愚者でありたかったのだ。貴様はどうだね、黒木康博?」


 そして中佐は、手榴弾をカ号兵器の制御装置に打ちつけた。

 慌てて黒木が部屋を出ると、発電室で爆風に襲われた。鉄扉がひしゃげ、彼は衝撃で前のめりに突っ伏し、胸部をしこたま打った。痛みに唸り、唾とも胃液ともつかぬものを吐く。

 大尉は蹲っていたかったが、そんなことにすら潰せる時間はなかった。人の手を離れた怪物が正真正銘の獰猛な野生の人食いとなり、襲ってくるかもしれぬのだ。彼は素早く背負い袋を傍らに下ろし、黄色薬爆弾を取り出した。


 支部の心臓部たる発電機が、異様な光彩を纏いだす。まるで、解放された猛獣が突然の自由を実感できず、己の身体を改めているように。

 爆弾を設置し時限装置を作動させるや否や、黒木大尉は退いた。

 紙一重の差で発電機からカ号兵器が飛び出し、背負い袋を消し去る。人の悪知恵を失った本体に爆弾まで消滅させる知性がないのは救いだったが、大尉はそれを見届ける暇もなく、ひたすら疾走していた。

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