第19話 生きる者の特権、そして音が消えた。

 〜 TIPS〜

 バベルの大穴内では科学的に説明、立証出来ないことが起こり得る。



 代表的な例としては、その名前の由来ともなった世界で一番有名な謎の現象。



[バベル語]



 このバベルの大穴内では、言語の違う人種でも、その各々の言語を話せば、通じ合うことができる。


 言語の壁が存在しないのだ。



 日本人に英語を話せば。日本人はそれを日本語として認識し、英国人に日本語を話せばそれを英語と認識して意思の疎通が可能になる。




 この現象は旧約聖書のバベルの塔で著されている、「全ての地の人は同じ言語を用いた」という一文から肖り、バベル現象の一つである、[バベル語]として広く知られている。




「バベル現象、その真実」より抜粋ー





 




 さて、ある程度は見つかったな。




 俺はその不揃いの遺骨を数個手に取り住居から出る。右手に頭蓋骨を掬い取るように掌に置き、左手にはかけた骨盤を掴ませる。



 職質されたら一発でアウトだなこの格好。



 住居の近くの灰ゴブリンの死体に風で流された灰の砂が降り積もり始めている。



 住居から離れナップザックを置いている所までまた戻った。





 手に持つものをゆっくりと、地面に置く。





 盛り上がっている地面に目を向ける。ここに灰ゴブリンの戦士階級の死体を埋めている。


 後で、残りの幼体も一緒にしてやらないとな。


 生きている時は殺すしかない敵でも、死んだら仏さんだ。もう敵じゃない。


 哀れだからこうして埋葬するのではなく、こうしておいた方が精神衛生上良い。


 だから化け物を埋葬するのは俺の為だ。


 その場に座り込む。乾いた灰色の砂がカーゴパンツにまぶりつく。灰色の生地だからほとんど目立つことはない。




 手元にナップザックを手繰り寄せて中のものを取り出す。カチカチに乾いたピンク色の雑巾だ。



 ホルスターにかけてある斧を取り出し、刃を見つめる。



 青い血が乾燥して、滓のようにこびりついていた。



 綺麗にしとくか。



 俺は膝の上にナップザックを載せて、中から小さめの飲料水ペットボトルを取り出す。






 パキと乾いた開封音が聞こえる。締め切っているキャップを開き、それに口をつけてほんの少しだけ喉を潤した。



 乾いた口の中を水が駆け回る。唇を、舌を、歯を潤し、それは喉を通り胃の中に落ちる。



「ふーぅ。」



 息を吐き、二口目をまた口に迎える。透明なペットボトルが傾き、水が俺の口に入り込む。



 それはまた胃に落ちて俺の体に満ちていく。



 いかん、飲み干してしまうな。



 この乾燥した土地ではすぐに喉が乾いていく。いや、気温が高くないのだけましか。、



 俺はピンク色の雑巾に水をかけて染み込ませる。


 固まっている雑巾の半分ほどが水に濡れた段階でペットボトルにキャップを付けて脇に置く。




 そのまま水が滴る雑巾で刃を拭き始める。血とともに混じる砂汚れが雑巾をたちどころに汚していく。



 滓のように固まっている血液が水に溶けてゆく。青い血というのは、どこか現実感がない。


 血を拭うというよりは絵の具を拭き取るような感覚だな。


 俺はそのまま、刃の刃先を裏表とひっくり返し拭き続ける。



 あらかた汚れが取れると、雑巾の乾いている部分で拭きあげていく。



 綺麗な銀色だ。その刃先にはやはり一切のこぼれもない。流石は北欧スウェーデンの一流メーカー、いい仕事をしている。



 角度を変えながら俺の掌ほどの大きさの純粋な銀色の刃を眺める。



 自分の稼いだ金で買った道具は何故こんなにも綺麗に映えるのだろう。




 青いかすも灰の砂埃もなく、ただただそこには冷たい銀色の刃があった。




 この仕事が終わったら、研ぎに出しておこう。いや、いっそ自分でやってみるか?



 サラリーマン時代は仕事道具の手入れなどした事もなかったんだけどなあ。



 俺は磨きあげた斧をホルスターにゆっくりと戻した。




 ポケットの中にある端末を取り出し、タイマーを確認する。



 あと1時間ほどはゆっくり出来そうだ。



 ナップザックの中にある10センチ程の棒状の包みを取り出す。



 端っこを破いて中身を取り出すと、一瞬ではあるが蜂蜜を濃くしたような匂いが俺の鼻に届く。



 ハニーバーと呼ばれる人気の栄養食品だ。生地は小麦粉で出来ており、そこに蜂蜜、バター、塩などをたっぷり練り込んでいる。



 うすい黄色、白に近いその外観が今の俺には金塊のようにステキな物に見えた。



 好物なんだよこれ。



 一本300キロカロリーと、手軽に食べられる栄養食品として日本で人気の商品だ。ちなみに制作元はバルタンと同じ製薬会社なんだけどな。




 一口で半分ほどを、齧る。


 サクサクしたクッキー生地ではなく、バターをたくさん練り込んだソフトでしっとりしている生地だ。優しい柔らかさをしている。



 その生地が歯で砕かれ、舌の上に届けられる。



 途端に口内から鼻の奥へ、蜂蜜の濃厚な匂いが送られる。



 駆け抜けるというよりは、満ち溢れるように鼻の毛細血管に行き渡り、生地が舌の上で唾液を吸い取るとさらにその匂いと味は強くなる。



 バターや塩のほんの少しのしょっぱさが、その重い甘みをさらに引き立たせる。



 濃い。そのブロック状の固形をした外観からは信じられないほどに蜂蜜だ。たまらないな。



 咀嚼すればするほど、絞り出すように閉じ込められている芳醇な香りや濃厚な蝋のような甘みが舌に染み込んでいく。



 激しい運動によって、カロリーを失った体がまさに求めている味だ。



 少ない量だが、血管に染み渡り、体に届く。


 体が運動によって失った体重を戻しているような奇妙な感覚を俺は覚える。



 二口目でその全てを平らげ、口の中の水分が持っていかれることも厭わずに俺はそれを噛み続ける。



 口の中がパサパサするのだけが気になるな。


 すかさず、ペットボトルを拾い水を流し込む。



 水と一緒に飲み込むと、喉の途中で少し止まり、全ての水を飲み干す事でどうにか飲み込めた。




 水でさらわれた口内や舌の根にまだ蜂蜜の甘みが残っていた。



 ふぅ、あと何本あったけ?



 俺はナップザックの中をまた弄り出す。



 手を突っ込んで包装紙の感触を探すが、見つからない。



 中を覗きこむと、ごちゃごちゃした中にハニーバーの包装紙らしいものはなかった。




 あー、最後の一本だったかー。もうちょっと持ってきておけば。


 なんで持ってこないかな、俺は。本当に。


 荷造りをした自分に恨みごとを宣うが、仕方ない。自分がした事だ。また帰ってから食べよう。


 帰還後の楽しみがまた増えた。


 その時ナップザックから顔を外すと、傍に置いている頭蓋骨と目が合った。いやもう目はないか。


 ぽっかり空いた影をもつ眼窩だけがそこにある。



 悪かった。あんたはもう食べれないものな。謝るからそんな顔で見るなよ。



 俺はまたナップザックの中に手を差し込む。


 今度はすぐに見つかった。



 透明な30センチ四方の透明な板。小さな棺桶だがしばらくは我慢してくれよ。




 俺は空っぽになったペットボトルをナップザックに放り投げ、その透明な板を代わりに地面に置く。



 座ったまま、ホルスターから先ほど磨いた斧を取り出し、斧頭の刃とは反対方向のふとい峰の部分で、その透明な板の真ん中を叩く。



 ごつん、とゆっくり音が響く。するとたちどころにその板は変形を始める。



 平面の板はひとりでに動きだし、内側からパタンパタンと、折り畳まれていた壁が立ち始める。4秒ほどで完璧に透明の上の蓋がない箱に変形した。




 いや、何度も相変わらず使ってるけど意味わからないな。




 支給用保管箱。



 特定の取得物の探索を依頼された探索者に対して貸し出される製品だ。



 特定というのは持ち運びがデリケートな取得物や、などがこれが貸し出される条件とされている。



 今回の俺の目的の取得物は遺留品、いわば遺骨だ。



 倫理的、保存状況的に考えても徒歩での持ち帰りは現実的ではない。






 それにあれだ。遠足と同じだ。意外に探索者の死亡状況は探索途中よりも、それを終えての帰還途中に死ぬ事が多い。



 事実、この頭蓋骨に成り果てた奴も緊急通信も依頼を終えてからの帰還途中にあったと聞く。



 結局、探索者が取得物を見つけても持ち帰れないという事態を避けるために考案され開発されたのがこの保管箱だ。




 この保管箱の回収はフル装備、分隊規模の自衛軍の調査部隊が車両で行うようになっている。




 彼らは探索者と比べると酔いの耐性の関係でダンジョンに侵入出来る期間が圧倒的に少ない。





 回収のみを目的として2時間以内には仕事が終わるようになっている。



 探索者が見つけ、軍が持ち帰る。



 もちろん例外はあるが今のところ、バベルの大穴が産まれて3年。この方法が一番冴えた方法として各国の探索者組合と国で採用されているはずだ。




 俺はその変形した保管箱に頭蓋骨やその他の遺骨を入れ始める。



 慎重にゆっくりとそれらが折り重なることのないように敷き詰めていく。




 カチっ、チカッ。透明な板と、赤黒い骨が接触し音が鳴る。


 こんなもんだろ。



 よし、なんとか全部入りそうだ。



 30センチ四方の正方形の形をした保管箱に遺骨を全て入れ終える。



 仕上げはと。


 俺はナップザックの口紐を緩め大きく広げる。

 その中から先程と同じ一枚の透明なアクリル板のようなものを取り出した。



 違うのは板の中央にQRコードが貼られていることだ。



 俺はその板を箱の蓋にするように保管箱の上に被せる。



 よし、ぴったり。設計通りにそれははめ込められ上の開いていた箱を密閉した。



 俺は端末を取り出し、カメラアプリを起動する。



 QRコードの読み取りを済ませるとサポートセンターに現在の位置が届く仕組みになっている。




 バベルの大穴内ではGPSが役に立たないからな。

 端末の反応で位置情報を取得するやり方が採用されていた。




 数秒待つと、メッセージが端末に届く。




[位置情報確認。お疲れ様でした。]



 短い定形文だが、これで完了だ。


 そのまま端末をポケットに放り込む。


 最後に俺は、また先程と同じ要領で蓋の真ん中を斧で叩く。



 ごつん。



 すると今度は箱が開くのでも、箱になるのではなく、ゆっくりゆっくりと、ナメクジの這うぐらいの速度で、箱が地面に埋まり始めている。



 まるで何かに引きずり込まれているかのようだ。




 うわ、やっぱこれ何度見てもなんか怖い。



 音もなくひとりでに箱が地面に沈んでいく。



 これも保管状況を完璧にする為の仕組みだが、原理は公開されていない。




 噂では、ここから北の水晶地帯で取れる特殊な水晶が材料と聞いたことがあるが。




 まあ別にいいか。俺の役に立つものであることがわかっていればそれでいい。




 仕組みがわかっていなくても、大衆に使われていたものなんて10年前からいくらでもあったはずだしな。



 それは今も昔も、変わらない。



 それにしても静かだな。

 以前使った時は結構やかましい音がしていた筈だが、改良されたのだろうか?


 日本人は音にうるさいからなあ。


 完璧に箱が地面に埋まりこむ。


 俺は地面に刺している折り畳み式のシャベルを引き抜き、軽くその上に砂をかぶせた。






 ん? 今何か…。



 気のせいか?



 まあ、これでいいだろう。



 さて、後は残りの死体を埋めて帰ろう。



 俺はポケットを上から撫でて、固いものがあるものを確認する。



 思わず頰が、緩む。




 帰ってからの楽しみもあることだしな。














 ポケットが、震えている。



 端末だな。取り出して画面を確認すると、探索者組合サポートセンターと表示されている。




 律儀なあの担当のことだから依頼完了の確認の電話だろう。



 俺は端末の画面をタップして応答しようとする。




 あれ、そういえば着信音、消していたか?



 電話を取り応答する。



 はい、もしもしー

「 」



「お忙しい中申し訳ありません、サポートセンターの菊池です! アジヤマさん、先程依頼物の保管確認致しました。ありがとうございます。」



 あ、ああ、うん、どうも。

「 」




「あれ、もしもし、もしもし、アジヤマさん申し訳ありません。お電話少し遠いみたいで…もう一度仰っていただけませんか?」





 あれ、端末が壊れたか? 声が届いていないですか?

「 」



「アジヤマさん?、アジヤマさん、こちらのお電話届いておりますか? 」




 いや、菊池さんのは聞こえてますけど…

「 」





 電話口の向こうの菊池さんの声が低くなる。




「アジヤマさん?、いかがなさいましたか?やはりお電話遠いみたいで何も聞こえません。 応答願います、アジヤマさん? アジヤマさん!」




 いや、応答はしてるって!でもなんか、これ。






 




 出ない?





 瞬間、黒板の音を隅から隅まで爪で引っ掻きしたような金切り音とともに電話が切れた。



  ぶぶぶぶばばばば。




 ポケットが、震える。



 熱!

「」


 思わず、声が漏れる。


 漏れたはずだ。でもなにも聞こ得ることはない。



 いや、これは。ちがう。




 俺は折りたたみシャベルを思いっきり地面に突き刺す。



 本来するはずの砂が擦れる音がしない。ただ灰色の土にシャベルが半ば突き刺さるだけだ。





 自分の声だけではなく、周囲からなんの音も聞こえない。





 なんだ、一体どうなっている?






 わけのわからない異常事態。







 ポケットの中の熱さの原因、あの深緑の宝石を取り出す、熱い。





 手袋越しでも、熱を感じるほど発熱しているそれは眩い黄緑色の光を複雑に放っていた。







 嫌な予感が、する。

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