凡人ソロ探索者は現代ダンジョンに酔いながら恐ろしい怪物に立ち向かうようです。
しば犬部隊
凡人ソロ探索者と灰ゴブリン
第1話
西暦2028年夏 7月17日 夜ごろ
現代ダンジョンバベルの大穴
二階層 西区 大草原にて
只の人、凡人、そんな俺に今更出来る事などない。俺は自問自答の末にそんな回答を下した。
俺、
真面目だ。俺は、至極真面目な人間なはずだ。
今日まで、真面目に生きてきたつもりだった。
ただ、真面目に人生を進めてきたはずだ。
学校では、言われた事は全てこなしていた。まあ、たまに植木の水やりぐらいはサボった事はあるかも知れないが、宿題などはきちんと提出していた。
社会に出た後もそうだ。サラリーマンを三年間。新卒で入った会社では営業の仕事をまじめにこなしていた。あまり口が回る方ではなかったし、要領がいいわけでもない。
ひたすら訪問を繰り返し、作りたくもない笑顔を作り、下げたくない頭を下げた。
それで金を貰っていた。
そして、三年前、世界が変わった後も俺は真面目に生きてきた。
会社で行われた健康診断により、探索者としての適正があると判明した時、それを受けてサラリーマンを辞めて、探索者になった後も、真面目に生きて来た。
まあ、働くところがつまらない狭めの事務所から、社会から切り離された地下に広がる異なる世界に変わっただけだ。
俺は、そこでも真面目に生きて来た。
真面目に、命を奪い、宝を漁って来た。それで金を稼いでいた。
そう、つい先日、仲間とトラブルになり班を解散した後もきちんといつもと変わらずにダンジョンでの仕事を受けるほどに、真面目に生きていた。
そんな真面目なだけの只の凡人の俺。凡人ソロ探索者の俺がなんでこんなことに巻き込まれなければならないのだろうか?
このまま、この常識から外れた場所、現代ダンジョンの中で、死ぬのだろうか?
目の前に広がる大草原。つい五年前の世の中の人間は誰も信じないだろう。地下深くに広がるこの大きな草原の事を。
草花の匂いが、風に乗って鼻をくすぐる。
その匂いの中には、鉄臭い……血の匂いがどうしても混じる。
ああ、くそ。なんでこんなことになったんだ。
痛みと疲れで声を出すのも億劫だ。俺は脇腹から流れ出す血を少しでも止めようとして必死に両手で傷口を圧迫する。
サラリーマン時代に貯めた貯金で買った防刃ベストを着ていなければもっと傷は広かっただろう。
頼む、少し落ち着いてくれ。生きて帰れたら生レバー食べまくるから。な?
これ失血死するんじゃない? やっぱりダメか? 俺。
「あはっ、いい表情ね、日本人。とても痛そう。でもせっかくアタシが助けに来たんだから死んじゃあダメよ?」
目の前から振り降りた綺麗な女性の声に俺は顔を上げる。そこには端正な顔付きの外国人女性が立っていた。
彼女は肩越しにこちらを振り向き、ウィンクをする。
絵になる。切れ長でアーモンド型の瞳が閉じられ、その中にある碧眼を隠す。
もう片方の碧眼が俺を見つめる。いたずらを考えた猫のように歪んだその瞳は妖しい魅力を帯びている。
こんな時だってのに俺は大きな幹に体を預けて馬鹿みたいに口を開いたまま、その笑顔から目が離せなかった。
今だけは脇腹から流れる血の熱を忘れた。傷口を抑えていた手から力が少し抜けたために血が漏れ出し、指の隙間から漏れた。
「ゲホっ。わかった、わかってるから頼む。前を向いてくれ。ほら、アイツなんかめちゃくちゃ怒ってるみたいだ、ゴほ」
折れた肋骨が声を出す度にジンと熱を伴い痛む。
彼女は小さく、ok.と呟くと前を振り向きソレと相対する。
俺を庇うように彼女はその化け物と向かい合う。
化け物の体には何本もの槍が突き刺さり、そこから俺と同じ赤い血が筋のように流れている。
化け物はその尺取り虫のような長い体のありとあらゆる場所から腕を生やし、それをゆらゆらと揺らす。
その特徴的な頭部、四つん這いの細長い体の先端についている一対の大きな耳。その穴を大きく拡げて揺らし声をあげた。
男、女、こども、老人。それらの声を煮詰めて呪ったような叫びを彼女に向けて咆哮する。
眼前に死が嵐のように轟いている。怪物の形をした死、それか死の形をした化け物は彼女を完全に敵として認めたようだ。
逃げる事は出来なかった。隠れる事は出来なかった。ダンジョンの力を借りても殺せなかった。
例え、戦車に乗っているとしても俺ではアレに勝てない。
だがそんな絶対的な死を前にしてなお彼女のもつ輝きはその強さを増していた。
「日本人、怖がらなくていいわよ。あなたの前にいるのが誰なのか分かってる?」
振り返らずに彼女が俺に語りかける。長い金色の髪が迷彩の軍服に混じりばらける。
黒いアンダーシャツは所々擦り切れ細かい傷から血が滲んでいる。彼女だって無傷ではない。
それでもその死から一歩も引くことなく、最後の一本になった投槍を器用にクルクル回して手遊びをしている。
「アタシが来たんだから全てがうまくいく。あの化け物はアタシに殺されてあなたとアタシが助かる。これはもう決まってることなのよ」
傲慢とも取れるその言葉。死を前にして彼女は笑いながら話す。
これが指定探索者、合衆国の新たなる星。
52番目の星。
人でありながら全世界にもたらした偉業により、星条旗に一番輝く金色の星として記録された女。
間違いなく後世の歴史に残るその偉人が今、石ころのような俺を助ける為に命をかけて死と対峙している。
だが、石ころは石ころなりに色々勉強していた。石ころなりにこの化け物と争った数時間の経験からわかる。
星でもこの化け物には勝てない。特に石ころを抱えた星では。
怪物が体を縮める。こちらに向けて轟く勢いで突進してきた。
草原の草花を撒き散らしながら襲いくるアレ。彼女はその場所から動こうとも避けようともしない。
何故? わかっている。俺がいるからだ。彼女は立ち塞がるようにそこに立ち槍を構える。
「ラァスト!」
彼女がその投槍を振りかぶる。足を踏み込みそのまま手から放たれたそれは空気を裂き、真っ直ぐに突進する怪物に突き刺さる。
ぁいあたうあああ!!っヴオオオ!
明らかに悲鳴を上げながらソレは転がり、もんどりうつ。
「アラ、いいところに当たったみたい。でも残念。それが最後の一本なのよね」
投げ槍一本で体長10数メートルはあるソレの突進をとめ彼女はため息をついた。
「だ、か、ら!」
語尾を荒げて、槍を抜こうともがいているソレに彼女がネコ科の猛獣を思わせる勢いで接近。
巨大なソレの側面に飛び乗った。
「痛いみたいだから、抜いてあげる。返してよね。」
そのままソレの胴体に複数刺さっている槍を思い切りえぐり取るように抜いていく。
傷口を広げられ痛みにもがくソレは、体中に生えている細く長い腕を彼女に伸ばすが、遅い。
星はその場でバク転して、既にソレの体から跳びのき地面に着地していた。
その手にはソレの体から引き抜いた二本の投槍が握られている。
すげえ。かっこいい。
星の手に握られた投槍が翻り、その手から投げ放たれる。それは星の表面を穿つ流星のように化け物の体に穴を開けていく。
いける、殺せる。と俺が眺めているその時だった。
ううううううううん。
化け物がその耳を大きく広げて彼女に向ける。
彼女は何かに気付いたようにその場を離れようと駆ける。
遅い。星が崩れ堕ちた。
彼女が星とするならば、その化け物は星々を呑み込むブラックホールだ。
おい、おい、やばくないか?
あまりにも呆気なく彼女は眠るようにその場に倒れ込んでいる。化け物がゆっくりと4本の足で忍び寄るように彼女に近づく。
星が堕ちる。くだらない自分を救おうとして。仲間から捨てられたはぐれものを救おうとして。
ダンジョンの中で紙くずのようにねじり殺されようとしていた俺を、必ず救うと宣言した星が、俺の目の前で、俺のせいで輝きを失おうとしていた。
繰り返された歴史。いつだって英雄を殺すのは俺のようなちっぽけな人間だ。ちっぽけな人間の怠惰や、嫉妬や、無能が歴史の中で多くの英雄を殺してきた。
「冗談じゃない…」
自分でも驚く程弱々しい声が漏れる。口の中が鉄臭い。舌にドロったしたものを感じる。
嫌だ。そんな、そんな恥ずかしい、格好悪いこと死んでもできるものか。少年漫画を読み過ぎた。ここまで俺は格好つけたがりだったのか。
彼女が殺される。このままでは間違いなく。どうすればいい?
俺は自分の唇の端がゆっくりと上の方向へ歪んでいるのに気付いた。
馬鹿か、俺は。知っているだろう。こんな時あの漫画の主人公たちならどうする?
決まっている。命をかけて目の前の誰かを助けるんだ。
方法は、ある。
今日一日中あの化け物と鬼ごっこや殺し合いを繰り広げた俺だけが知っているアレのおぞましい習性。
ああ、怖い。けどもう時間はない。
やるしかない。
俺は脇腹を抑えている右手を外す。力の入らない掌を無理やり握り、拳を作る。
鼻息がうるさい。心臓が高鳴る。脳がやめろと警告する。
うるせえ。真面目な事だけが取り柄なんだろ? なら、やれ。真面目に出来る事を、実行するんだ。
やるぞ。やるぞやるぞやるぞ。
「よっしゃあああ!」
勢いで叫びながら俺は
「ぃ、いっだああああ」
折れた肋骨を殴りつけた。脳みその中、視界の中で星が弾けている。視界の中に光りのクズがチカチカと赤、青、緑、瞬いた。
叫びすらも激痛となる。死ぬ。今、死ぬ。
でも、効果はあったみたいだ。阿保な事した甲斐はあった。
ソレは彼女から注意を外し、こちらの方へ向いている。
そうだ、それでいい。来い、こっちだ。
俺の
ああ、やっちまった。完全に一時のテンションでやらかした。ダンジョン酔いのせいだ。くそが。
逃げねえと。ホントに死ぬ。おれは痛む肋骨と脇腹に注意しながら立ち上がる。
脇腹からまた大きく血が溢れる。視界の隅が暗くなり膝が、がくりと落ちた。
あ、これ、マジでやべえ。血を流しすぎたっぽいな。
意思に反して体が動かない。ソレは近づいてくる。もう10メートルもない。死が10メートルの所にある。
俺はここで死ぬ。命をかけて。
今日一日で何度も何度も繰り返した死の予感。ここに来て一番はっきりと形を持った死の実感。
ソレが近づく。止められるものはない。
左手が少し、疼いた。
星は無事だろうか、今はもう祈ることしかできない。
なんでこんな事になったんだろう。平凡なソロ探索者の俺の一日はどこから間違ったのだろうか。
残念ながらその答えは出そうにはない。
あと5メートル。
今度こそ、俺は目を瞑った。出来ることなら一思いにやってくれ。と願った。
だが、今日一日の経験からソレは苦しめて殺すだろう事を俺は知っていた。
本当に最悪の一日だった。くそが。
あと3メートルー
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