舞うが如く10話「大地蔵峠」

舞うが如く第10話-1「大地蔵峠」


 しばらく後、ナマズ公は山小屋を発った。密かに呼び集めていた国軍の部隊と合流し、鎮圧に向けて動き出そうというのだ。


 遠ざかる魚剣客の後姿を、ミズチはボンヤリと眺める。

 脳裏では、彼の問いが何度も繰り返し呼び起こされていた。


(なぜ迷うか?)

 ……出立前、ナマズ公はミズチを外に呼び出した。

「ミズチ殿。どうやら、迷いのせいで、心を乱されておるようだな」

「……はい」

 ミズチは正直に答えた。

「今のボクでは、あの男には勝てません。しかし、戦いは避けられない。勝たなければいけない。でも、先生でも太刀打ちできなかった相手に勝つには、ボクはどうすれば良いのでしょう?」

「ふむん」

 ナマズ公はしばしの間、触覚めいた口ヒゲを弄って考えた。

 やがて彼は、

「なぜ勝ちにこだわる」

 と、ゆったりした口調で返してきた。対するミズチは何も答えられず、そのまま固まってしまう。

「マシュマロという、一人の男だけに囚われるな。視野を狭めては、見えるモノも見えんぞ」

「……囚われている。ボクが?」

「そうだ。事態は剣客同士の勝った負けたの域を越えておる。つまりは戦だ。大勢の血が流れるし、我々はそれをできるだけ食い止めなければならない。ミズチ、お前の剣にこの街の人々の命運が掛かっておる。邪な男に勝とうとばかり気負っていてはならぬ」

 優しくも諭すような口調に、ミズチは緩んだ気を引き締めた。

「良いか、ゆめゆめ忘れるな。私情に流されたら最後、何一つ成せずに果ててしまうぞ。今は何を優先すべきか。もう一度、己に問え」


 ………


(ボクは……)

 ミズチは戸口に佇んだまま、先刻のやり取りを振り返っていた。

 ガボ師範を目の前で失った瞬間、彼女の中で糸がぷっつりと切れた。

 それからというもの、いつもの自分に戻れなくなっていた。

 いつもなら、向こう見ずにマシュマロ伯への逆襲に燃えていただろう。

 いつもなら、義憤に駆られて決起軍への対抗心を燃やしていただろう。


 それがどうした。今や自分は、無力な小娘に成り下がってしまっている。

 どうやら今までの自分は、剣客の紛い物だったらしい。


 肩を落として座敷に戻ると、ゲンオウが座って待っていた。彼の前にはボロ布を巻いたモノが置かれていた。

 ミズチはゲンオウに相対して座る。

 そして、問うた。

「それは……刀ですか?」

「見ての通りさね」

 老鍛治師は丁寧にボロ布を剥いだ。表れたのは紅色の鞘に収められた一振りの刀であった。

 ゆっくり手を伸ばし、静かに持ち上げるミズチ。釘付けにされていた目に、光が戻り始めた。

「もう二度と刀は作らん……なぁんて思っとんだがな。マガツの逢魔刻を打ち直したら、何だか無性に寂しくなっちまってよ」

 ゲンオウは鼻の頭を黒ずんだ指で擦った。

「んで、とうとう我慢できなくなって、コイツをこさえちまったってぇ訳よ。銘なぞ掘っておらん。斬れ味がどうとか、反りがどうとかも、知ったこっちゃあ無い。こいつはな、老いぼれが手前の気晴らしの為だけに打った、人を斬る道具だ」

 かちゃり。

 ミズチは刀を正面に立てると、鞘から刀を抜いた。姿を見せた白銀の刀身が朝陽を跳ね返す。

 見てくれは有り触れた形状であった。

 シキョウの逢魔刻ほど刃は厚くない。形状だって、かつて戦った女剣客の奇抜な刀達に比べると、あまりにも地味。ごくごく普通の刀。

 しかし、ミズチはこの刀から「何とも形容し難い」力強さを感じ取った。


「良いものです。今までに見た、どんな刀にも劣らない」

 静かにミズチは言う。

「よせやい。恥ずかしい」

「本当に素晴らしいと思っているんです」

 ミズチは刀を鞘に納め直す。

「ソレを作って分かった。けっきょく、オレって人間は、刀を作るしか能のねぇ男だとな。どうやら、行き着く先まで突っ走るしかねぇらしい。お嬢ちゃんはどうだ?」

「ボクは……」

 水を向けられたミズチは刀を握りしめたまま、老人に顔を向ける。

「ボクもそうだ。ボクには剣の道しかない。こんな所で、ウジウジと不貞寝している訳には行かない。やる事があるから」

 既に彼女は、打ちひしがれた娘から、一人の剣客に戻っていた。そして、答えを聞いたゲンオウは満足げに頷いた。


 …………


 刀を腰に挿したミズチは小屋の外に出た。

 そして固まった。

 見慣れぬモノが小屋の前に置かれていたのだ。

 四つの車輪と座席が備わっている所からすると、おそらく馬車だろう。

 しかし、馬は見当たらない。荷車だとしたら荷物を置く空間があまりにも狭いし、持ち手も付いていない。

 おまけに、背部に取り付けられた、紡績機めいた機械は何だ?

「お、おい。シキョウ。なにやらケッタイなモノがあるぞ!」

 すると、小屋の裏から声がした。

「こっちです。ミズチさん」

 急ぎ回り込んでみると、先に出ていたシキョウともう一人、ダ権守の若妻のイハが井戸の前にいた。

「どうしました。まだ寝ぼけているのですか」

 シキョウはニヤニヤ笑いながら尋ねる。

「うるさい。目はとうに覚めた」

「表のアレに驚いて、ですか?」

「人を世間知らずように見下して!何なんだアレは!?」

 ミズチはシキョウの両肩を掴んで前後に振り回す。

「自動車よ」

 苦笑まじりにイハが答えた。和服姿の古風な夫に対し、妻の方は、慎ましい色使いの洋装に身を包んでいた。

「ジドウシャ?」ミズチが目を丸くする。

「発動機の力で車輪を動かして走ってくれる、新しい乗り物!」

 夫人は平坦な胸をそらせて誇り始める。

「燃料さえあれば、好きなだけ走れるわ。これからは自動車が時代を、世界を作るのよ!」

「はいはい。この夫人は、その新しい時代の乗り物で、わざわざ僕らに差し入れを運んで来てくれたんです」

 シキョウは弁当箱をミズチに差し出した。

 蓋を開けると、雑穀入りの握り飯が納まっていた。


「……助かる、イハ」

 ミズチははにかみながら礼を口にする。

「礼は面倒ごとを片付けた後で、まとめて返してちょうだい」

「うむ」

 ミズチは目頭が熱くなってくるのを感じながら、握り飯を頬張った。

「がっついたら喉つまるよ。お茶もあるから」

「……うん」

 差し出された竹の水筒を受け取り、口の中の米を緑茶で胃袋に流し込む。

 それからミズチは井戸にもたれて座り、黙々と食べた。シキョウもイハも、ミズチを黙って見守るだけで一言も発しない。

 時間だけがゆっくり過ぎていく。

 こういう時、何を話せば良いのだろう。

 ミズチは迷いながら食事を進めた。


 場をつなぐために、たわいもない話でもするべきなのか。

 迷いに迷った挙句、彼女は沈黙を選んだ。

 それからしばしの間、三人は一言も口を利かなかった。ただ、時間だけがゆっくりと過ぎて行った。


「……フムン」

 徐にシキョウが明後日の方角に目を向ける。何かを察知したらしい。

 彼は腰に吊るした刀に手を伸ばす。

 状況を理解したミズチは、握り飯にかぶりついたまま固まった。


「どうしたのさ?」イハは首をかしげた。

「尾けられたようですね、夫人。別にあなたを責めるつもりなどありません。どんな手練れでも、ヤツを撒くことはできない」

 胡乱な昼行灯は、本性である人斬りに戻っていた。

「昨日の……んぐ……ヤツだな……もぐ」

「食べながら喋らない」

 すかさずイハがミズチを窘める。

 シキョウは真顔で振り返った。

「反乱軍はいよいよ決起するつもりらしい。ミズチさん。急ぎ、カクハ様や警察に、事の次第を伝えに行ってください。ダ権守様が国軍を連れて来るまで、まだ時間がかかる」


「貴様はどうする、シキョウ?」

 愚問だとミズチは己の発言を後悔した。陰のある横顔には、しっかり人斬りの意思が表れていた。


 ……………


「ネスト様。全員、所定の位置に着きました」

 短い騎兵銃を肩に掛けた男が、決起軍兵士ネストのもとにやって来た。


 昨晩は邪魔が入ったせいで、マガツとその仲間を逃してしまった。おまけに朝に掛けて降った雨のせいで痕跡も殆ど消えた。


 しかし、手掛かりはまだ残っていた。

 マガツの仲間だ。その中の一人、情報収集担当と思しき女が中立ちとして動き回っている事を、マシュマロ伯の部下が突き止めたのだ。

 そこから先は、芋づる式に分かった。

 協力者の中に大公側の人間がいること。

 密かに国軍の鎮圧部隊がイカサ市を目指している事。

 マガツが情報屋を通じて、連絡員を潜伏先に寄越していることも。全て。


 ……そして、情報どおり連絡員は現れた。正体は子どもぐらいの背たけしかない若い女で、しかも奇妙な乗り物に乗っていた。これにはさすがのネストも面食らったが、彼女のおかげで、山小屋には辿り着く事ができた。


 マシュマロ伯から与えられた兵士達は皆、三年前の内乱に身を投じた古参だった。彼らは二人一組で林の中に潜み、山小屋への襲撃に備えている。久々の鉄火場に、兵達の目はらんらんと輝いていた。

 彼らの期待に応えなければ。ネストは刀を抜いた。

 全員を殺す。ひとり残らず、確実に……。


「ネスト様あぁ!」

 突如、仲間の悲鳴が林の中を駆け巡った。

 現実に引き戻されたネストは、腐った切り株の陰に飛び込んだ。

 次の瞬間、山小屋から銃弾が飛んできた。

(位置がバレたのか!?)

 ネストはほぞを噛み、木の割れ目から様子を伺い見る。

 たて続けに三発の銃声が轟く。音の具合から、彼は照準がデタラメである事に気付いた。


(先ほどのはマグレだと?)

 訝しみつつも、ネストは散会させた部下達を見通しのきく高所へ呼び集めた。案の定、助けを求めた兵が一人欠けていた。

「奴はどうした。ロルカ、あいつは敵にやられたのか?」

 と、組を組んでいた仲間に尋ねる。


「……一瞬でした。後ろから急に、影みたいなモノが……」

 またしても銃声。兵達は反射的に首を引っ込める。ただ一人、ネストだけが「捨て置け」と言って、憮然と構えていた。

 その内に、聴いたこともない機械音まで響いてきた。

 山小屋へ目を向けると、連絡役の女が乗ってきた機械じかけの乗り物が動き出していた。

 乗っているのは女二人。連絡役と……女剣士!


「止めろ!」

 ネストは遮蔽物から飛び出して、斜面を駆け下りる。

「来る!来るよおっ!」

 イハが叫んだ。

「もっと速度は出ないのか?」

「いまやってる!」

「くそっ。間に合わない」

 ミズチは座席から腰を浮かせて、刀の鯉口を切った。


 ……その時だ。

 ネストの突撃を妨害するように、黒い塊が側面からぶつかってきた。

 その正体は……。


「シキョウ!」

「マガツうぅ!」

 ミズチとネストが同時に男の名を呼ぶ。特にネストの声は、激しい雷鳴のような怒号であった。


「ミズチさん、行ってください。時間がない」

 シキョウはミズチ達を庇うように斜面を移動して、ネストの前に立ちはだかった。

「ここは私が食い止めます。ははは、一度言ってみたかったんです、この台詞」

 などと言い、場にそぐわぬ穏やかな微笑を浮かべる。

 一方のイハはアクセルペダルを底まで踏み、車を加速させていた。追跡隊が狼狽えるのを尻目に、自動車は下り坂を疾走していく。

「貴様も追い付いて来い。そんな男に負けるな!」

 遠ざかる仲間に向かって、ミズチは目いっぱい声を張った。



 ……やがて自動車が見えなくなると、シキョウは偽りの微笑を消した。

「残念だ」

 シキョウは凍てつくような目で、冷たい声を発した。

「貴様こそ百鬼の旗に相応しい男だと思っていた。俺以上に百鬼隊を愛した、誠の同志であると」

「戯言を」

 吐き捨てるようにネストが言う。

「総隊長の首を刎ねて、俺たちを惑わせた挙句、未来を潰した貴様に、相応しいだの、相応しくないだのを決める筋合いがあってたまるか」

 シキョウは表情を一つも変えず、しばし黙した。


 時間にしてほんの一瞬、しかして両名にとっては長い時間の後、かつてマガツと呼ばれて居た男は、言葉を口にし始めた。

「……そうだな。ネスト、貴様の言う通りだ。俺はどうしようもない阿呆な男だ。誰よりも百鬼隊に相応しくない男だ。それなのに、頑なに百鬼隊を拠り所にして、今日まで生き恥を晒してきた。しかしなあ、ネスト」

 どわっと、シキョウの体から凄まじい殺気が噴き上がった。


「阿呆だからこそ、骨の髄まで信じる事ができる。俺はどれだけ落ちぶれようが、死ぬまで百鬼隊士だ。百鬼隊は不滅。赤ムカデの旗印は、俺達の心の中で、永遠に輝き続けているとな!」


「マガツ! 寝言を抜かすんじゃあねぇ!」

 ネストの怒りが爆発する。同時に、まるで誘爆するように、シキョウが長年溜め込んできた激情が、大爆発を起こした。


「たとえ総隊長であろうが、大公であろうが、百鬼隊の鉄の掟に背く不届き者は、容赦なく斬る! 慈悲など無い! あるのは鉄のように硬い掟と、大義のために燃やす命だけ!

 シキョウは腰を落として、刀を肩に載せた。斬首刑で用いられる変則的な居合の形。

 督戦隊長、首斬りのマガツを象徴する、断罪の構え。


「さあ来い、若造。もう一度貴様に、赤ムカデの……百鬼隊士の魂をたたき込んでやる!」

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