ひねりドアと嘘つき

cokoly

ひねりドアと嘘つき

 ひねりドアの事は最近ささやかな社会的問題としてニュースでも扱われるようになった。建物の構造的な欠陥だとか、ドアそのものの欠陥だとか、いろいろ言われているが、ひねりドアはどこにでも現れる。様々な分野の専門家たちが日夜喧々諤々の議論を闘わせているが、今のところ決定的な解決策はまだ見出されていないようだ。人によってはミステリーサークルにも匹敵する怪奇現象だなどと主張したりもしている。事実はどうであれ、僕ら庶民の生活レベルからすればただただ迷惑なだけである。

 そんな折、ある夜僕が仕事から帰ってくると、わが家の玄関はかなりひねくれたひねりドアに変わっていた。

 ひねりドアをしっかりと閉めるのは難しい。

 ドアそのものもひねっているが、その周りの枠も同じようにひねっているので形を合わせる事は可能なはずだが、ちょっと上にずらしてから押す、とか、軽く外に引っ張ってからノブを回す、など、ドアを閉める作業に頭を使う事になる。全身で解き明かす為に作られた知恵の輪みたいなものだ。

 ひねりドアを閉めるのは案外結構な体力を使う事になるので、めんどくさくなって隙間の開いたまま強引にドアチェーンをひっかけ、放っておいてしまいたくなる。でもちゃんと閉めないと、夜には嘘つきがやって来て隙間から顔を出し、僕に悪い誘いをかけてくるのだ。今朝のニュースでも「ひねりドアと嘘つきはセットです」みたいな事を言っていた。


 ここしばらくは残業続きで疲れていて、僕はどうしてもひねりドアにきっちりと対処する事が出来ないでいた。そして僕が風呂から上がってベッドの中に潜り込む頃になると、玄関の辺りからぼそぼそと声が聞こえてくるようになる。

 確かに嘘つきがやって来たのだ。

「ねえねえ小堀さん、あなたの彼女の梨花さんはは今あなたの上司の鎌倉さんと寝ているよ。いいのかい?」

 僕は蒲団を頭からかぶって聞こえないようにする。彼の言っている事は嘘なのだ。まともに聞いてはいけない。

「それに鎌倉さんは君の事が邪魔だから、地方に左遷しようとしているんだよ。そんなヤツはすぐに懲らしめた方が良い。やっちゃいなよ。やっちゃいなよ」

 嘘つきはどうやって僕のプライベートを調べたのだろう? しかし嘘つきはいつの時代もどの国でも意図的に他人を貶めようとする悪人でもある。そんなヤツの言う事を信じるわけにはいかないのだ。


 嘘つきへの対応法としては、ただ一つ「耳を貸さない事」だと言われている。しかし彼らとてもしぶとく、粘り強い。生半可な意志では耐える事が出来ないのだと言う。

「君の彼女は君が思っているよりとてもイヤラシい事が好きなんだ。浮気の相手は鎌倉さんだけじゃないよ。他にもいっぱい居るんだよ」

 僕はなんとかしてくたびれた頭を振り絞って毎日ドアをしっかり閉めようとしているのだけれど、僕は昔から知恵の輪を解くのが苦手だったし、残業続きで終電帰りが続いているから体力も限界に近い。どうしてもドアを閉め切れない日が出てきてしまう。そして嘘つきはそんな隙を見逃さない。確かに専門家の言う通り、彼らは驚く程まめで粘り強い。


「それで困ってるんだ」

 僕は女友達のマユミに相談した。マユミは会社の同僚でもあり、学生時代からの友達付き合いだ。なんと言っても信用できるし、彼女が昔ひょいひょいと知恵の輪を解いていた姿を思い出して、何か知恵が借りられないかと思ったのだ。

「彼女には相談してみたの?」

「いや、忙しくて最近会ってないんだ。電話では話すけど」

「まさか、嘘つきの言葉に惑わされているんじゃないよね?」

「冗談じゃないよ。だいたい、梨花と鎌倉さんに接点なんかないもの」

「そう? それならいいけど」

 マユミはそう言ってワインの入ったグラスを傾けた。

「ひねりドアはどうやったらきちんと閉められるのかな?」と僕は聞いた。

「一度解いちゃえばあとは同じよ。最初にこうして、次にこうして、って覚えちゃえば良いのよ」

「でも僕はあれが苦手なんだ。たまにきちんと閉められる時があるけど、どうやってそうなったのか全然分からないんだよ」

「小堀君は昔からそう言う所があるからなあ。頭悪い訳じゃないのに、なんでだろうね」

「それが分かれば苦労しないよ」

 僕はそう言って自分のビールを一気に飲み干した。

「うちにも一度嘘つきがきたよ」

 とマユミが言った。

「へえ、マユミがドアを閉められなかったの?」

「わざとよ。嘘つきがどんな嘘をつくのか聞いてみたくて」

「何を言われた?」

 僕が聞くとマユミはその時の事を思い出すような目をしてふふふ、とひとりで笑った。

「ないしょ」

「なんだそれ、言えよ」

「ねえ、ドアの閉め方教えてあげようか」

 マユミは僕の言葉を無視して言った。それは願ってもない提案だったので、僕らはそこで店を切り上げて、僕の家に行く事にした。


 僕がどうやってもうまく閉められないひねりドアを、マユミはまるで扱いに慣れた自分のもののように簡単に閉める事が出来た。

「さすがだね」

「こんなの、なんでもないわよ」

 マユミはぱんぱんと手を打って「お茶煎れてほしいなあ」と僕に言った。

 マユミは僕の入れたお茶を飲みながら、

「ほんとうは嘘つきの言ってる事が気になってるんじゃないの」と言った。

「そんな事ないよ」

「そうかな? ドア閉めるくらいなら梨花さんにも出来るんじゃない? どうして私なの」

「マユミは信頼できるからさ」

「それだけ? だったら他の男友達でも良いじゃない」

「迷惑だったなら謝るよ。でも、君が自分で言い出したんじゃないか」

「そうだっけ? ぜんぜん覚えてない」

 マユミは何だかいつもと雰囲気が違って見えた。アルコールはもう十分に抜けているはずなのに、酔っぱらって絡んできているみたいだった。テーブルに両肘をついて手にあごを乗せ、どこかとろんとした目で僕の方を見ている。現実的な感覚から少し離れてしまったようなフワフワとした目つきだ。僕は何だか落ち着かなかった。

「マユミ、今日はなんかおかしいよ」

「そう?」

 どう見ても変だ。僕は何となく、気にかかっていた事をマユミに聞いてみた。

「君んところに来た嘘つきは、なんて言ってたんだ?」

「ないしょって言ったでしょ。それよりいい事教えてあげる。梨花さん、本当に浮気してるわよ」

 僕はすぐにはマユミの発言に反応する事が出来ず、お茶を飲もうとした手は空中で止まってしまった。

「本当よ。私見たんだもん」

「やめろよ」

 僕がそう言うと、マユミは椅子から立ち上がり、じりじりと僕の方に近づいてきた。僕が何か言おうとする前に、僕の口はマユミの唇によってふさがれてしまった。

 僕は混乱した頭の中で、マユミが嘘つきの言葉にたぶらかされてしまったか、そうでなければマユミが嘘つきそのものなのだと思った。

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