第三部

第88話 移り行く季節

「……やばい」


「心の声が漏れてきてるよ政宗君。そんな情けない声はしまっとかないと」


 夏の暑さも徐々に顔を潜め、季節は夏から秋へと移り行く。


 道行く人の服装や、気温や風景の変化。そんな所から人は季節が変わっていく事を実感していく。


 だが俺の生活に何か変化があったのかと問われれば、首を横に振るしかない。今日も学校が終わると同時にそそくさとバイト先に向かい、労働してきたのだ。


「うわぁー……。もう勉強飽きました……。何か面白い事言って下さいよマサ先輩」


「柚木よ。それは一番人に振ってはいけないフリだぞ。笑いのスペシャリストである芸人だってそんなフリをされたら――」


「あー、もーいいです。……彩乃さーん。ちょっといいですかー?」


 こいつ……人に無茶振りしといてこれかよ……。


「ん? どうしたの双葉ちゃん」


「ここなんですけど……」


「ああ。ここはね――」


 お馴染みの古びたちゃぶ台。そのちゃぶ台を囲むように、俺と彩乃先輩、そして何故かバイト先からついてきた柚木が顔をつき合わせていた。


 ちゃぶ台の上には各々が広げた参考書とノート。すらすらとシャーペンを動かす彩乃先輩に対し、俺と柚木のシャーペンは錆びているのかと思うくらいに動きが悪い。


「――って感じだよ。分かった?」


「おぉーっ! 流石は彩乃さん! 学校の先生より分かりやすいです!」


「あはは……そんな事ないと思うけど……。政宗君も何か分からない所があったら教えてあげようか?」


 口元にシャーペンの押す所を持っていきながら、彩乃先輩はその大きな瞳を俺に向ける。


「い、いや俺は……」


「強がる必要ないですよマサ先輩。マサ先輩勉強できないんだから」


「……柚木に勉学の事を言われるとかショックで寝込むぞ俺」


「ちょっと!? 何でそーなるんですか!!」


 いやだって……ねぇ。


 アホにアホって言われたらショックだろ。


「はいはいそこまでだよ二人とも。……でも分からない所は聞いてね?」


「は、はい。了解です」


 何故こんな風に皆で集まって問題を解いているかというと――、


「あー、何でテストって存在してるんでしょうねー」


「そりゃ俺達は学生だからな。学生の本分は勉強だし」


「マサ先輩の顔でそんな真面目な事言われたらギャップ萌えしますねー」


「滅茶苦茶棒読みじゃねーか。それにギャップ萌えの意味ちゃんと調べろ」


「……二人とも、そろそろちゃんと勉強しないと駄目だよ。――もうちょっとで中間考査なんだから」


 くっだらない事でじゃれあう俺と柚木を容赦なく現実へと叩き戻す彩乃先輩の声。


「……うす」


「……はーい」


 俺の身の回りでは最近色々あった。


 決して勉強をサボっていた訳ではないが、家で自学自習をする事は減っていたのは事実。


 そのせいか、中間考査のテスト範囲が発表された時、俺は絶望した。


(……はぁ。前もって計画的に勉強してればこんなに焦らず済んだのに)


 俺はもう高校二年生。将来の事は後回し――なんていうのはそろそろ通用しない。


 これまでの成績が悪い訳じゃないが、このまま中間考査を迎えてしまうと散々な結果になってしまうのは目に見えている。


(そういや……彩乃先輩って将来何するんだろ……)


 シャーペンを動かしながら、ふとそんな事を考えてしまう。


 彩乃先輩は高校三年生。もう進路を決めていてもおかしくない季節だ。


 だが俺はこれまで彩乃先輩の口から将来についての事は何も聞いてない。……まぁ「政宗君には関係ない」と言われてしまえばそれまでだが。


 変な事を考えながら問題文をボーッと見つめていると、


「……そういえば彩乃さんって卒業後は何するんですか? やっぱり大学に行くんです?」


 俺は驚いて問題文から目線を切り柚木を見る。


 偶然柚木も俺と同じ事を気になっていたみたいだ。


「ん? ……そうだね。今の所はそれなりの大学に進学することを考えてるかな」


 それなりの大学、ね……。


 彩乃先輩の『それなり』ってどんなレベル何だろう。多分常人とは違う感性何だろうな。


「やっぱり進学するんですね。……あー、私も早く大学生になりたいなぁー」


 シャーペンをノートの上に放り投げた柚木はそんな事を言いながら天井を見つめる。


「は? 柚木は大学生に憧れてるのか?」


「うちは女子高ですからね。大学生に憧れてるっていうより男の子がいる学生生活に憧れてるって感じです」


 そういや柚木って私立の女子高に通ってるんだったか。あまり柚木から高校の話を聞かないからすっかり忘れていた。


「なるほどな。……まぁ柚木の場合は大学生になれるか怪しいけど」


「何ですとーっ!!!! 失礼な先輩ですね全く!!!」


 頬をリスのように膨らませてプンスカ怒る柚木。


 いやだってお前さっきから全く問題解けてないってぽいし。マサ先輩は本気で心配ですよ。


「ほら二人とも。ペンが止まってるよ」


 全く……といった様子で彩乃先輩はため息をつく。その姿はまるで先生のようだった。


「す、すいません……」


「政宗君もちゃんとテスト勉強やらないと。……もう言っちゃうけど、もし赤点だった場合政宗君をお母様の所へ連れていく手筈になってるんだよ?」


 ……え。


 ナニソレキイテナイ。


「だから今のうちに頑張っとかないと。……言っておくけど、お母様の教育は超スパルタだから。自分の体と心を大事にしたいならちゃんと勉強する事を強く勧めるよ」


 彩乃先輩の顔がサーっと青ざめていく。多分彩乃先輩は今走馬灯のように、過去の事を振り返っているのだろう。


 あの超人の直接指導――想像しただけで背筋が凍る。彩乃先輩の言う通り真面目に勉強しよう。一夜漬けだろうが何だろうが、とにかく点数を取らなければ。


「へぇー。彩乃さんのお母様ですか。一度会ってみたいですね。何なら勉強見てもらいたいですよ。彩乃さんのお母様なら凄く頭良さそうだし」


 鈴乃さんの恐ろしさを知らないバカ後輩は呑気な言葉を口にする。


 こいつがいつもの感じで鈴乃さんの前に現れる所を想像すると……、


『――貴方、私を馬鹿にしてるの』


 ……うん。ピンクのオーラを纏った柚木のキャピキャピさは鈴乃さんの覇気で押し潰されるだろうな。


「それはおすすめしないよ双葉ちゃん……」


 苦笑いで彩乃先輩も柚木の考えをやんわり否定する。考えてる事は俺と一緒だろう。


 柚木は「うーん。でもやっぱり会ってみたいなーっ」とか言ってる。一回会わした方がいいんじゃなかろうか。


「――あ! そうだ政宗君」


「はい? なんすか?」


「いや、思いだしたんだけどさ。今日の放課後に紫帆ちゃんと何話してたの?」


「あぁ。それはですね――」


 俺は帰る途中新田に呼び止められた。新田が俺をわざわざ呼び止めた理由は、あるお願い事があったからだった。


「何か生徒会の仕事を手伝ってほしいと頼まれてしまいまして」


「……生徒会?」


 彩乃先輩はこてんと首を傾げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る