晴れた日にレインコートを

堺栄路

承前 すこし遡って

承前

 

 白い床に、血と骨と内臓と吐瀉物が絨毯のように広がっていた。

 人間の身体を特殊な刃物で分断して、ミキサーにかけたものをぶち撒けたような有様だった。

 それは虐殺の痕。一体何人の人間を材料としたのかも判然としない。ただ分かるのは意図的に作られたものである、という事である。ただ殺すだけなら、銃で眉間を撃ちぬけばいい。

 その事務所の端に、まだ命尽きていない者が三人いた。

 そのうち二人は男だった。明らかに表の社会に住む者ではないことが見て取れる血まみれの男たち。彼らの体には目立った外傷はなく、返り血であることは明白だった。

 その男たちに囲まれて、嬲られていた形跡の見て取れる女性が倒れていた。

 服はボロ切れのようで、肌は赤紫色に変色している。アザにまみれた目はうつろで、焦点が合わない。何か薬物が使われていることは、腕に残る注射痕が物語っていた。ブツブツと何かを呟いているが、聞き取ることは出来ない。

「さあて、仕上げだ」

 男のうちの一人が、壁際に転がしておいた登山用バッグから、細長い金属板を取り出す。

 もう一人が、女の顔を金属バットで殴りつけた。無造作なように見えて、殺しきらない殴り方だった。骨にヒビの入った嫌な音。女の身体はいともたやすく床に転がった。桃色の塊に頭から突っ込み、髪に血濡れのミンチが絡みつく。

 女の開きっぱなしの手に、ゴム玉のようなものが転がってきた。視線を動かしてそれを見た。目玉だ。脳漿のはみ出た頭から、だらり垂れている。

 嗚咽が漏れ、女の瞳から涙で滲む。腕を使って立ち上がろうとするが、薬のせいで力が入らない。血ですべり、肉の山から突き出ていた骨と唇がキスをする。胃液がこみ上げた。

 その後頭部を、金属の板を持った男がわしづかみにして持ち上げる。肢体はすでに、操り人形のように力が抜けている。

「ほら、座れよ」

 壁に投げつけられる。頭をぶつけ、そのままうなだれる。肩に冷たい金属が当てられた。虚ろな目をぼんやりと動かす。

 それは、ノコギリだった。鋸がむき出しの肩に乗っかっていた。女の唇から、悲鳴とも嗚咽とも判別のつかないものが漏れた。

「依頼主はな、お前の命でなくて、腕を御所望だそうだ。“息子の命を奪った事を、死ぬまで後悔させてやる”とさ」

 ノコギリを握った男が薄気味悪く笑う。

 もう一人の男が注射器を取り出した。

「もうロクに動けやしねえだろうが、事の最中に舌でも噛み切られたら堪らねえからな」

 慣れた手つきで首を掴まる。針からドロリとした液体が体の中へ入っていくのを感じた。何度も打たれたものと同じ。これを打たれると、意識が、混濁とする──。

 即効性の薬物が、感覚を奪っていく。

 触覚が鈍くなり、嗅覚も麻痺をした。すると残った味覚と聴覚、視覚が鋭敏になっていく。

「いやだ、いやダいやだイやだ……」

 口内が酸っぱい。見たくないと目を瞑る。けれどすぐ、男たちに目を広げさせられ、頭を肩へ向けて固定される。

 男がノコギリを引く。

 ぞり、と鈍い感触がした。ぶちぶち、と、血管の切れる音。それさえも聞き取れてしまう。

 自分の中に金属の板が食い込んでいく。その異様な光景から目を逸らしたい。耳をふさぎたい。痛みはほとんどしない。それが現実の光景じゃないように思えたが、繋がっていたはずの腕が切れて、取り返しのつかないことになっているという感覚と、切断面を流れる血の熱は、まぎれもない本物だった。

 次第に肉質とは違う、もっと硬い物を削るような音が聞こえて来た。その音と、めくれ上がった真っ赤な切断面、骨の白さがが脳にこびりついていく

 その音が収まりしばらくすると、腕が一本転がり落ちた。

 まるで死体のように、腕の切り口からじんわりと血溜まりが出来ていく。

 ウツロな瞳でぼんやりと眺める。

 涙が溢れた。嗚咽が零れた。

「わ、たしの、うで……」

 残った手で触れようとするが、首を掴まれたままでは体の向きを変えることすら出来ない。

 男が止血材を切断面に塗りたくる。応急処置だ。なんのためか、疑問に思う余裕さえ女にはない。ただ離れ離れになった自分の腕を眺めていた。

「寂しがることはねえよ。すぐにもう一つとご対面だ」

 もう一方の肩に、ノコギリの刃が触れた──。

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