戦火は竈に消ゆ、ゾンビは雪解けに眠る。
碧美安紗奈
戦火ハ竈ニ消ユ
其ノ壱 任務ニツイテ
白塗りの小綺麗な扉を前にして、
「入りたまえ」
よく通る声が返ってきたので「失礼します」と言って、黒木は中に踏み込んだ。
「お呼びでしょうか閣下」
アール・ヌーヴォーを主体とした室内は日本にもあるような和洋折衷の近代的な造りだが、ところどころを彩る中国風の装飾が、島国からは遠く離れた異国の地であることを喚起させた。
内地から運ばれてきた備品。中国伝統の家具。洋風の窓手前には、将校服に身を包んだ帝国陸軍中将の背中が後ろで手を組んで立っている。注ぎ込む日の光が、彼の形に切り取られていた。
「
中将の言葉に黒木大尉は仰天し、悪夢に浮かされるような心境で言った。
「ですが日ソ中立条約は……」
振り返った中将は、柔和な顔付きの年配の男性だった。丸い縁の眼鏡を掛け、口や顎にひげを蓄えている。
「法だの条約だの、そんなものは人間が勝手に決めて守っているだけだ。絶対不変な宇宙の法則ではない」
窓際から中将が退いたため、外に広がるハルピンの街並みが見渡せた。帝政ロシアの香りがする欧風建築群に東洋の色彩が鏤められている。東方
「そこでだ」中将は大尉のほうに歩んだ。「頼まれてくれないか黒木大尉」
中央の食卓のところまできて、卓上に丸めて置かれていた満州の地図を片手で広げた。黒木に目を向けると、意図を察した大尉が地図を覗き込む。それを認めて将官は続けた。
「ソ軍は略奪を行いながら南下しているという。危険な任務だが、君には特別隊を率いて北上し、
「……なにもない場所のようですが」
上官が指差した箇所に視線を落として、黒木は遠慮がちに言った。実際、地図上にあるのは孤独な軍道と山林ばかりなのだ。
「いや、極めて重要なものがある」中将が大尉を見据え、厳しい語調で告げた。「地図は人が描いたものに過ぎんのだよ、黒木大尉」
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