其ノ捌 憲兵ニツイテ

 ――轟音が響いたのはそのときだった。


 それが合図であったかのように、断続的な音も繰り返される。

 複数の銃声だ。棟内を弾きまわって反響する。


 地下への階段前に集結していた一同は、瞬時に緊迫した。周囲を警戒しつつ、音源を聞き分けようとする。

 直後、今度はごく近くで聞こえた。先程とは異なる音響。確実に地下からだ。

 隊員たちは黒木大尉の指示に従い、速やかに階下へと降りだした。


 地下に着くなり、先頭の兵士が階段の角から顔を出す。

 すると廊下の彼方には、拳銃を発砲している男の背中があった。彼の目前にはあの大首が迫っている。無論、銃弾は効果を発揮せず、口に入ったものは消滅し、それ以外の部位ではすり抜けていた。

 男は奴の性質を解明していないか、混乱して忘れているのだろう。奇声を上げながら後退するさまは、大塚技師を彷彿とさせた。


「あの方、憲兵です」

 先頭の兵士に並んだ千鶴が、ゆらゆらと動く男の横顔を目にして囁く。

 本当なら、支部のありさまからして長く男大首と戦ううちに、腕章や刀をなくしたらしかった。服にも損傷や汚れがある。


「知人なのか?」

 尋ねる隆に首を横に振りつつも、千鶴は言う。

「廊下ですれ違ったことがあります」


「――あそこを撃て」

 おもむろに黒木大尉が前に出て、ある一点を指先で示す。速やかに最前列の兵士が、機関銃から火を放った。

 顔の大口が憲兵を包もうとした刹那、廊下奥底の電線管に銃弾が命中。発電室との通電が途絶え、男大首が霧散する。

 銃声を聞いて憲兵は分隊を振り返った。が、依然として狂気の表情でいることを大尉は捕捉した。


「走れ!」

 言うなり、最前列の背を押し黒木大尉は憲兵のほうに駆けた。いきなりの指図に一拍の間をおいて、みなもいっせいにあとを追う。

 入れ違いに、黒木部隊がいた階段のごく近くにあった照明器具から男大首が出現。


 断末魔の叫びが木霊する。


 最後尾にいた兵士が顔に取り込まれたのだ。犠牲者を呑み尽くすなり、男大首は地面を汚した血液を舐め取って稲妻となると、照明に帰った。


「た、助けにきてくれたのか?」

 やってきた隆たちに、若い憲兵はかすり傷のある面長の顔のただでさえ垂れ下がった眉を八の字にして、泣きそうな声で訊いた。体格はいいのに、態度は情けなかった。


「わたしたちの救助と、ここの爆破が任務だそうです」

 答えたのは千鶴だ。


「……あなたも、ここの……?」

 自らの問いに彼女が頷くと、憲兵はそこにへたり込んだ。

「よ、良かったぁ。生き残りはぼくだけじゃなかったんだ……」


「まだいるかもしれないぞ」

 隆は、地下に潜る前に耳にした複数の銃声を回想して言った。聞き誤りでなければ、あれはこの男のものだけではないはずだからだ。


 黒木大尉が憲兵のほうに歩み出た。

「わたしは特別分隊長で、情報部の黒木康博大尉だ。貴様は?」


「あ……」

 今時分、己の立場を自覚したように、憲兵は姿勢を正して直立した。

「じ、自分は憲兵室保機隊の斉藤衛さいとうまもる上等兵であります!」


「よし上等兵、あの顔が電流を通じて移動しているらしいのは存じているか」


「はい」


「では、発電室から階段に繋がる配線はここしか見当たらないのに」黒木大尉は、階段付近から射撃された電線管を見上げた。「なぜ、通路を断っても奴は現れたんだ」


 長考したあとで、斉藤衛は答えた。

「……仲間はみんなやられてしまいましたが、交戦中にわかったことがあります」

 憲兵の生き残りに期待が集まると、彼は緊張した様子で続けた。

「どうやら中央棟には、壁のなかのあらゆる空間までをも利用して配線が複雑に張り巡らされているようなのです」


「よう? 確定事項ではないのか」


「お、お役に立てず申し訳ありません。新任でして、ここでの実験についても表面だけは把握しておりましたが、あそこまで非道なものとはこんな事態になって漏洩した情報で初めて知ったくらいでして」


「やれやれ。奥方も同様だったが、徹底した秘密主義が敷かれていたらしいな」

 呆れを通り越して半ば感心しながら、黒木は隆へと話し掛けた。


「え、ええ。しかし上等兵の推察通りとしても、なんでそんな無駄な構造を……」

 思わず彼が口走ると、黒木大尉は神妙な面持ちで開口した。

「まるで、男大首に都合のいいように造られているみたいだ」


 そして思案顔で推測を述べる。


「どことなく予感はしていたが、どうもあの化け物の存在には人為的な誘因があるようだ。この施設に関係があるのかもしれん。……上等兵、そうした可能性に心当たりはないか?」


 申し訳なさそうに、憲兵は頭髪を弄った。「いえ、……よくわかりません」


 大尉と斉藤の対話から浮かび上がってきた背景に、隊員たちは戦慄していた。異常な現象で同僚を失ったためか、酷く動揺している者もいる。

 そんななかでの斉藤からの質問は、さらなる混乱をもたらすものとなった。


「……ところで、あなた方はどうやってここまでいらしたのですか?」

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