芥原な日々

馳川 暇

第1話 芥原な朝


 起きた。芥原あくたばらは目を覚ました。

 瞬き数回。さっさと起きて、さっさと着替える。


 芥原は朝に強かった。

 家族のなかでは最も強い。

 他の家族は何処でも寝るのだ。

 寝て起きて、寝る。これでは駄目だと思い、寝る。どうにか起き上がり、寝る。倒れる。たんこぶを作る。芥原家は、本来そういう人たちなのだ。こぶだらけである。 こぶだけで済むのである。

 頑丈だ。芥原自身も頑丈ではある。

 だが寝惚けはしない。


 着替えた芥原は顔を洗いに向かう。洗面所に近付くと、水の音がする。珍しい。誰か起きているのか――芥原は半開きの扉からなかを覗き込む。

 顔を洗っている状態で、弟が寝ていた。そうとしか思えない面妖な姿勢だった。立ったまま。中腰で。手に水が当たっている状態で。

 寝ている。

「…………」

 まず、水を止めた。芥原は弟の両脇から手を通し、ずるずると洗面所から引っ張り出した。こいつがいては顔を洗えない。そういう判断だった。健やかな寝息を上げている弟を食卓まで運ぶ。階段で誤って落とした。しまった。弟は健やかな寝息を上げている。良かった。どうにか食卓に着き、椅子に座らせる。意外と手間取った。

 

 そして洗面所に戻る。

 ――これで、ようやく顔が洗える。

 洗面所に近付くと、水の音がした。芥原は半開きの扉からなかを覗き込む。

 顔を洗っている状態で、妹が寝ていた。そうとしか思えない奇怪な姿勢だった。既視感デジャビュだった。

「…………」

 まず、お湯を止めた。それから芥原は逡巡した。妹とはいえ、流石に弟と同じように運ぶのはどうかと思った。妹は健やかな寝息を上げている。

 その顔を見ていると、芥原の頭に昨日の記憶が再生された。


『あっ。ごめん。兄さんの分のアップルパイ食べちゃった』


 よし――芥原は妹の両脇から手を通し、ずるずると洗面所から引っ張り出した。こいつがいては顔を洗えない。そういう判断だった。健やかな寝息を上げている妹を食卓まで運ぶ。階段で誤って落とした。意外と重かったのだ。

 どうにか食卓に着き、椅子に座らせる。

 しかし起きる気配はない。スヤスヤと眠る弟と妹は人形のようだった。椅子に座っているというよりも、載っているといった具合だった。

「ごめん……兄さん……アップルパイ、食べた」

 時たま、寝言を言う妹人形。もともと芥原の妹には独り言を漏らす癖があった。妹はぶつぶつと「ごめん」と言う。すると、夢うつつ、それに触発されたのか、弟まで寝言を言い出す。

「悪かった……兄貴……目覚ましに悪戯して」

 余罪も発覚する弟人形。

 ごめん、悪かった、ごめん、悪かった、と次々に謝罪と罪状を零す、妹弟二人。

 ――なんだ、こいつらは。と芥原は思った。

「おはよう」

 不気味な人形劇を芥原が眺めていると、スーツ姿の母親が起きてきた。

「おはよう」「ごめん」「悪かった」

 三兄弟妹が挨拶やら何やら交々こもごもを返す。

 母親は子供たちを見た。

 見て言った。

「なんだ、こいつらは」

 ともかく芥原は顔を洗いに行った。

 

 

 芥原は洗面所から一度部屋に戻った。登校する準備のためである。鞄を持った。制服に着替えは済んでいる。呆気なく準備は終わった。

 部屋を出ようとして、ふと気になり、時計を確認する。それには強力な目覚まし機能がついている。誕生日に、何故か、弟がくれたものだ。仮死状態の人間でも一発で人生に復帰するという胡散臭い威力の代物。しかし自力で決まった時間に起床できる体質の芥原にとって、それは単なる時計でしかなかった。

 目覚ましの強度を見る。

 最大になっていた。

「悪戯とかいうのはこれだな」

 芥原は、鞄と時計を携えて部屋を出た。



 洗面所の前を通ると、水の音がした。父親が例の状態で寝ていた。芥原は通り過ぎて食卓を目指した。



 戻ってみると、母はスーツの上からエプロンを着けて調理場に立っている。弟妹は相変わらずだが、静かになっていた。フライパンを繰りつつ母が注意した。

「起きたら二人に言っといて。寝惚けて動くのは危険だって」

 分かった、みんなに言っておく、と応じて芥原はテレビを着けた。

 朝のニュースが流れる。

 どこそこで事故、星占いの運勢が云々、サーカスからダチョウが逃げた、何号線で警察が逃走犯とカーチェイス、月食が何日後にある、ドラマがどうした、芸能人がこうした、サーカスからダチョウに乗ってピエロも逃げた、道路を爆走し逃げ続ける犯人、追う警察、ヘリコプターからの映像、そこに突如として映り込む第三の影、そう、それは爆走するダチョウとピエロ。

 芥原は適当にチャンネルを回した。ニュースというものに興味はあまりないのだ。ただ画面の片隅に時間が表示されているので、出掛けるための調整にはもってこいなのである。

 今度の時代劇は階段落ちのアクションスタントが凄い、という話題を芥原が見ていると、ずたんばたんどたんごとんぐたんばたん、と音がした。

 反射的にそちらを向く。父親が階段の下で大の字になっている。

 続けて二階から祖父が降りてきた。祖父は家族の中で二番目に朝に強い。

 祖父は芥原に対して「おはよう」と言った。更に、

「顔を洗おうと思ったんだが」

 そして父親を見て、

「少し誤った」

 そうとだけ告げて、二階に戻っていった。

 直後、大の字になっている父親がどうやら目を覚ました。

「どうして俺はこんなところで寝ている?」

 芥原は言った。

「寝惚けて動くのは危険だ」

 


 父親は身支度のために二階へ戻った。

 芥原は目覚まし時計の時間を五分後に設定して食卓の中央に置いた。弟と妹の中間だった。そして母親に尋ねた。

「耳栓はどこだっけ?」

「ん」

 母親は戸棚を指差した。

 向かう。探す。あった。芥原が目的のものを見つけて戻ってくると、食卓に料理が並んでいた。

「これでよし」

 母はエプロンを外した。


 卵焼き。

 目玉焼き。

 卵掛けご飯。

 中華風卵スープ。

 スクランブルエッグ。

 昨日の残りのオムレツ。

「それじゃ、仕事行って来るから」

 寝惚けたまま、母は出掛けていった。玄関の閉じる音。暫くして。玄関の開く音がして、母が帰ってきた。

「私、とっくに辞職してたわ」

 芥原は卵三昧を口にしながら、告げた。

「寝惚けて動くと危険だ」

 

 母親は着替えるために部屋に戻った。芥原と弟と妹が残された。

 そして芥原は耳栓をした。

 全ての音が消えた。高性能な耳栓だった。何も聞こえない。ふとテレビを見ると新作映画特集をやっていた。

 スパイアクションのハリウッド映画。

 銃撃戦の末に、爆風かなにかの衝撃を受けたマフィアかスパイのような人たちが、やたらと過剰に宙を舞う。死屍累々のなか歩いていく主人公。格好の良い構図だった。おおー、と芥原は感心した。

 食卓に視線を戻す。

 時間が来た。

 弟と妹が圧倒的な衝撃を受けたように、椅子から転げ落ちた。おおー、と芥原は再び感心した。


 さて時間である。芥原は登校のために立ち上がった。

 死屍累々のなか歩いていく主人公。間の抜けた構図だった。

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