心が読める少年と、心を持たない少女の話

フクロウ

心が読める少年と、心を持たない少女の話

 全世界の八割の人間が、かつて人類が持つことのなかった『特殊能力』を所有している世界……。

 特殊能力の効果は様々であり、まさに過去の漫画や小説に登場するファンタジーなものから、いつ使うのか見当もつかない使い勝手の悪いものまである……。


☆彡


 少年は、視界に入った人間の心を読む特殊能力を持っていた。

 しかも、かなり深くまで。

 その少年の視界に入ったら最後、自分でも分からない深層心理を裸にされてしまう。

 故に、少年に友達と呼べる人間はいなかった。


「友達になろう」


 そう言ってくれた人間はたくさんいたが、少年の視界に入れば、どんなにいい人間でも、必ずどこかにある悪い心が少年には見えてしまう。

 つまり少年からしてみれば、全人類が『猫を被っている』ようにしか見えないのである。 猫を被っていると丸わかりの人間に、いい印象を受けるはずもなく、少年はひたすらに人とのつながりを拒み続けた。

 もう一生自分には友達なんかできないだろう。

 そう思って毎日を過ごしていた。



 少女には、心がなかった。

 幼少期、両親の手によって裏社会に売られた少女は、『特殊能力を持たない人間に、人工的に特殊能力を埋め込む手術』の実験台になった。

 実験は成功し、少女は『身体能力の圧倒的向上』の特殊能力を得たが、代わりに心を失った。

 脳で身体に命令することはできても、心がないので自分で考えて行動することはできない。

 善悪問わず人の命令に従い、何食わぬ顔でどんなことでもやり遂げる少女は、いつしか裏社会では有名な殺し屋となっていた。

 自信の特殊能力を活かして、一瞬で仕事を終わらせ、人を殺めることに顔の筋肉一つ緩めない少女は、『悪魔』と呼ばれるようになっていた。

 そんな少女の元に飛び込んできた新しい任務、それは一人の少年の暗殺だった。

 話によればその少年は、将来この国を滅ぼしかねない驚異的な特殊能力を備えているようで、通常の人間は太刀打ちできないらしい。

 よって、人ではない『悪魔』に殺させようと国のお偉いさんが少女に依頼……いや、命令したのだった。 

 少女はただ命令に従うのみ。

 すぐさま少女は、どこにいるのかも分からない少年の行方を追い始めたのだった。


☆彡


「はぁ……おじさん方、何の用ですか?」

    

 ある日の夕暮れ、人気の無い路地裏で、一人の少年はそう口にする。

 少年の周りにはスーツ姿の大柄な男が三人。

 学校帰りの少年をこんなところまで連れてきたのは、この男たちだった。

 少年の質問に対し、男の一人が、


「悪く思うな」


 と、一言口にすると、三人はスーツの中から拳銃を取り出し、少年に向ける。

 普通なら慌てふためいてしまうこの状況、なぜか少年は冷静だった。


「やっぱりその手のことか……いいぜ、撃ってみろよ」


 ため息をつきながら、口調を変化させて少年は言う。


「どうせ俺を殺しに来たんだろ? なら四の五の言わずにとっとと殺せよ。仕事は早い方がいい」


 笑顔を浮かべながらそう言う少年を前に、三人の男は拳銃のトリガーに指をかけた。


「話が早くて助かる。それでは遠慮無く……」


 ダンッッ!!


 ほぼ同時に発射される三発の銃弾。

 しかし、そのどの弾も少年に傷一つ付けることは無い。

 なぜなら、そこに少年の姿は、すでにいなかったのだから。


「どこ狙ってる? 俺はこっちだぜ」


 男たちは背後から聞こえるその声に、生唾を飲み込む。


「……噂通りだ。こいつに心を読ませたら、拳銃だろうがなんだろうが、武器はすべて無意味と化す……」


「そりゃーな。こちとら見たくも無い心まで見えちまうんだから許してくれ。てか、分かっていて俺に銃を向けたのか」


 少年は口元に笑みを浮かべながらそう言った。


「試しただけだ。我々は仮にもプロだ。これまでにもどんな特殊能力を持った相手でも、必ず任務は遂行してきた」


「噂は所詮噂。実際に自分の手で銃口を向けてみるまで分からない」


「だが、これではっきりした。こんな小道具を使ったところで、君には勝てない」


 男たちは少年の方を振り返りながらそう言うと、目を光らせた。

 これは比喩でも何でもなく、本当に目が光っていたのである。

 少年には、それが何を意味するのか手に取るように分かった。


「へー、それがお前たち兄弟の特殊能力ってわけか……」


 特殊能力、『焼却』。

 それがここにいる三人……兄弟の共通特殊能力だった(血の繋がりで特殊能力が被ることはよくある話である)。

 自分の目から放たれる光線に触れた対象を、文字通り『焼却』する。

 射程距離は5メートルだが、遠ければ遠いほどその威力は弱まる。


「んで、この近距離でお前らの『焼却』を喰らえば俺は瞬殺と……そういう考えなわけか」


「さすがは最強の読心能力を持つ男だ。話が早い」


「貴様にいくら心が読めようが、これだけ近ければもう避けられまい」


「我々の勝ちだ。最後の言葉くらいは聞いてやらんことも無いぞ」


「はぁ……またか……」


 勝ち誇ったような振る舞いを見せる男たちに、少年はため息を漏らす。


「前まで俺を襲ってきた奴らもそうだけど、お前ら『心が読める』ってことの意味を理解しなさすぎ」


「何だと?」


「構わん。やれ」


 男たちは光らせた目から太さ1センチほどの光線を少年の胴体に向けて発射する。


「阿呆ども」


 少年はそう呟くと、ポケットからガラス片を取り出し、男の目から出る光線に当てる。

 すると、光線がガラス片を通して屈折し、隣にいた男の目を焼いた。


「ぐわぁぁあああああ!」


 断末魔が路地裏に響き渡る。

 同時に、動揺したのか二人の目から出る光線も止まり、少年の出したガラス片は地面でドロドロに溶け出していた。


「おー、さっすが『焼却』。一瞬で失明したよその人」


「貴様ぁぁああ!」


「いつの間にガラス片を!」


「さぁな。そんなことより勉強になったか? 心を読むってのはこういうことを言うんだ。あんたらが俺の視界に入った時点で、勝敗は決まってたんだよ」


 そう、男たちが下校中の少年に接触してきた時点で、少年は男たちのすべてを把握していた。

 彼らの保有する特殊能力の詳細、そして弱点。

 男たちは実力者には違いないが、実力のある者ほど自分の『弱点』を克服しようともがくものだ。

 それらの経験は『記憶』となって、『心の中』にストックされていく。

 少年の持つ特殊能力は、そういったところまで全て見えてしまう。

 つまり、男たちは自分の姿をさらすことで、自らを倒す攻略本を少年に与えてしまったに過ぎないのだ。


「この……化け物がぁぁぁあああ!」


 男の一人が再び目を光らせ、少年に光線を浴びせようとする。

 しかし、所詮それは平たく言ってしまえば幅1センチの『線』である。

 心を読んでしまった少年にとって、その線がどこに向かい、どこを狙ってくるのか手に取るように分かる。

 そうなってしまえば、避けるのはそう難しいことでは無かった。


「だから……見えてるって言ってるだろ」


 少年は光線を避けながら、制服の胸ポケットに手を突っ込み、一本のボールペンを取り出した。

 そして、あっという間に男に近づくと、男の上顎に向けてボールペンを思い切り突き上げた。

 否、突き上げるフリをした。

 ボールペンの芯は男の上顎をかすかに貫き、少量の血が垂れている。


「う……あ……」


 目を失った男以外の二人の目からは、すでに戦意が失われていた。

 少年は三人を睨みつけ、静かな口調で、


「……人殺しはしたくない。さっさと立ち去ってくれ」


「わ……分かった……」


 無傷の男が弱々しくそう言うと、少年はもう一人の男の上顎からボールペンを抜き、解放する。

 二人は失明してしまった男一人の肩を取り、弱々しくその場から退場していった。



 これは、極めて深いところまで心が読めるという特殊能力を持った故に、裏社会で暗殺を企てられている少年のよくある日常の1ページに過ぎない。


☆彡


 翌日、少年が通う学校に、とある一つのニュースが飛び交った。

 どうやら、今日からこの学校に転校生がやってくるらしい。

 噂によればその転校生は超美人のようで、学校内では朝からその話題で持ちきりだった。

 特に少年のクラスは、校内でも群を抜いた盛り上がりを見せていた。

 それもそのはず、少年の所属するクラスこそが、転校生がやってくるクラスなのだ。

 クラス内では、嬉しさのあまり歓声を上げる者、隣の席に来いと懇願する者、一部の女子からは嫉妬心のあまり舌打ちが漏れてしまう者など、多種多様な反応が見て取れた。

 しかし、そうして周りが騒がしくする中でも少年は特に何も反応を見せず、眠たげな目をして本を読んでいた。

 少年にとって、転校生なんかどうでも良いのである。

 少年の特殊能力によって、人の心は少年の前では裸にされてしまう。

 それには、どんな善人にでも必ず存在する心の闇も含まれる。

 今でも少年には見えていた。

 クラスメイトの男子の一部が、『転校生を犯したい』と心の中で思っていることや、女子の中には『私の中島君を誘惑したら殺してやる……』と物騒なことを考えている者もいるということが。

 まぁ、この手のことなら少年にとって日常茶飯事なのでいまさらどうと言うことは無いのだが、この能力のせいで少年が極端な人間不信になってしまっているのは事実である。 今回の転校生も、心の中に潜む闇が見えてしまった時点で、少年にとって風景同然の存在となってしまうだろう。

 だから少年は気にしない。

 転校生だろうが、美人だろうが、少年の心は揺らがない。

 心が見えてしまったら、それで最後だ。


「お前ら、さすがにうるさいぞ。席に着け」


 ホームルームの時間が近づき、クラスの盛り上がりが最高潮に達した時、そんな声と共に教室の扉が開いた。

 席を離れ、好き好きに盛り上がっていた生徒たちは、大人しく自分の席に着き、そわそわと転校生の発表を待つ。


「はぁ……。どっからそういう情報が漏れるのかは知らんが、お前らも知っての通り、今日からこのクラスに転校生が来る」


「「「「「うおぉぉぉおおおおお!!」」」」」


 無駄な雄叫びを上げる男子多数。


「猛獣かお前らは! まぁいい、入ってきなさい」


 担任の指示で静かに教室に現れたのは、長い黒髪を持ち、目鼻立ちが整った噂通りの美少女だった。


「……です。よろしく……」


 転校生の少女は教壇に立ち、小さな声で自己紹介する。

 あまりに小さな声だったので、一番後ろの席に座る少年には名前を聞き取ることはできなかったが、それ以前に少年は目を丸くしていた。

 少年にとって、生まれてこのかた見たことの無い光景が、視界に広がっていた。


(心が……読めない……!?)


 そう、視界のど真ん中にいる少女の心が、見えないのである。

 少年は担任の方に目を移すと、これはいつも通り鬱陶しいくらいストレスの溜まった担任の心中が目に飛び込んできた。


(特殊能力の調子が悪いってわけじゃなさそうだな……)


「君の席は……そうだな、あそこに座りなさい」


 そう言って担任が指さしたのは、少年の隣だった。

 少女は無言で、誰にも目を合わせることは無く席に着いた。


☆彡


 何事も無く四限の授業が終了し、昼休みになる。

 途端、一斉に少女に押し寄せる生徒たち。

 出身地、前の学校、好きなこと、その他諸々質問攻めに遭うが、少女は何も答えない。

 これはこれまでの休憩時間にも見られた光景だが、いつの間にか少女に喋らせたら勝ちというルールが男子の間でできあがっており、質問をエスカレートさせていった。

 隣にいる少年からしたら、うるさくて迷惑極まりない。

 しかし、それでも少女は一言も口にしなかった。

 それどころか、授業中には当てられたら「分かりません」と一言口にして座る。

 国語の授業で「読んでみろ」と先生に言われても決まって「分かりません」だった。

 これはクールを通り越して、ただの馬鹿なのでは無いかと女子の間ではささやかれているのだが、そんな少女も今回の質問攻めは流石に鬱陶しく思えてきたのか、人だかりができる中、ガタンと音を立てて席を立つ。

 そして、なぜだが少年の方を指さす少女。


「この学校に来て、私が興味があるのはこの男だけです」


「……は?」


 これにはたまらず、普段から無口を決め込んでいた少年も驚きの声が漏れる。

 そして同時に、表情が絶望に変わる男子生徒たち。


「散ってください」


 少女が一言そう言うと、男子生徒集団は、渋々少女から離れていった。


(なんだ……今の……)


 男子生徒が肩を落とす中、少年は再び目を丸くしていた。

 一瞬だが、少女の心の中が見えたのである。

 しかし、見えたのはたった一つ、『服従』の二文字のみ。

 普通人間というものは、たった一つの心で動かされるものではない。

 例えば、ご飯を食べる時、『腹減った』『美味い』『不味い』『もっと食べたい』『お腹いっぱい』等々、色々思うのが通常の人間だ。

 だからこそ少年は日常生活にとってこの特殊能力が鬱陶しくて仕方ないと感じているのだ。

 たった一つの心で動かされている人間など、存在しているはずが無い。

 しかも、その一つが『服従』。


(誰かに……動かされているのか……?)


 少年は少女に対する不信感を募らせたまま、今日一日を過ごすこととなった。


 そして放課後、いつも通り少年は一人で下校する。

 これは自分に降りかかる火の粉に、他人を巻き込まないようにするための配慮だ。

 昨日のような闇討ちは、少年にとっては少なくはない。

 さらに昨日の奴らは人気の無いところに連れ出したから良かったものの、町中でいきなり特殊能力をぶっ放す連中もいないとは限らない。

 だからこそ、少年は人の少ない道を通学路に選んでいる。

 しかし、人は少ないと言いつつも、いないわけでは無い。

 そして当然、少年の視界に人が入れば、その人の心が少年に見えてしまう。

 少年が警戒心を強めたのは、道でたむろしていた現場作業員二人の心を見たときだった。


『見たこと無い美人がこんなとこ歩いてる……』


『西高の制服だな……』


 作業員の視線は、少年の背後10メートルほどを捉えていることを確認し、少年はその場を通り過ぎる。


(俺の学校の制服で美人……か。確定だな……)


 少年はそう思うと、家に帰るルートを変更し、さらに人気の無いところへと歩みを進めた。

 そうして歩き続けること約五分。

 街頭が一つも無く、辺りが暗くなるこの時間ではほとんど誰も通ることは無いトンネルにたどり着いた。


「どうして俺を追い回す? 転校生」


 少年は振り返ると、案の定そこに立っていたのは、転校生の少女だった。


「……その質問は回答可能です。あなたを殺すためです」


「へへ、俺にしか興味ないって言ったのはそういうことかよ。美人に告られたかと思ってちょっとドキドキしちゃったのが台無しじゃねーか。どうしてくれんだ?」


「……」


(だんまりか。心も見えない)


 少年は、再び少女の心の内を呼び覚まそうとしていた。

 狙いはただ一つ。

 少女の弱点を探ることだった。

 少年の特殊能力は確かに強力だが、心が読めない相手に対しては全くの無力。

 今の状態では、少年に勝ち目は無い。


「なぁ、お前好きな食べ物とかは?」


「……」


「趣味は?」


「……」


 なんとか心を引き出そうと、とりあえず思いついたことを聞いてみる少年だったが、少女の口は閉ざされたままだった。

 当然、心が見えることも無い。

 探りを入れながら少年は考える。


(やっぱだめか……昼間に一瞬見えた『服従』の心……にわかには信じられないが、もしかしたらこいつ本当に、それだけで……?)


 と、次の瞬間、


「執行」


 少女の口から静かに漏れたその言葉。

 同時に、少年の目の前から少女の姿が、消える。

 いや、正しくは少女がこれまで立っていた場所、少年より10メートルほど離れた位置から、姿を消したのである。

 では少女はどこに消えたのか。

 その答えは、少年には瞬時に理解することができた。


「なんだと……!?」


 なぜなら少年の目の前には、拳を構える少女の姿があったからだ。


(一瞬でこんなところまで……! こいつの特殊能力は……身体能力の向上か……!)


「殺します」


 少女がそう言うと、自らの拳を少年の左胸に振り下ろした。

 少年はとっさの判断で、自分の腕を左胸の前に置く。

 少女の拳が、少年の腕に接触した瞬間、少年は6メートルほど後方に吹っ飛ばされる。

 と、同時に少女の拳が当たった左腕に激痛が走る。


(痛ってぇぇぇええええええ! なんだ今の……殴られただけで……骨が……)


 少年の左腕の骨は、完全に折れていた。

 しかし、少女の拳が少年の左胸に直接当たっていた場合、少年の心臓はその鼓動を停止していただろう。


(九死に一生を得た……でも、次は……無い!)


 少年はゆっくりと立ち上がり、口を開く。


「効いたぜ……てか、左腕が死んだよ。これだけの強化系特殊能力なんて、見たことも聞いたこともねぇ……転校生、お前誰に雇われてここにいる……?」


「その質問には答えられません」


 少女はそう言うと、再び少年に向かって攻撃を仕掛けようとする。


 しかし、


「だよなぁ……今のお前には『服従』の心しかない。おいそれと自分の主の情報を喋るわけないよなぁ……」


 少年のこの言葉に、少女の動きは止まった。



「ココロ……ココロとはなんですか?」



 少女は無表情で淡々と質問した。

 少年もこの言葉を受けて、目を丸くする。


「心を……知らないのか?」


「知らない……ココロ……聞いたこと無い言葉です……」


「……それじゃ、お前はどうして俺を殺そうとしているんだ?」


「それは、あの人が私に命令を与えてくれたからです。私はそれに従っているだけ」


「それなら、それがお前の心だよ」


「私の……心?」


「そうだ。俺は視界に入った人の心を見ることができる。普通の人間なら鬱陶しいくらい色んな心が見えて仕方が無かったが、不思議なことに今朝お前を見たとき、心が一切見えなかった。しかし昼休みの時、一瞬だがたった一つの心を見ることができた」


 少年は、右手の人差し指を立てながらそう言った。


「私の……たった一つの……?」


「『服従』だ。誰かの命令に付き従うことが、今のお前の行動理念になってるんだよ」


「服従……当然です。私は、命令を受けて動いているのですから」


「でもそれだけだ。通常の人間は100を楽に超える心が見えるはずなのに、『服従』の心だけでお前は構成されてる……一つ質問なんだが、最近自分で考えて動いたりした?」


「……」


「やっぱりな。お前は自分で考えることが必要な質問に答えることができない。どう育てられたらそんなサイボーグ人間ができあがるのか知らないけど」


「……一つ質問してもいいですか?」


 少女は俯きながら少年に問いかけると、少年は小さく頷き少女の元に近づく。

 すると少女は顔を上げ、少年の目をまっすぐ見据え、口を開いた。



「私は……人間ですか?」



「いや、違うな」


 少年はこの質問に、少しも考えるそぶりを見せず、即答した。


「身体の構造自体は、俺たちと何も変わらない人間だ。でも、人間は心を持つもんだ。心を持たない人間はただの人形だ」


「人形……私は人形……」


「だが、人形も心があれば人間になれる」


「ココロ……すごく興味深いです。どうすれば私にココロが身につくのでしょうか? 私は……人間になりたい!」


 その言葉が放たれた瞬間、心が一つも見えなかった少女から、ある一つの心が現れたのが、少年の目に映った。


「『探究心』……」


 そう。

 少女の心に現れたのは、『服従』ではなく、少女が自身のココロについて知りたいという『探究心』だった。


「タンキュウシン……とはなんですか?」


「今お前が感じてる、物事を知りたい、身につけたいと思う心の一種だ。その『探究心』がお前の心に芽生えたのが見えた」


「それでは私は……ココロを一つ身につけたということですか?」


「そうだ。『探究心』はありとあらゆる心の中で、一番最初に生まれるものだ。全ての心は『探究心』が元になっていると言っても過言じゃない。良かったじゃないか、ようやく一人の人間としての入り口に立てたんじゃないか?」


「これが……このココロを知りたいと思うことが……『タンキュウシン』……」


 少女は自分の胸に手を当てる。

 そして、これまで動くことの無かったその口元が、かすかに緩んだ。


「ほらな、こんなに簡単に心は身につくのに、どうしてお前は『服従』だけで生きてこられたんだ」


「それは……分かりません」


「お、成長したな。この手の質問にはだんまりだったのに、ちゃんと自分で考えて喋ってる」


「あ……」


「そういうリアクションも、ついさっきまでは無かったぞ。だが教えといてやる。心ってやつは、経験が物を言う。今だって『俺と話す』という経験が無ければその『探究心』は生まれなかっただろ」


「経験……私は何を経験すれば……?」


「簡単だ。『人間』を経験すればいい」


「人間……?」


「普通に学校に行き、普通に友達や家族、ご近所さんと接する。それだけでいい。せっかく転校してきたんだ。俺を殺すことばかり考えてたんじゃ、学校生活つまらないぜ?」


 少年が右手の親指を立てながらそう言うと、少女は小さく首を横に振った。


「ダメです……私は人との接し方を知りません……私がココロを得るために人のココロを傷つけてしまうかもしれません……」


「だから俺がいるんだ。偉そうに人との関わりを語っといてなんだが、こちとら特殊能力のせいで人の顔もまともに見られない。それどころか自分から人を避けて生きてるんだ。でもお前なら、お前ほど心が綺麗なら、俺は見ることができる。人と関わることができるんだ」


 少年は、少女を初めて見たときに思った。

 心が見えないのは不可解極まりなかったが、同時に何色にも染まっていないクリアだと。

 少年はその心に魅力を覚えていた。

 良い心を持っている訳ではない。

 悪い心を持っている訳でもない。

 その特殊能力によって極度の人間不信に陥っている少年にとって、唯一まともに関わることができる存在が、あの転校生の少女だった。


「だからお前が俺を殺しにかかってきてると聞いて、今も絶賛ヒヤヒヤ続行中だが……どうだ? まだ俺を殺す気か?」


「それは……当然です。命令ですから」


「やっぱりそうか」


 少女の心の中には、これまで培ってきた『服従』という心が根付いている。

 少年は右腕を広げ、笑顔を見せながら口を開く。


「いいだろう。殺せ。自分の任務を遂行しろ。今度はちゃんと左胸に当てろよ?」


 少女は再び、拳を握り込む。

 そして、言葉を交わすこと無く少年の左胸に自身の右拳を撃ち込んだ。



「許して……下さい……」



「それは誰に対してだ?」


 少女の拳は、少年の身体には当たってはおらず、空振りに終わっており、バランスを崩した少女の身体は少年に抱き留められる形で制止していた。


「私に命令をした人です……できません……私には……あなたを殺せない……」


 小さな声でそう言う少女の頬に一筋の水滴が走ったのを、少年は見逃さなかった。


「いいか、それが『辛い』って心だ。胸がはち切れそうだろ?」


 少女は小さく頷く。


「それじゃ、顔を上げろ」


 少年がそう言うと、少女はゆっくりと顔を上げる。


「俺からの新しい命令だ。人間生活を楽しむんだ。そして優しくて強い心を持つんだ。それまで俺を殺すという命令は一時中断とする。できるか?」


 少年は、少女に優しく問いかける。

 少女は、涙を拭い、その端正な顔立ちによく似合うとびきりの笑顔を少年に向けた。



「……はい!」

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