第3話
会場は押さえ、出演者や演目も決まったがやることは多い。チケットの手配や広告も必要だった。手配は主催の「よみうり版」が印刷して、各プレイガイド等に頼んだ。このあたりは慣れているのでお手の物だ。編集長の佐伯がノリノリで
「箪笥会館じゃ勿体なかったな。千人規模でも完売したんじゃないか?」
などと言うので神山が
「そんな広い会場じゃ所作が判らんだろう。今回はそこも大事なんだから」
そう言って佐伯を窘めると
「まあ、そうだけどさ、なんか勿体なくてな」
悪びれずにそう言った。神山は
「好評だったらちゃんとした落語会にして数カ月間隔で開催すると言う案もあるよ」
そう言って、この会を続ける積もりがあると語った。
「そうか、それなら規模の拡大も出来るかな?」
佐伯はあくまでも規模を拡大したいようだった。それに対して神山は
「かの『二朝会』のようにプレミアムチケットになるかも知れない」
そう言って今や伝説となった三代目古今亭志ん朝と五代目春風亭柳朝の開いていた二人会のことを語った。
「『二朝会』かあ……。あれは凄かったそうだな。俺は生まれた頃だから噂しか聞いてないが、凄かったと聞いてる」
佐伯の言葉を聴いて神山は
「まあ、それほどでは無いにしろ、落語ファン垂涎の会にはしたいものだな」
そう言って作成中のパンフレットを眺めた。佐伯も
「じゃパンフも頑張るよ。お前も原稿載せてくれよな」
「ああ、今週中にも送るよ」
準備は着々と整いつつあった。
乾泰蔵は演芸評論家の神山孝之から来た落語会の招待状を眺めていた
「へえ〜よっぽど私の書いたコラムが気にいらなかったと見えるね。まあいいさ行って聴いて、古典落語の駄目さを書いてやろうじゃないか。勿論名人の芸は褒めて古典落語の駄目な部分をくさしてやろうじゃないか。こっちにも味方の噺家はゴマンと居るんだ」
そう言ってほくそ笑んで招待状を自分の机の引き出しにしまった。
「しかし先生、落語界の半分を敵に回して何をおやりになるんですか」
乾にそんな質問をしたのは新作落語の旗手とも言われる三猿亭圓城だった。乾は
「それは師匠もかって語っていたように古典落語は邪道だと言うことだよ。寄席の落とし噺というものは世情の粗を扱ったり生活に根付いたものでなければならないと思いますよ。ネットもテレビも無いましてや、電気もガスもない頃の話なんかしてもこれからの若者はついて来ませんよ」
乾はそう言った。圓城は
「そう言って貰えると嬉しいですね」
「まあ見てて下さい。それと、新作派のメンバー集めておいて下さいね」
そんな事を言った。言われた圓城も
「それは今進めているところです。楽しみにしておいてください」
そう答えてニヤリと笑った。
三月のある日、東京、神楽坂の箪笥会館は開場を待つ人々が出来ていた。チケットを売りに出すと、それほど安い値段では無いのに関わらず、僅か数日で完売となった。
この日神山は主催者の一員として、そして取材も兼ねて会館に来ていた。楽屋に顔を出す。楽屋には柳星と遊蔵が居た
「おはようございます。早いですね」
神山がそう声を掛けると二人が
「おはようございます! 神山さんも早いですね。ウチの師匠は多分未だ家ですよ」
遊蔵がそう言うと柳星も
「ウチの師匠はもうすぐ来ると思います。今朝から張り切っていましたから」
そう言って柳生がこちらに向かっていることを告げた
「柳星くん。今日は前座もやらせて悪いね」
「いえ、大丈夫です。結構あるんですよ。連雀亭なんか二つ目だけで廻していますからね」
その時だった楽屋の扉が開いて柳生が入って来た。両手には洋菓子店の名前が書かれた袋が下げられていた。
「師匠言ってくだされば一緒に行きましたのに」
柳星がそう言って柳生の持っていた紙袋を受け取って楽屋の隅に置いた
「いや急に思い立ってね。片方は出演者や我々の分。片方は照明さんやスタッフの方々の分」
この箪笥会館は照明や音声などは会館のスタッフが行ってくれる。柳生はその分も買って来たのだった。それを見て神山は柳生らしいと思った。
「シュークリームです。確か仙蔵師匠も好物でしたよね」
柳生の言葉に遊蔵が
「柳生師匠よく知ってらっしゃいましたね」
そう言って驚くと
「前に一緒になった時にシュークリームを嬉しそうに食べていらしたのを覚えていたんですよ」
「喜びますよ。特にここのが好きなんです。修行時代は良く買いに行かされましたよ」
遊蔵はそう言って紙袋を眺めた。その時仙蔵がやって来た
「お揃ってるね。うん俺の好物がそこにあるじゃないか」
「あ、師匠、柳生師匠が買って来てくれたんですよ」
遊蔵の説明に仙蔵は
「ありがたいねえ。高座に上がる前に食べさして戴きますよ」
そう言って嬉しそうな顔をした。
楽屋に会館の従業員が顔を出し
「開場時間ですので開場致します。出演者の方は準備お願いします」
いよいよ落語会が始まろうとしていた。
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