仮装世界~ハロウィン・ワールド~

鷹角彰来(たかずみ・しょうき)

吸血鬼と狼女の狂想曲編

第1話 献血

 週刊平常の記者・早良 朱美(さわら あけび)は焦っていた。気づけば三十代手前になり、幼い頃からの夢が風化しかけている。今日も鏡の自分の顔を見てため息をつく。このまま通行人Aとして働いた後、年金の保証なき暗黒時代の老婆として枯れることを思うと、口から生気が抜けてしまいそうだ。


 そんな彼女のもとに、バーコード頭の先輩記者が近づく。


「なにボケっとしてんだ、早良。人気ワイなんちゃらのケイトとのインタビューが入ったぞ」


 バーコード先輩は、彼女の頭を丸めた紙で軽く叩く。その紙を受け取って広げてみれば、取材依頼のコピーだった。


「何でも、向こうからじきじきにお前を指名したそうだ。めったにインタビューを受けない奴だから、気ぃつけて取材しろよ」

「えっ、私を指名……?」

「うちの唯一の美人記者だからでしょ」


 隣の席のお笑い芸人のボケ風男がはやすと、ハコフグ顔とナポレオンフィッシュ顔の女性が彼をにらむ。殺気を察した彼は、そそくさと「外回り行ってきまーす」と出て行った。


「美人かどうかはともかく、しっかりやってくれよ、しっかりぃ!」


 バーコード先輩は拳を握って、彼女に顔を近づけて熱い念を送る。


「は、はい。わかりました」


 彼女は上司の顔圧にたじろぎながらも、しっかりした返事をする。




 移動中の電車内で、朱美はネット上のケイトの情報を集めている。カメラマンと録音係の雑談をシャットアウトして、必死にメモ帳に書き留めている。より深く質問ができるよう、彼女は公式HPからファンのブログまで目を通す。


「おっ、めっちゃ書いてるねぇ」


 まだまだ足りない、もっと時間がほしいと、彼女は思う。夢を叶える最後のチャンスかもしれないため、手帳一杯に字を書き連ねる。


「次は大古森(おおこもり)、大古森にとまります」

「もう次の駅かぁ」

「早良さん、そろそろ切り上げましょう」


 彼女は録音係に視線を合わせると、無言でうなずく。手帳を閉じて入念にメイクを直す。少しでも瞳が大きく見えるよう、相手に好印象を与えるよう、インタビュー直前まで手を抜かなかった。



 大古森駅東改札口から歩いて10分の場所に、ケイトの住むマンションがあった。そこは5階建てのこぢんまりしたもので、億を稼ぐトップワイティーバーにふさわしくなかった。


 彼の部屋の階まで上がり、インターフォンを押せば、慌ただしい足音が聞こえる。ドアが開いて、キーチェーン越しからフランス人形のごとく整った顔が現れる。


「取材お疲れ様です。今、開けますね」


 とんがり金髪と耳のドクロピアスとは対照的に、実に丁寧な言葉づかいだ。彼女は好意的な記事を書き、カメラマンは美しい写真を撮り、録音係は最高音質で声を録りたくなった。


 部屋に入れば、壁のロックンローラーのポスターやヴィンテージ物のジーパンが目につく。赤を基調とする家具は、部屋のオシャレ度を上げている。


「さっ、そこのソファに座って下さい。なるべくリラックスした感じでインタビューを受けたいので」


 ソファは徹夜明けなら数秒で眠りにつきそうなほどふかふかである。さらに彼は高級そうな紅茶を用意する。


「そんな、おかまいなく」

「いいんですよ。僕のありのままの美し、いや、姿を色んな方に知ってもらえるんですから」


 彼の微笑みに星がちらついたので、カメラマンは思わずシャッターを切る。もしオーラが見えるなら、彼の周囲は銀河系の星々が輝いていることだろう。


 朱美は紅茶を少し飲んでから、彼への質問を始める。


「今回のメジャーデビューと音楽配信週間1位、おめでとうございます」


 2人は深々とお辞儀を交わす。


「新曲の「Give Me Bloods」は、パンクな曲調と切ない歌詞との融合がたまりませんね。これは、以前に話されている『曲は欧米、歌詞は日本を意識して作りたい』に沿って作られたのですか?」

「ああ、それ20歳になったばかりの発言ですよね? その頃は、色んなアーティストの曲をカバーして、再生数伸ばして、天狗になってたんですよ。だから、アメリカのヒット曲をオマージュして出したら再生数がもっと増えるかなと思ってやってみたら、見事に失敗しちゃって」


 彼は舌を出して髪をポリポリかく。お茶目な彼のしぐさに彼女はドキッとする。


「しばらく音楽から離れて、色んな面白いことやろうとしたのが、ここ数年ですね。そのおかげで、自分の世界観が広がりましたし、より音楽に飢えてきた。そう、音楽の生き血を求める吸血鬼のように」


 彼が歯を見せて笑うと、犬歯が削りたての鉛筆のごとく尖っている。ケイトの色白、美形、黒服が、吸血鬼のイメージとピタリと重なる。朱美は彼がドラキュラ系中二病患者だと疑い始める。


「今後もワイティーバーとしての活動は続けますか?」

「もちろん続けますよ。動画作ってからすぐに、皆さんの反応が聞ける方が楽しいんで。あっ、皆さんのリクエストに基づいて次回の曲のテーマを決めるのもいいかなぁ、なんて思ったりしてます」


 この後も、インタビューは終始なごやかな雰囲気だった。インタビューの全容を知りたい方は、週刊平常5月8日号(税込550円)を購入するとよいだろう。




 彼女達は編集長セレクトのワラキア産赤ワインを彼に贈り、引き上げることにした。エレベーターで、今回のインタビューについて話し合う。


「いやぁ、彼のイケメンショットがたくさん撮れて良かったよ。これで、今月号はいつもの2倍ぐらい売れるんじゃね」

「しっかり音も録れたんで、いい記事頼みますよ、早良さん」

「はい。使えそうなフレーズはいくつかメモしたので、ここに、あれ?」


 朱美はバッグからメモ帳を出そうとしたが、どこにも見つからない。財布やハンカチやティッシュをのけても、同じ結果だ。


「あっ。もしかして、ケイトさんの部屋に忘れたかもしれないです」

「そりゃ大変だ。早く取りに行きなよ」

「ごめんなさい。私のことはいいので、先に会社に戻っていて下さい」


 エレベーターを途中で降りて、彼女は階段を駆け上がる。彼女の胸の激しき鼓動は、走ったせいか、恋のせいか。彼女の頭の中でケイトの様々な表情がシャッフル再生される。


 再び彼の部屋に入れば、テーブル上のイチゴのショートケーキが目についた。


「あれ、どうしたんですか?」

「はぁ、す、すみません。ちょっと、忘れ、物しちゃ、まして……」


 彼女は息を切らしながらしゃべる。


「もしかして、このメモ帳ですか?」


 彼がソファに挟まっている、鳩時計が描かれたメモ帳を指差す。


「あっ、はい! それです、それです! よかったぁ」

「ハハハ。大変ですね、雑誌記者は。どうです? 一緒にケーキを食べませんか?」と、彼がケーキを指差しながら笑う。

「ありがたいですが、早く帰って仕事の続きをしなくてはいけないので……」と、首を横に振る。

「いいじゃないですか。取材のお礼をさせて下さいよ。ねっ?」


 カメラのフラッシュのようにまばゆい彼のウインクとショートケーキの甘い香りが、彼女を誘惑する。ここで断ると、彼の機嫌を損ねてしまうかもしれない。今後一切、週刊平常との取材拒否されることも有り得る。彼女はソファに腰かけて頭を下げる。


「すみません。私なんかのために大事なケーキを」

「お気になさらず。1人より2人で食べたほうが美味しくなりますから」


 彼は丁寧な包丁さばきで、ケーキを切り分ける。彼女がそのケーキを一口かじってみれば、甘美なイチゴと柔和なクリームが混じりあって、「幸福」を口内に満たした。


「それにしても、どうしてインタビュアーに私を指名したのでしょうか?」


「幸福」から余裕が出てきた彼女は、疑問を彼にぶつけてみる。


「そうですね。あなたの理知的な目とあふれ出る芯の強さが、大好きな母に似ていたもので、つい指名しちゃったんですよ」


 彼は足を組みながら、ポップコーンのごとくはじける笑顔を見せる。彼女の頬は赤くなり、ますますケーキを口に運ぶ。この「幸福」の由来は、ケーキかケイトか頭がコンフューズし始める。


 それを食べ続けると、彼女の脳は潤されていき、少しずつ眠気が増してくる。真夜中に原稿を書いている時のような眠気は、彼女の身体の力を奪っていく。ソファにもたれた彼女にケイトが近づく。彼は大きく口を開けて、鋭き牙を見せる。


「今宵は君の血をいただくよ」


 耳元のイケボのささやきは、死刑宣告にしか聞こえない。彼は彼女の体を押さえつけ、首筋にかみつく。自分の血が体外に吸い出され、意識がホワイトアウトしていく。


「ごちそうさまでした」


 若い吸血鬼は、血の気が失せた女性に向かって、手を合わせた。


(続)

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