73話 涙

——私は君のことが好きだ——


目の前の唯はそう言った。この好きと言う言葉を「友達として、幼馴染として」と捉えるのは無理があるだろう。だが俺は、


「……すまん」


これが、俺の答えだ。唯を見る。……映るのは、酷く絶望したような顔。生気を全く感じないその表情で、唯は呟いた。


「そ、そう……だよね。うん、ごめん忘れてくれたまえ」


「あ?いや違う!そうじゃないんだ!」


「……え?」


深呼吸を挟む。自分で考えて、1日中こうして隣にいた。答えは……出なかった。だからこれは断るのではない。


「もう少し……待ってくれないか?俺の中で納得する答えが出るまで。……まだ俺は分からないんだ。これがどう言う類のものなのかが」


唯のことは好きだ。これからも一緒にいたいと思っている。けど……俺は友人としての唯と一緒にいたいのか、恋人としての唯と一緒にいたいのかが分からない。関係を変えるってのは簡単な事じゃない。……今まで積み上げてきたものが、一瞬でぶっ壊れることだってある。


「ふーん……ま、なら良いさ。待とうじゃないか。それでも私の好きの気持ちは揺らがないがね。待たせたこと、後悔させてあげよう」


にこっと唯が笑う……が、口角が引きつっていて無理に笑顔を作っているのは一目瞭然だった。そんな唯なんて見たくなくて、どうすれば良いのか分からなくて。……気付いたらそんな唯を抱き締めていた。


「……ずるいよ。保留にしたくせにさ。ますます好きになっちゃうじゃないか」


「答えが見つかったわけじゃない。……けど、唯の無理な笑顔なんて見たくない。俺のせいなのは分かっている。けど……」


「ううん。気にしないでくれ。こうしてるだけで……私は幸せさ。葵……あったかい」


熱いんだけどな。だって今6月だぞ?夜とはいえ気温は高い。まぁ良いか。唯の笑顔の方が大事だ。

しかしさすがに熱いので離れる。しゅん……と残念そうな顔をした唯がこれまた可愛い。

なんでこんなに可愛いと思えるのに答えが出ないのだろうか。不思議ではある。


「もう……これ以上好きにさせないでくれ。爆発してしまいそうだ」


「……ごめん」


「すぐに謝らない!……さて、じゃあ私は帰るよ。送ってくれてありがとう」


「ん。おやすみ」


☆☆☆


寮の階段を駆け上がる。こうでもしないと感情が溢れてきそうだから。我慢しなきゃ。だって振られたわけじゃない。葵は答えをは探すのに必死になっているだけ。

それなのに……なんで私は溢れそうな涙を止めるのに精一杯なのだろう。

部屋の扉を開けて飛び込むようにして入った。その瞬間に堪えていた涙が溢れてくる。


「なん……で。なんで泣いているんだい?私。振られたわけじゃないだろう?止まってくれ」


それでも止まらない。分かっているのに。きっと葵は私に気持ちを伝えてくれるはず。少し、ほんの少し待つだけだと分かっているのに。

……心のどこかで不安に押し潰されそうな自分がいる。待ってと言われたのに振られてしまったと思ってしまう私がいる!


「ぐすっ……なんで……こんなの私じゃないのに!どうして!?なんで私は泣いているの!?ねぇ……誰か教えてよ。私は頭が悪いから……何も分からない」


本当に……止まってくれたまえ。隣のお部屋に迷惑がかかってしまうだろう?これ以上泣きたくなんてない。おかしくなりそうだ。自分で自分が分からない。

……多分、この時の私は人生で1番泣いただろう。


☆☆☆


悪いことをしてしまった。朝起きて1番にそう思った。……学園行きたくねぇ。

あの後も無理に笑っていたのは分かっている。抱きしめたのは間違いだっただろうか。


(けど……ここで休んだら逃げたと思われるかもしれない。それはさすがにやばい)


こちらとしては思ってなくても迷惑だったかなと思わせてしまうかもしれないしな。必然的に俺は学園に行かなければならない。

はぁ……辛すぎる。いや待てと言ったのは俺だが。唯を悲しませてしまったのは俺だが。

じゃあ付き合えば良かったのでは?と言われるかもしれない。けどそれは俺が嫌なのだ。

自分の気持ちもはっきりさせずに、とりあえず付き合って……なんて事はしたくないから。

自分の手で幸せにしたいという気持ちを持てる人と付き合いたい。恋人になりたい。だから俺は……答えを出すのをためらった。


☆☆☆


少し大きく息を吸う。これ……変な噂とか飛び交ってないかな。いや流れてたらその噂を作った要因は俺だ。文句を言える立場じゃないんだけどな。

まぁ……良いか。流れてたらその時はその時だ。またどう思うかによって答えを出すことが出来る……かもしれない。

そう信じて扉を開けて……


「皐月君が天音さんを振ったぁ!?」


その瞬間にバァン!と扉を閉めた。

……いや早くない?まさかそんな早く流れてるとは思ってなかったんだが。いや、さすがに聞き間違いだろう。

そうして俺は再び扉を開く。


「昨日寮の前で2人で話してたのを見た子がいたんだって!で、天音さんが泣きそうな顔して走っていったからって……」


うんやっぱ聞き間違いじゃなかったよね。

いや早すぎんだろ。何なの?この教室SNSの空間か何かなの?

とこの話題で盛り上がっていた女子生徒の1人がこちらに気付く。

すいません、ちょっとトイレに……と逃げようとしたが肩をガッと掴まれた。


「皐月君!天音さんのこと振ったって本当!?」


「えぇ……あ、いや……うーん」


いや、振っては無いんだけどな……。ただ保留にしてもらっただけであって。

でもあれか。形としては振ってしまった形になんのかこれ。

と、俺がどう説明すれば良いのかと悩んでいると、銀色の髪を揺らした美少女が入室してくる。


「あ、天音さん!皐月君に振られたって本当!?」


「ぐぼぁ!」


「天音さん!?」


そりゃそうなるだろ……。ほら唯がとんでもないダメージ食らってんぞ。

と、ふらふらとしている唯は俺とその女子を見比べてにやりと笑って言い放った。


「おやおや葵……私の事を振ったつぎの日に別の女の子とイチャイチャするとはいい度胸じゃないか。けどそうだね……振られた私は大人しく君の恋を応援しようじゃないか」


「唯!?お前分かっててやってるだろ!」


「おや、分かってて……とは何の事だい?違うと言うのなら否定したまえ」


は?何言ってんだこいつ。あー……もううぜぇ!だったら否定してやんよ!


「俺は待てと言っただけだ!自分の中で答えを出せたら!この気持ちが明確に恋と分かるまで待ってくれと言っただけだ!俺は唯だけが好きだからな!!!」


「!?なななな、何を言っているんだい君は!と言うかそこまで言うなら……うぅ」


唯の顔が一気に火照る。真尋が「あら」と言ったのが聞こえた。そして俺も今更とんでもない事を言い放ったことに気付いてしまった。

やっべ……どう収拾つけようかこれ。と思っていると唯の怒号が響いた。


「葵のバカーーーーーー!!!!」

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