第21話 悋気

 薄暗く埃っぽい武器屋を後にする。

 まだ正午前である。

 前日に引き受けた依頼の下見へ向かおうかとも思うが、縛ったまま放置しているラキスが気になる。


(あれをどうにかしない限り仕事にならない。早い内にレドモンに会い相談したいが……忙しい時期だというなら、面倒を押し付けるのもな……)

 レドモンの仕事を手助けすることはできない。

 シアに出来るのは精々、引き受け手のない妖獣相手の依頼を片付けるくらいだ。

 しかし、今のままだとその依頼すらこなせない。


 レドモンに迷惑を掛けず、手っ取り早く今の状況を終わらせる方法はあった。

 シアがラキスを処理すれば良い。

 それが最善だとわかってはいたが、人ではないと言い切れない存在を手に掛けることは、シアには躊躇われた。


 俯いていた顔を上げると、見知った男が立っていた。

「あれ、あんた……。昨日はすまなかったな」

 ザストである。

 ラキスとの一件で、彼に迷惑を掛けられたのが、ひどく遠い日のことのように思えた。


「酒場の主人に任せたのだが……平気だったか?」

「二日酔いで頭は痛いがな。会ったばかりだって言うのに、醜態を晒して悪かった」

 頭を深く下げたザストに、シアは気にしてないから謝らないでくれ、と首を振る。

 ザストに掛けられた迷惑は、ラキスによってもたらされた現在進行形の迷惑と比べられる今となっては、ささやかな苦痛であった。

 だが、詫びに昼飯を奢る、との申し出は遠慮する。


「やっぱり怒っている、いや呆れてるのか?言い訳に聞こえるかもしれないが……いつもはあそこまで酷くはないんだ。昨日はちょっと色々あってな。どうかしていた」

「いや、そうじゃない。外せない用があるんだ」

 ラキスがいなくとも、前日の二の舞になる怖れから断っていただろうが――。

 猜疑の視線を向けられ、また今度誘ってくれ、と言い訳のように付け足した。


「わかった。今度はそうだな……珍しい酒を出す店があるんだ。ああ、あんた下戸だったな……。飯も旨いから。そこに行こう」

 社交辞令を本気に取られたシアは、彼と出会わないよう心懸けよう、と思う。

 明日はどうだ?と口にしそうな雰囲気に、シアは焦り、話題を変えた。


「そういえば女にふられたとか、言っていたな」

「……俺、そんなことまで話しちまったか……。いや、まだふられてはいない。可能性はあるんだ。雲行きは怪しいが、負けたわけじゃない」

 恋愛を勝負事のように語る彼に、賞金稼ぎらしいな、と苦笑した。


「おいおい、笑うなよ。そりゃあ、あんたから見れば、情けなく見えるだろうがさ」

「いや……靡かない女性に対して、不思議に思っただけだ。ずいぶんと、もてそうなのに」


 客観的に見て、ザストは恋人にするには申し分ない容姿をしている。

 気さくで会話も上手い。

 賞金稼ぎという職業と、酒癖の悪さは欠点だが……それでも好意を寄せる女性は少なくないだろう。


(追われるより追いたいという心理だろうか)

 それもまた、賞金稼ぎらしい。


「煽てたって何も出ないぞ。まあ、確かに寄ってくる女はいるが、本命に振り向いてもらえなきゃ意味ないしな。それにあんたこそ、女に不自由してないだろ?清潔感があって、若いのに堅実そうで……それでいて影がある。母性本能を擽るタイプだ」

「いや……その」

「昨日行った店に美人の女給がいただろ?そいつに、あんたのことしつこく訊かれたよ。見掛けより歳はいってるが……気が向いたら、寄ってやってくれ」

 ザストはにやりと笑う。


 誤解を誤解のままにしておくことに気が引けはするが、この状況で女だと証すのは少し惨めでもあり……シアは複雑な気持ちになりながらも、ああ、と答えた。


「そういやあんたの宿。町外れの宿屋なんだってな」

 居心地の悪い会話だったので、話が変わりほっとした。


「ああ。この辺りは宿代が高いから」

「稼いでるくせに、宿代を惜しむなよ」

「一日、二日ならともかく長期だし、どうせ寝に帰るだけだ。雨露さえ凌げたら困らない。こちらへ出向くには不便だが」

「やっぱり堅実だな。流れの賞金稼ぎだと出費も嵩むんだろうが……。まあ、ギルドは老後の保障まではしてくれないし、いつ何があるかわからん仕事だからな。貯蓄は大事だ」


 老後のことを考え、金を惜しんでいるわけではない。

 堅実なのではなく、無趣味で、身の回りのことに頓着しない性格。金があっても使い道を知らないから使わないだけなのだが、それを主張するのも女だと告白するのと同じくらい惨めだ。

 シアは適当に相槌を打った。


「俺もあんたを見習って、貯金しなきゃな……家庭も持つなら、堅実な男がいいもんな……。そうしたら彼女だって……。そうそう。あんたの借りてる宿に、若い娘がいるだろ?」

 感慨に耽っていたザストが、伏目がちに訊ねる。


「……ミーナ?」

 若い娘は彼女しかいない。今朝覚えたばかりの名を口にすると、なぜかザストは目を剥いた。

「ミーナ…………」

 呟いたまま、口を半開きにして、固まる。


「ミーナは愛称で、本名はミリラナだったか……」

 ミーナなんていたか?、と驚いている……にしては大仰な驚きっぷりだったが、そう思い言い直す。


「なぜ……ミーナと呼んでいる……?」

「なぜって……ミーナと呼んでくれって言われたのだが……」

「ミリラナがあんたに?」

「あ、ああ……」

 顔を強ばらせたまま、怒気を帯びた視線を向けられ、どぎまぎと頷く。


「お、おい……」

 ザストは急に踵を返し、シアに背を向け歩き出した。

 呼び止めるが、振り返りもしなければ、足を止めもしない。

 ついさっきまで機嫌良く喋っていた。と、感じていたのだが……。態度を豹変させたザストに、シアは呆気に取られる。


(何なんだ……いったい)

 気づかないうちに、何か地雷でも踏んでいたのだろうか。『稼いでる』を否定しなかったからか。

『女に不自由していない』をきちんと否定しなかったからか。自慢に取られ、すかした奴だとでも思われたのか。


(まあ、いいが……)

 好感を持たれ、しつこく酒場に誘われるよりかは、嫌われて無視される方がよい。

 後味が悪いが、煩わしいことがひとつなくなった。

 それ以上、彼や自分の態度について思い悩みはせず、シアは宿へと戻った。

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