第10話 幼なじみの喪失

「うん。うまい」


 シンプルなお粥だけど、ほんのりとしたお米の甘みが口の中に広がって心地よい。古谷三洋(ふるや みひろ)は八島鈴(やしま れい)に向かって笑顔を浮かべた。


「お米から炊いたのか」


「炊飯器にお粥モードがあったから」


「そっか。色々なモードがついているが、さっぱりわからん。使ったこともない。でも、おいしいもんだな」


「うん。おいしい。元気が出てくる」


 ダイニングテーブルの向かいに座る八島鈴はスプーンを口に入れたままにっこりとほほ笑み返す。


 なるほど。おいしいのは単にお粥の味だけじゃないか。彼女の顔を見ていると自然と自分の顔も緩む。


 八島鈴。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能。近寄りがたい存在だと思っていたが、案外と家庭的な所があるんだな。


 たくあんを切っている姿なんて思い浮かばなかった。彼女が切ったたくあんに箸を伸ばすと、タイミングが重なってしまう。


「あっ」


「あふっ」


 互いの箸と箸がぶつかりそうになって互いにあわてて引っ込める。


 顔を見合わせて声を出して笑う。


 アットホームな家庭って感じがする。


 しばらくぶりの手作りの食事。一人暮らしを始めてからついつい面倒になって学校帰りのコンビニ弁当やインスタントで済ましていた。


 栄養が偏っていたのかな。だいぶ体が弱っていたような気がする。反省せねば。


 手作りの茶わん蒸しも、焼き立ての鮭の切り身も程よい味つけでおいしく、できあいの品とはまるで違う。


 ヤバいわ。僕が平凡な男だと言う、自分のポジションを忘れてしまいそうだ。八島鈴の魅力にメロメロになってしまうじゃないか。


「ねっ。古谷くんは髪を切った方がいいと思うんだけど」


「そうか。僕らしいと思うんだけど」


「そうかなー。全然、うん、まったくもって似合ってないと私は思うよ。古谷くんの素顔はけっこうイケていると思うんだけどなー」


「床屋に行くのもめんどくさいし」


「じゃあ、私が切ってあげる」


 八島鈴は瞳をルンルンに輝かしている。


「いいよ。恥ずかしいし」


「古谷くんってモテたいとか思わないの」


「俺、女子とか苦手だから」


「うふっ。男の子が趣味とか?」


「ぶっ」


 古谷三洋は思わず吹き出してしまう。


「言っとくが変な趣味とかないから。僕は至って真面(まとも)だ」


「冗談だよ」


「冗談か。なら良いけど」


 八島鈴は、口をへの字にする古谷三洋を可愛いなって思った。


「なんで女の子が苦手なの」


「昔、色々とあってな。幼なじみの女の子を泣かしてしまった」


「その娘(こ)のことが好きだったの」


「どうかな。いずれにしても昔のことだ」


「気になる!」


 あまり思い出したくない過去の話だ。その娘(こ)はもう引っ越してしまったし、連絡をとる手段もない。いずれにしたって、あんな思いは二度としたくない。


「八島さんこそ、彼氏とか、その、いないのか」


「気になる?」


「・・・。クラス中の男子が気にしている」


「うーん。彼氏かー。いたことない」


「えっ!」


「なんで驚くのよ」


「ごめん。でも八島さんくらい美人なら言い寄ってくる男子もいっぱいいるかなーなんて思って。そのー、選り取り見取りと言うか・・・」


「私はそんなに軽い女じゃない。私の外見目当てでギラギラした目を向けてくる男子は正直うざい」


「そっか。美人も大変だな」


「古谷くんはそうじゃないから好きかな」


 ドキッとするようなことを言わないでくれ。


「好きとか軽々しく言ったら勘違いするだろ。追い出すぞ」


「ずるい。追い出されたら行くとこないもん」


 八島鈴は、ほほをぷっと膨らましてむくれた。学校では決して見せない、あどけない表情にオロオロするしかない。


 僕は、無心になってミルクを飲む黒猫の赤ちゃんを床に手を伸ばして抱き上げる。


 ミャー。


「気が済むまでここにいれば良いさ」


 ポツンと告げたが、たぶん・・・僕は彼女にここにいて欲しいと思っている。


 いや、たぶんじゃない・・・。このまま時が止まってしまえばと願っている。


 ふと、幼なじみの工藤瑞穂(くどう みずほ)の顔が思い浮かぶ。


 中三の夏休み明けにとつぜん大阪に転校してしまった彼女。連絡先を告げることなく彼女は消えた。


 幼なじみの喪失で心を軋(きし)ませた過去。あれから一年半が過ぎていた。

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