コンテンツ・リライター・クライム
和泉茉樹
コンテンツ・リライター・クライム
「二度と、戻ってくるなよ」
砂漠の真ん中にある大監獄を取り囲むフェンスから放り出されて、警備員が俺の背中に声をかけてくる。手を上げて見せる時、世話になった大監獄の威容がよく見えて、げっそりした。
近くに食堂のような建物がある。まずはそこで仲間に連絡を取ろう。
と、砂漠を突っ切る通りを、昔ながらのデザインの電気自動車が、盛大に土埃を上げてやってくる。
「へい、タクシー」
タクシーではなかったが、自動車が俺の前で停車する。
窓から年齢不詳の男が顔を出す。親しげな、不敵な笑みを浮かべている。
「お客さん、どちらまで?」
「そうだな」俺も笑みを浮かべて見せた。「精密生体手術が可能な病院だな」
「乗りな」
助手席に回って滑り込むと、車が走り出した。
「この車は自分のものか、ニール?」
運転中の相棒、ニールがガムの入ったボトルをこちらに差し出してくる。ありがたく一粒、もらった。
「この車はレンタルだ。お前を迎えに来るために路上にあったのを借りた。ちなみに返すつもりはない」
「俺をまた監獄に戻すつもりか?」
鼻を鳴らして、ニールがアクセルを踏み込む。法定速度を無視しているが、砂漠のど真ん中で、誰も見ちゃいないし、飛び出してくるガキもいない。
「そういうお前こそ、精密生体手術だって? 頭を弄るのは仮釈放では認められないはずだ」
「ホットリミットの最新バージョンが欲しい」
「マインド・コンテンツ・インターフェースの再活性化は、刑期を終えてからだ。当局に露見すれば、車泥棒が露見する前に、監獄に逆戻り」
「そう言いながら、お前は俺を迎えに来た。仕事があるんだろ?」
味がなくなったガムを外に吐き出し、ニールがこちらを見る。
「電子マネーをやる。乗るか?」
「奪った分は関係者で分割か? 何人でやる?」
「二人だ」
二人? 思わず聞き返すと、ニールが頷く。
「俺とお前だよ、ヨウレー」
「で、どこをやる? アメリカ? 日本? EU?」
「全部だ」
おいおい、と思いつつ、俺は先を促すように視線を注ぐ。ニールは全く動じなかった。
「国連のデータベースをやる。データ・アースとも呼ばれるアレだ」
「世界で最強の防壁に守られているって、知っているか?」
「お前なら出来るだろ」
やれやれ。俺は首を振りつつ、ニールに倣って車外にガムを吐き出した。
「タバコはあるか? 昔ながらの奴」
ぽいっとニールが懐から出した箱を投げ渡してくる。すぐにライターも飛んできた。
久しぶりに胸の底まで煙を吸い込み、ちょっと冷静になった。
「やる気になったか?」
ああ、と答えつつ、タバコとライターを手の中で弄ぶ。
「それじゃあ、まずは千葉へ行こう」
「チバ?」
ニールが嬉しそうに笑う。
「あそこの精密生体手術の闇医者は、世界一だ」
遠くから轟音が響くと思ったら、影が差し、窓から首を出して空を見ると、小型のジェット機が高度をどんどん下げてくる。この辺りは平坦だから、着陸できるのかもしれないが、ニールの奴、やけに気前がいいな。
「あの飛行機も盗んだのか?」
「正規の手続きで、偽造電子マネーでお支払いをさせてもらったよ」
どう答えることもできず、それから一日ほどで、俺は日本の首都圏にほど近い情報化都市、千葉の一角の、人目を避けるようにある闇医者の手術室にいた。
両目が義眼で全く大きさが違う上に、両腕がサイボーグ化された医者が、俺の首筋を弄っている間、俺は四十年は前のハリウッド映画を古びたモニターで眺めていた。
終わったよ、と言われて、身を起こす。首には包帯が巻かれていた。
「ホットリミットの最新バージョン。微調整するけど、どうする?」
「自分でやるさ。いくらだ?」
「三百万円。現金で」
待ってろ、と俺は待合室に入ったが、ソファを占領してニールが眠りこけている。無視して奴の持っている巨大なトランクを勝手に持ち出し、開けようとするが、鍵がかかっている。
ちょうどいい。
接触端子に親指を押し付け、思考の中で最高のマインド・コンテンツ・インターフェースである、ホットリミット第八版を起動する。
トランクの電子錠を構築する膨大な数列と文字列から超複雑な暗号を瞬間的に解読し、暗証番号を探り出す。
ばちん、とフックが外れて、トランクが開いた。
開けてみると、奴の日用品がほとんどだが、ビニール袋に入れられた札束がある。アメリカドル、中国元を押しのけ、日本円の束を手に取る。
三束、闇医者に押し付けると、奴はその義眼で厚さを測定し、同時に偽札じゃないかも精査しているが、それもほんの一秒未満だ。
口元でにんまりと笑い、「毎度」と札束を掲げる。
トランクを元に戻し、待合室に戻るとニールがあくびをかみ殺している。
「その様子だと、力は取り戻せたようだな」
「おかげさんで。三百万円ほど失敬したが、立て替えておいてくれ」
「良いだろう。さて、さっさとアジトに向かうとしよう」
外に出て、夜の街を前にして、俺はしみじみと感慨にふけった。
収監されるときにインターフェースを休眠状態にされたので、この拡張現実のきらめく広告の群れは、数年ぶりに見る。
ここ数年でさらに改善されたようで、立体は当たり前で、幻の客引きの女が無数に路上にいる。しかも手で触れると素っ裸になる仕様らしい。どれもこれもがいかがわしい店だが、華やかでいいんじゃないかな。
数十年前の秋葉原がこんな感じだったはずだ。日本が世界に誇る、ポルノ・シティ。
ニールがアジトに連れて行ってくれるようなので任せていると、電車で一時間も移動して、どこに着いたかと思うと、まさかの当のポルノ・シティだった。
秋葉原。今は世界に誇る、犯罪都市だ。
駅を出たところで、少年二人がスリを働き、逃げていくのが見えた。と思ったら、財布をすられた男が電気銃で少年を撃つ。外れた紫電が無関係の男を気絶させていた。
「物騒だな。こんなところで仕事ができるのか?」
思わずニールに訊ねると、肩をすくめられた。
大きい通りから二本、三本と入り組んだ路地を抜けると、築五十年は過ぎていそうなビルにたどり着いた。雑居ビルだ。
視線が自然と無線通信の密度を読み取り、驚くほどの情報量のやり取りを視覚に色で表示している。
「ここならちょっとやそっとの情報じゃ、変に目立たないだろ?」
ごもっとも。
セキュリティも何もないように見えて、天井の隅に小型の電気銃が見える。
ニールの導きで六階の角部屋に入った。俺が刑務所に入る前に使用していた機材が、おおよそ揃っていた。見知らぬ装置は最新の製品だろう。
「それでは、作戦を始めよう」
嬉しそうに言う相棒に、俺は笑うしかなかった。
◆
超精密にして超極小の有機物からなる粒子機器が発展して、すでに長い時間が過ぎた。
それは外科的に人体に埋め込まれ、意識と電子情報をつなぐ役割を果たす、マインド・コンテンツ・インターフェースと呼ばれる分野を生み出した。
人間の体が直接、ネットワークに接続され、意識は、思考は、遥かな距離を一瞬で駆け抜けることになった。
世界は一気に小さくなり、同時に多層化した。
例えば、現実での快楽以上の、情報での快楽が生まれ、しかし現実には現実の快楽、情報には情報の快楽と、住み分けが生まれたりしている。
電子マネーが国際的にやり取りされながら、今でも現金は存在するようにだ。
俺がアメリカ某所の刑務所で服役していた理由は、ニールと他の仲間と組んで行った、情報上での資産強盗が露見したからだが、予防線が機能して、実際の犯罪行為のほんの少しだけを掴まれたので、数年の服役で済んだ。模範囚として、仮釈放もされた。
仲間は今も身を潜めているが、ニールはこの数年、自由を謳歌したようだった。
奴の本業はギャンブラーで、前時代の隆盛は見る影もないラスベガスで、楽しくおかしく暮らしていたと教えてくれた。俺は電子機器の調整に余念がなかったので、ほとんど聞き流したが。
「レイナがどうしているか、知っているか?」
まさか、と応じつつ、有機ケーブルを基板に接着していく。一本一本が細いので、ピンセットを使い、同時にルーペを使っていた。目も離せない。
「あのダンサーときたら、今はマックス・ファミリーのボスの情婦だよ」
「マックス・ファミリー? 知らないな。新興か?」
二十本の微細なコードをつなぎ終わり、止めていた息を吐く。
やっと振り返ると、ニールは缶ビールを片手に、こちらを眺めていた。缶ビールも、情報の上ではいくらでも感覚にその味や喉ごしを再現できても、現実からなくならないものの一つだ。
「マックス・ファミリーは、俗称だ。マックス・コード社だよ」
こちらに缶ビールが一本、投げられた。受け取り、開封。
「ああ、マックス・コードね。あそこか」記憶を探る。「有機的な記憶装置で巨万の富を築いた、でお馴染みの会社だな。ボスっていうのは、社長だな? 名前は、思い出せないが」
「俺も知りたくもないね。だが、あんたから乗り換えるにしちゃ、悪くない相手だ」
「別に俺とレイナは繋がっちゃいない」
二口ほど飲んだビールを脇へ置いて、俺はまた作業に戻った。
大量の有機コンピュータを並列で接続していく。途中に身代わり装置や変速機、増幅器を挟むのは、俺の知識の見せ所だ。五年遅れなのは仕方ないが、これでも一時期は専門職に就いていた経歴がある。
ペラペラと続くニールの世間話に相槌を打ちつつ、たまに最新の専門書を斜め読みし、仕事に一区切りがついた時にはすでに日が暮れていた。
ベランダにドローンがピザを届けてくる。支払いはインターフェースを利用し、視線を向けるだけで済む。個人認証も一瞬だ。
今の俺の個人認証はもちろん、偽装されている。何せ俺は、これからあと五年は、マインド・コンテンツ・インターフェースの活性化はしてはいけない、と誓約書を書いたのだ。
地球のどこにいても、俺は監視されていて、欺瞞できずに今の状態が発覚すれば、即座にまた収監される。
ニールとビザをぱくつきつつ、やっと仕事の話になった。
「国連の電子マネー管理機構の基礎情報を攻撃する」
そういうニールに、俺は笑うしかない。
「電子マネーを不正に手に入れる、ってわけじゃないだろ? そんなのは二十一世紀のロートルの仕事だからな」
「正しくな」
ベロベロとニールが指を舐める。
「今回、狙うのは国連が管理する世界最大の情報集積基地、通称データ・アース、その電子マネーの貨幣価値を評価する指標それらの、全情報だ」
「なるほど」
わかってきたぞ。
電子マネーは世界中で無数に存在するが、その貨幣価値は一時期、乱高下が激しく、ほとんどが破綻しかけていた。
それを国連が一括的に制御し始めたのが十年以上前だ。
国連が各国家や大企業の経済力を把握し、指標を示す。その指標が電子マネーの貨幣価値を決める。
その指標の元になる大量のデータが保管されている場所こそ、データ・アースなのだ。
「データ・アースの指標を大規模に書き換えろ、っていうんだな?」
「出来るだろ? リライター」
リライターというのは、マインド・コンテンツ・インターフェースの達人、とでも呼ぶべき称号だ。
一般人の中でもリライターと呼ばれる技能者はいるが、非合法な情報活動を行う連中の中でもリライターと呼ばれるものは、言ってみれば、人斬り以蔵、とか、人斬り半次郎、みたいな具合だ。
「これだけの装備があれば、不可能じゃないな。だが、そう簡単に行くかな」
「俺は装備と資金と場所を提供した。やってくれなくちゃ困る」
俺が答えようとすると、ホットラインで通信が入った。
「ちょっと待ってろ」
ニールにそう言った時には、俺の視界に彼女の立体像が浮かんでいた。
「やあ、レイナ。久しぶり」
声に出さずに呼びかけると、立体映像の女性、レイナが微笑む。
声が聴覚にダイレクトで届く。
「仮釈放されたのに、すぐに活性化処置をするなんて、命知らずね」
「今のままなら、ただ再収監で済む」
「今のままなら? もう仕事をしているの?」
それは秘密、と目をつむってみせるが、現実の俺はピザを食べて、ビールで胃に流し込んでいる。ニールが二本目の缶ビールを開けた。
「教えてよ、悪いようにはしないわ」
「仕事がうまくいったらな。なんでもマックス社長と仲良しなんだって?」
やり返すつもりで尋ねると、レイナがムッとするのが手に取るようにわかった。現実の彼女の雰囲気にも漏れ出ただろう。しかし、どこにいるのやら。
「彼が私を離さないのよ」
「どうだかな。俺も君を離したくはなかったかもしれない」
「私は一緒に監獄に入らないからね。ねぇ、ヨウレー、何を企んでいるの? 教えて?」
「言わないよ。通信もそろそろ限界だ。また話そう」
彼女が何か言う前に、現実の手振りで彼女の立体像をかき消すと、通信が切れた。
「レイナだな? 何か言っていたか?」
「ニール、俺のことを彼女に話したな?」
「役に立つこともあると思ってな」
どうだか。俺は最後のピザを口に放り込み、一度、キッチンの流しに行って手を洗った。まだやり残している作業に戻らなくては。
「とにかくだ、ヨウレー」
ニールが食事の後片付けをしつつ、話を再開した。
「国連のデータ・アースを書き換えて、その間に俺がひたすら資産を運用する。身元は偽装し、露見しないようにだ。次にどの銘柄が高騰し、どの銘柄が暴落するか、よく知っているわけだから、どうしても明らさまになるが、どこかの誰かが気づいた時には仕事は終わっている。出来るだろ?」
「データ・アースを攻撃するのは十年ぶりだよ」
十年? とニールが首を傾げる。
「俺と会う前だな。何歳のときだ?」
「二十三。就職して一年目だ」
「データ・アースをなんで攻撃した?」
「暇つぶしに」
ニールが笑いつつ、しかし動きを止めた。
「本気かよ。データ・アースの防壁は、氷などと呼ばれている他所とは別物だろ。なんて言ったかな、亡霊、だったか?」
「今は亡霊と呼ばれる防壁だな。十年前は、劫火、と呼ばれていた。あれは強烈だったな」
「くらったのか?」
「安全のために用意していた身代わり装置が、一撃で六つ、貫通された。必死で逃げたさ」
そいつは怖いな、と呟いて、背後でニールが動きを再開する気配。
「亡霊はそれ以上だ。ここにある身代わり装置は最新型だが、正面から攻撃されれば、一発で全部が崩壊するよ」
「おいおい。大丈夫か?」
「やってみなくちゃわからんよ」
俺は結局、深夜までじっくりと設備の接続を行い、工夫も続けた。
ニールは古びたソファーで眠っていて、俺も毛布を引っ張り出して、包まった。
それから二日かけて、万全の支度をした。
「さて、これで準備はいいかい?」
椅子に腰掛けて、接触端子に俺は両手を広げて置いた。声をかけてきたニールも俺の背後の席で、端末についている。
「やってみるか。終わった時には、大富豪だ」
「オーケー、相棒。スタートだ」
俺の意識が、電子空間に滑りだしていく。超高速で、思考が走り、同時に十六の経路から国連の巨大な情報に接触する。
このデータ・ベース、通称データ・アースの防壁は、全部で五百十二層が設定されているが、実際には入り組んでいる上に、織物のように組み合わせが無数にあり、純粋な数では無限に近い数になる。
これをテクニックとスピードでぶち破る。それもスマートにだ。
さて、やってやろうか。
◆
データ・アースの防壁を全てすり抜けるのに、コンテンツ・タイムでシックスハンドレッドセカンドがかかった。
実時間では一秒と少しだ。
「抜けた。行くぜ、ニール」
意識上での会話。声にするよりはるかに早い。
「まずはどこだ?」
「イスラエルだ」
イスラエルの政情不安を偽装し、周辺国の情報も改竄していく。
通信を加速させ、毎秒三〇〇アタックを決行。情報は完璧に、そして大規模に変質した。
この情報を間に受けて、電子マネー評価指標が自動で変更され、一瞬でイスラエルでの主要な電子マネーが大暴落する。
それと同時に、イギリスの電子マネーが高騰するように仕向ける。
まずはニールが持っているイギリスの電子マネーの一部を、イスラエルの電子マネーに置き換える。それが第一段階。もちろん、他国の電子マネーにも置き換えては行く。
俺はイスラエルの次にコロンビア、そしてチェコ、さらに東カナダと情報を改竄していく。
世界中で電子マネーの高騰と暴落が連続し、連鎖的に起こる。
今頃、電子マネーの取引で生計を立てている連中が、慌てているはずだ。
その中でも勘のいいものは、何か人為的なものがある、と感じているはずだった。
三時間の工作の結果、俺はおおよそのデータ・アースの関係地点に枝を張ることに成功していた。脱出路と再侵入のための道筋も作る。
接触端子から手を離し、首のコリをほぐす。
振り返るとニールは汗をかきながら、動かない。
俺は奴の懐からタバコを失敬し、一服した。
弾かれたようにニールが接触端子から手を離し、こちらを見る。
「すごいことになったぞ、おい」
小突かれて、俺の手元からタバコの灰が落ちる。
「アメリカドルで、五百万を超えている」
なるほど、それはすごい。
「飯にしよう。寿司がいいな」すでにニールは携帯端末に視線を向けている。一瞬で注文が終わる。「これだけの金があると、高級な寿司も安く感じるよ」
「ちゃんと隠しているよな? 当局の動きは?」
ニールが片手だけを接触端子に乗せ、どこかそっぽを向くようにした。拡張現実を見ているんだろう。
「世界中の百の銀行に分散して、保管している。一部は現金化した。そっちこそ、悟られていないよな」
ニールが俺を見るが、焦点が合っていない。まだ拡張現実を見ているらしい。
「問題ないよ」
そう言った途端、俺の席の端末がいきなり火を吹いた。
俺もニールも呆然としつつ、しかしすぐに動き出した。
俺は物理的に端末を切り替え、接触端子に両手を当てる。
データ・アースは閉鎖モードになっている。俺の作った再侵入経路から強烈なアタックが逆流している。今、身代わり装置が、二つ、死んだ。直後、さらに二つが焼き切られる。
片手を接触端子から手を離し、死んだ身代わり装置を物理的に切り離し、予備の装置を接続し直す。
もちろん、再侵入路は使えなくなった。切断し、その上で理論迷路に接続してやった。子供騙し、小手先の抵抗だが、これで攻撃は少し逸らせる。
両手をもう一度、接触端子に当て、逆襲を始める。
内部に設定しておいた枝を手繰り寄せ、データ・アースの防壁を無理やりにやり過ごす。アタックを毎秒六〇〇に設定し、俺の意識はほとんど焼け付くように目まぐるしく走り続ける。
俺が不正操作した痕跡をすべて消し去り、その上でニールの存在も欺瞞し、隠していく。
しかしあまりに操作した額が多すぎる。そして国連の対応が早すぎる。
どこかの誰かの告げ口か? しかし、誰だ?
並行思考でデータ・アースの管理部局の情報を漁る。
無数にある通報の中で、それを見つけた時、やられたな、と思わず額を押さえたかった。
マックス・コード社南米支社の端末から通報が行っている。
これではっきりした。
俺とニールをはめたのは、レイナだ。
「ニール」俺は心で呼びかける。「俺の方に金を置いている銀行のデータをよこせ。今すぐだ」
「何言ってやがる、そっちの仕事をしろ」
ニールも熱くなっている。
「良いから寄越せ、そうしないと捕捉される。早くしろ。早く!」
何か唸り声か罵り声を上げて、ニールの方から俺に情報が送られてくる。百以上の項目にあるのは、全部が銀行のアドレスだ。
一瞬で解析し、俺はニールが不正に入手した大金、莫大な財産を、意図的に当局に露見するように、複数の場所へ移動し直す。
さらに最高速、毎秒六八〇アタックで、データ・アースの一部を改変する。
「どうなった? おい、俺たちの金は?」
現実世界で、肩越しに俺の端末をニールが覗き込む。拡張現実で、電子マネーの流れを示して見せた。
マイガッ! とニールが口走った時、身代わり装置が三つ同時に弾け飛ぶ。
「おっと」
思わず呟きつつ、俺は接触端子から手を離し、一瞬後、接触端末が弾け飛んだ。
「終わったよ、ニール。追っ手は撒いたが、電子マネーは手元には少しも残ってない」
怒りに任せてニールがデスクを蹴り飛ばし、用済みになった身代わり装置を踏付け始める。
俺は疲労感を拭うべく、デスクの上にあったニールのタバコの箱を手に取り、一本、拝借する。ライターで火をつけ、煙を吸い込んだ。
「なんでそんな余裕なんだ? ヨウレー! これから届く寿司の代金も払えないんだぞ!」
「すぐに一部は返ってくるよ。しかし、ちょっと出費が必要だ。どれくらいの金を隠し持っている? ニール」
あのなぁ、とニールが顔をしかめるが、俺としては疲れていて、反応を返すのも億劫だ。
「今、残っている金は、俺の生活費だ。出さんぞ」
「ちょっとペルーに行けばいいだけだ。それでアメリカドルで百万ドルは返ってくるさ」
「ペルー?」
冷静さが戻ったようで、ニールが蹴倒していた椅子を引っ張り上げ、座る。
「ペルーに何がある?」
「俺たちの金がある」
「どうしてだ?」
俺はタバコを指で挟んで、ニールに突きつけて見せる。
「俺たちを罠にはめた、あばずれがそこにいるんだよ」
◆
ペルーの民間空港に降り立った俺たちを、場違いに着飾った女が待ち構えていた。
「やあ、レイナ。久しぶり」
ニコニコと満面の笑みのニールが歩み寄って、彼女、レイナと握手をしている。しかし彼女は心底から嫌そうな顔をしている。
彼女が俺を見た。
「久しぶりね、ヨウレー。勝手なことをして、私のことは考えないの?」
斜めにこちらを見てくるレイナに、俺も斜めに視線を返す。
「そちらこそ、俺たちを罠にはめて、どうするつもりだった?」
「ちょっとしたイタズラよ。国連の無能な方々に、自分たちが利用されていることを教えてあげただけ。そういうあなたこそ、うちの銀行口座にいきなりとんでもない額を押し付けて、私がしょっぴかれるところだったわよ」
「俺たちの利害は一致している」
そう言ったのはニールだ。まだ笑っている。笑顔で、レイナに何かを求める手つきをした。
「さっさと俺たちの金の一部を返してくれ。それであんたをマックス氏から逃がしてやるよ」
「等価交換とは言い難いわね」
「お前を関係者として当局に売り払ってもいいぜ」
俺がそう言っても、レイナはまだ余裕を見せていた。しかし無言だ。
さあ、早く、とニールが急かすと、彼女はコートのポケットから小さなチップを取り出し、手渡す。
こっちへ、とニールの先導で、ジェット機へ戻る。ここへ来るまでも個人でチャーターしたジェット機を使ったのだ。
「マックスくんはあんたたちを追いかけるわよ。その覚悟はできている?」
レイナの言葉に「男に追いかけられても困るぜ」などとニールは応じている。
何か引っかかるものがある。しかしジェット機のエンジン音がうるさすぎて、考えがまとまらない。タラップで乗り込み、自動操縦ですぐに離陸準備が始まる。管制とのやりとりも人工知能が行った。
「さて」ニールがシートに座って、受け取ったばかりのチップをチェックし始める。「いくら、入っているのかな?」
レイナが鼻で笑って、俺の前の席にいる。
「マックスには特に迷惑をかけていないつもりなんだが、違うのか?」
俺の質問に、レイナがニヤッと笑う。嫌な笑いだ。
「彼の財産の一部も、掠め取ってあげたからね」
ぎょっとしてニールを見ると、奴もこちらを見ている。
「俺は、アメリカドルで百二十万、マックス社の南米支社の口座に送り込んだ。そこにいくらある?」
訊ねられたニールが、空中を見ている。拡張現実だろう。
「二百万はあるぜ?」
まいったな。マックス社からレイナの奴は八十万ほど、掠め取ったらしい。
すでにジェット機は離陸していた。
「どこへ行くつもりかしら? お二人さん」
現実に戻ってきたニールと、俺は視線を交わす。
「とにかく逃げるしかないな、だろ? ヨウレー」
「金はあるようだしな。そして俺が仮釈放の身で、あまり自由に動けないことも、忘れて欲しくないね」
「その程度のこと、リライターのあんたには朝飯前でしょ」
「それでも装備がいる」
道具頼みなのは相変わらずね、などと言うレイナに、俺は首を振るしかない。
「ま、これも何かの縁だしな。三人でしばらく行動しよう」
ニールがこちらに身を乗り出し、無理やりにレイナの手を取り、俺の手を取った。
三人の手が重ねられる。
「ばかすか稼いで、逃げまくろう」
俺とレイナは視線を交わさなかった。
しかし、協力しないわけにはいかない。
ジェット機は載せている人間のことなど御構い無しに、高空を飛び続けていた。
やれやれ。まあ、退屈しないから、良いか。
ちらっとレイナを見ると視線がぶつかり、お互いが同時にそっぽを向いた。
シートの微かな振動と同時に、重ねたままの手の温かさが、はっきりと意識された。
とりあえずは、自由を謳歌しよう。
窓の外を、緩慢に雲が流れていった。
(了)
コンテンツ・リライター・クライム 和泉茉樹 @idumimaki
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