第37話 顔を赤くして向かい合う
四月の始まった学園の神聖ヒロイン、八島鈴(やしま れい)と古谷三洋(ふるや みひろ)のなし崩し的同居生活は五月半ばをむかえて、一月が過ぎようとしていた。
桜の花も散り浮ついた気分も消えて、クラスメイトも落ち着きを取り戻した。二人の関係は事実上の公認状態となり学園ではチャチャを入れてくるものも少なくなった。
「ねえ、三洋。もう直ぐ中間テスト。それが終わったら体育祭だね」
朝食を終えてリビングでくつろぐ古谷三洋に八島鈴が告げた。最近は部屋にこもって癒やし系の動物動画を観ることがなくなった。公園で拾った黒猫のクロマルがミルクをピチャピチャとすすっている。
「八島さんのお陰でずいぶんと勉強がはかどるようになった」
「んんっ!三洋は何時になったら鈴って呼んでくれるのかな?」
八島鈴は歯ブラシを口に突っ込みながら口を尖らす。無防備な日常の素顔が眩し過ぎる。柔らかそうなピンク色の唇が目にとまり、古谷三洋は一瞬にして顔を赤くする。
「ごめん」
古谷三洋は一言謝って顔を下に向けた。あんな顔をされたら二人っきりだと言うことを意識してしまう。同居生活を始めて、だいぶ時間がたっているのになかなか慣れない。心臓がトクトクいっているのが触らなくてもわかるくらいだ。
八島鈴が席を立ち、古谷三洋の座るソファーの前で屈みこむ。見上げるようにしてジッと彼の顔を覗き込んだ。
「ごめんじゃないでしょ、三洋。ちゃんと鈴って呼んで欲しいよ」
染み一つない玉子のようなつるりとした顔に、大きな黒い瞳が乗っかって真っすぐ古谷三洋を見つめている。口に突き刺さった歯ブラシの柄をモゴモゴさせて喋る姿が小動物みたいで可愛らしい。
「れ、鈴。今日は土曜日でお休みだけどどうする?」
八島鈴は歯ブラシで膨らんだホッペに指を突き立てて考え込む。
「んーん。ずっと中間試験の勉強ばかりだったから気晴らしにお出掛けしよっか」
根が真面目な古谷三洋は、夏休み明けに行われる全国模試での八島和人(やしま かずと)との勝負に備えて勉強ばかりしていた。おかげで、ただでさえ青白い彼の顔は、日に当たることなく真っ白だ。
そう言われれば、ここ一月、平日はともかく休みでも八島鈴は古谷三洋の勉強に付き合って外出していない。ゴールデンウイークも家で過ごした。二人ともそれなりに目立つ顔をしているので、出かければ落ち着かない状態になるのはわかっているが、余りにも不健康だ。
「そうだなー。鈴は何処か行きたいところでもあるのか」
「うーん。初デートだもんね。やっぱり遊園地かなー」
「遊園地かー。中二の夏休み以来だなー」
「んんっ。誰と行ったのかな。もしかして工藤瑞穂(くどう みずほ)ちゃん?」
「ふっ、二人っきりじゃない!あの時はグループだったし」
しどろもどろになる古谷三洋を八島鈴は可愛いと思った。
「よし。じゃあ、三洋の初デートは私ってことで良いんだよね」
「そうなるかな」
「私も初デートなんだ」
そう言い残して八島鈴はキッチンに向かった。コップに水を注ぎ歯磨き後の口をすすいでいる。妹と違って大きな音を立てたりしない。長い髪をかき上げて耳にのせる姿が美しい。
古谷三洋は、窓辺から差し込む朝の日ざしを受けて輝く八島鈴の黒髪を後ろから見つめる。歯ブラシを口に入れたまま喋るオチャメな八島鈴も可愛いが、女神のような姿にも惹かれる。
目の前に現れたクロマルを抱きかかえる。
ミャー。
「初デートかー。緊張するな。クロマル、残念だけどお前はお留守番だぞ」
ミャー。
八島鈴がハンドタオルで口元を拭きながら戻ってくる。
「三洋、髪が少し伸びたよね」
古谷三洋は自分の前髪をつまむ。
「そうだな」
「お出かけ前にちょっと切ってあげるね」
古谷三洋は八島鈴に再び髪を切ってもらうこととなった。二度目だから少しはなれても良いはずなんだけど全然落ち着かない。ドアップで顔が近付いてきたかと思えば、一瞬胸がほほに当たったりとか。頭を触られる指の感覚とか。ハプニングにドキドキが止まらない。
「ねっ、三洋。産毛が生えているよ。顔剃りもしてあげよっか。えっと、その代わり・・・。終わったら・・・。私の産毛も、その、剃って欲しいんだけど」
顔を赤くして向かい合う八島鈴と古谷三洋を見上げるクロマルだった。
ミャー。
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