洞窟に登る朝日

要領の悪い

プロローグ

 目の前に広がるは水晶の輝く街並み。その光景に心から関心しつつも常に不安と未知の世界への恐怖があった。時が進むにつれ不安は大きくなり、恐怖は目に見える形へと成長する。ただ私の内なる好奇心が勝る今だけは竦む足も動かす事は出来ている。

 目の前を共に歩く彼は突然立ち止り呟く。

「黒須明衣、どうか彼らを……」

「ん?」

 疑問符を出すと彼は振り返った。歪んだ顔に光の無い目玉が私かその後ろの空虚を眺める。

「恨まないでやって欲しい。君の慈愛の念には感謝して」

 言葉が途切れると同時に彼は壁に寄り掛かり静止する。遠くから聞こえた甲高い乾いた音と穴の空いた頭部を見れば理由は明白だ。

 私の足は竦んでしまう。何故動かないのだろうか。恐怖か、それとも彼に対しての悲しみだろうか。それはない。私はそこまで長期間交流したつもりはないし何か恩がある訳でも無いからだ。


 目が覚める。今見たのは遠い昔の記憶だ。目の前にあるのは死体ではなく仕事用のパソコンでニュースサイトの画面が映っている。

 立ち上がって背伸びをすると「今」の記憶が蘇る。私はこの大学の准教授であり、ここは私の部屋である。主な仕事は、たまに来る暇な学生の相手をする事だけだ。

 ふと振動を感じて身構えた。今日は土曜日なので生徒は殆ど出払っている筈。だとしたら教師の誰かだがこんな足音を立てる乱暴な者は知らない。このフロアには私ぐらいしか居ないので重い腰を上げて出迎えようとすると、扉の窓から颯爽と走り去る影が見えた。そして戻って来た。

「こんにちは。新聞屋です」

 淡いピンク色の上着を着た少年が扉を開けずに姿勢を正して挨拶してくる。この学校ではセキュリティ面が恐ろしく強化されており、誰も私の許可無しには侵入出来ないのだ。声を上げて解錠している事を伝えると律儀に礼をして入ってくる。

「いやーー、この大学、無駄に広くて探しましたよ。何か静かだからここ見て居ないなら帰ろうと思いました」

 来客用の椅子に案内して紅茶を差し出した。「新聞屋」の少年、三島は新聞社に勤めている。年齢は私の一つ下らしいが物腰低く、誰に対しても敬語で接する。とある遺跡に興味を持ち出した事で私の元をよく訪ねるようになった。

「造作さんに頼まれたのかい」

 首を横に振る。造作さんは彼の上司だ。

「今度聞くって言って先延ばしにしていた貴方の冒険譚なんですが時間があるなら今聞こうと思いまして。大丈夫ですか?」

 なるほど、それなりに長い話になることは承知の上で来たのか。幸い今日は暇を持て余している。

「いいよ。どこから話そうか」

「そうですね。では、タイムマシンを手に入れるまでで」と綺麗な笑顔で答える。

「困ったな。『どこから』の答えとして不適切だぞ」

「うーん。じゃあ全部で」

 『全部』の範囲は私の解釈だと、地下の冒険を基準とした半生を語る事になりそうだ。少年時代に見たあの夢から始まる遙かなる先史時代の研究と結果。それは文字通り半生に渡る大仕事ではあるがまだ研究は終わりを見せない。

 そう、タイムマシンを手に入れた遺跡の調査は楽しかった。勿論、辛く悲しい経験もしたけれどあれ程胸がときめく事は今後無いと断言出来るだろう。

 当時の研究資料をウェアラブル端末から呼び出して壁に掛けているモニターに映す。フォルダを開くと写真や論文が格納されたファイルがポップアップされ、その中に一つだけ不自然に置かれた画像ファイルを開いた。途端に壁いっぱいに地平線に登る日の出が映される。

 そう、これは遺跡から脱出した際に撮影した物だ。私は目を閉じて当時を思い出した。


 私は今、親愛なる友人とともに地平線より昇りゆく日を目にしている。地底から脱した事を祝福するかのようだ。きっと慈悲深い神が恐怖に打ち勝った事を褒めているのであろう。

「終わったね」

 飛鳥が不意に呟く。

「まだ、これからさ」

自分を鼓舞するように言った。

我々が体験したものは深淵のほんの入口に過ぎないもののこれは決して公にはならない。否、してはならない。この恐怖、醜さを罪無き地上の住人が知るのは可哀想すぎたからだ。

 ただ、これが非道い言い訳に過ぎない事など分かっていた。

人間はどんなに高く…そう、月や他の星々に行くことが出来たとしても地球の底に行くことは出来ない。本当は出来るのかもしれない。しかし行かないことは事実だ。私は決して恐れ知らずと言える性格では無かったが、先の見えぬその地の底に向かった。そこでは我々現代文明人には到底理解に苦しむ光景が広がっていた。光り輝く幻想郷、人々が天国と呼ぶものに近かったと記憶している。

かつて栄華を誇ったその地は私が来た時は確かに廃墟と呼べる状態であったが未曾有の生物。不思議な環境が私の好奇心を刺激した。

上記の通りでは公に出来ない理由とは言い難いだろう。しかし私の証言、そして仲間達が何よりの証明になるだろう。

元より、この探索は結果としては失敗だったろう。もっと計画的に行動すれば良いのだ。私の愚かさを悲願するしかない。そうこの話は好奇心に取り憑かれた何の取り柄もない人間の箱庭の冒険だ。

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