舞うが如く10話-終「大地蔵峠」


 かつての部下、ネストは死んだ。 

「……大馬鹿野郎」

 シキョウは呟くように言い、胸の内で果てたネストをそっと地面に降ろした。

 彼の肉体は屈強な見た目の割に軽かった。

 古傷の数々、色艶の悪い肌、そしてよく見ると、野獣の如き光を発していた目の下には隈があり、頰も心なしか削げていた。

 飢えた獣。喩えるなら、それが近いだろう。

「……人が鬼になれるものか」

 思わずシキョウは目を伏せてしまう。


 百鬼隊の解散は、在籍していた隊士達を路頭に迷わせた。野盗に落ちぶれた者がいれば、刀を捨てて別の人生を歩んだ者もいた。いずれにせよ、誰もが心の内に大きな空白を抱える事になってしまった。

 そんな中、ネストという男は復讐という燃料で空っぽの自分を動かしていた。

 百鬼隊をバラバラにした男。

 そのように仕向けた雇主。

 自らを用無しと切り捨てた世間。

 それら全てへの復讐の火を絶やさなければ、動けなくなる程、彼は追い詰められていた。


 もしかすると、決起軍に落ち着いたのは本当の偶然だったのかもしれない。復讐の炎さえ燃やせれば、シキョウという男に一矢報いさえすれば、彼はどこにでも行っただろう。


 足音が近づいてきた。

 まだ敵がいたのか。

 シキョウは気持ちを切り替えようと試みる。

 ゲンオウには予め銃を持たせていたが、もしかすると最悪の事態に陥っているかもしれない。


 急ぎネストの刀を持って振り返る。

 決起軍の兵士がゆっくり歩いてきていた。

 奇妙な歩き方だった。

 足はおろか、全身に力が入っていない。

 残った力で辛うじて動く操り人形だ。訝しむシキョウの目の前で、兵士は倒れた。


 よく見ると、首の後ろに銀色の光を放つ長針が刺さっていた。

「……余計なことをするな」

 シキョウは立ち上がり、兵士と同じ方角から来た人影に向かって言った。それも悔しさの滲んだ苦い顔で。

「露払いをしてやったのサ。誰かさんの為に」

 やって来た黒装束の女が薄い笑みを浮かべた。


「雑魚はみんな片付けた。ネストが死んだって報せは永遠に届かんヨ」

「まったく。情報屋は風聞だけ売り買いしていろ。何も暗殺の真似事なぞ……」

「その説教、三年前に聞き飽きたわヨ」

 シキョウが懇意にしている女情報屋は、手にした数本の長針を帯に収めていく。


「それより見たエ。旦那ったら、気合以外はほとんど負けとったねェ」

 コロコロ笑う情報屋に、シキョウは腹を立てかけて、すぐに気持ちを引っ込めた。

「否定もできない。奴が本調子だったら勝負は長引き、先にオレが音を上げて、負けていた」

「そンで、いつまでその暗い気持ちを引っ張るのサ?」

 情報屋の問いを受け、シキョウは片手で顔だけを覆う。


「心配するな。感傷なら今ここで捨てる」

 髪を後ろへかきあげて、立ち上がった。

 顔つきは、かつての首斬りだった頃のものに戻っていた。

「いつからいた?」

「旦那が斬り合いを始めた辺りから。ダ権守に頼まれて、旦那達の連絡役になる筈だったんだがね。決起軍に目を付けられて動けなくなってた」

「それでイハがアンタの代わりを?」

「というより、囮役さね。肝の据わった嬢ちゃんだエ。囮をやると言って聞かんし、とうとう亭主を根負けさせちまった。お陰で敵の目を躱して旦那に会えたし、あの女剣士だけでも先に街へ向かわせる事ができた」

 情報屋は街の方角へ顔を向ける。


 イカサ市の数カ所から黒煙が立ち込め、時折、くぐもった爆発音も聴こえてきた。

 始まってしまったのだ。恐れていた時が。

「ま、結局はこの有様なンだけど」

「止められなかった」

 シキョウは拳を握りしめた。

「遅すぎたんヨ、首を突っ込むのがサ」

 乾いた物言いをする情報屋だったが、目の奥には微かにではあるが、怒りが燻っていた。

「それでどうする、旦那?」

「愚問」

 シキョウは逢魔刻を鞘に収めた。

「戦う」


(続)


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