第16話 憎悪
「小さい声で喋れ。でないと、喉を掻っ斬る」
脅すと、ラキスは躰を竦ませた。
息苦しいのか、怖かったのか……紫の瞳に涙を滲ませ、こくこくと頷く。
「……おれは、妖獣なのだ……下等な人間の血など、一滴たりとも流れてはいない……」
塞いでいた手を外すと、指示した通り小声で言った。
「……本当に妖獣ならば、今ここで妖獣になってみろ」
「無理だ。尻尾、ない。お前が斬った……生えてくるまでは、おれはこの姿だ」
「尻尾を斬ると、人間の姿になるのか?そんな話、聞いたことがない」
妖獣の尾ならば以前にも斬ったことがあった。
犬型ではなかったが。人になったりはしなかった。
「それに……お前と会うのは二度目だ。今日、いや、昨日か。お前はその姿だったじゃないか」
「尻尾があれば変化出来るが……尻尾がないと出来ないのだ。妖獣は種類によって、力の源が異なる。おれの場合は尻尾だ」
「力の源を斬られぬ限り、妖獣は人の姿になれる……と?」
「おれみたいに優れた、賢い妖獣ならば、低俗な人間の姿になれる」
「力のある妖獣は、千変万化の能力があると?どんな姿にでもなれるということか」
「なれるのは低俗な人間だけだ。猫や鳥にはなれない」
「……なぜだ?」
「なぜって、知らないそんなの……人間が低俗だからだろ」
「知らないって、自分のことだろう?」
「じゃあお前は自分が何で、二本、脚があるのか知っているのか?なんで、目がふたつあって、耳も鼻の孔もふたつなのに、口はひとつしかないんだ?」
シアは答えに詰まった。
「……お前が妖獣だっていう証拠が欲しい。でないと、信じることなんて出来ない」
「証拠?尻尾が生えてきたら、いくらだって……」
言い掛けて、ラキスは何か思い出したように、じろりとシアを見上げた。
「一年くらい前のことだ。お前、マトリールの森に行ったな」
「マトリール?フィトルナ聖国の?」
「行っただろ?」
「ああ。フィトルナにいたのは一ヶ月くらいだが」
「そこでお前は、妖獣を斬った」
「確かに、二件……依頼を受けたが……」
ひとつは湖に住処とする巨大な魚の妖獣だった。
そしてもうひとつは……。
シアは一年前の記憶を手繰り、目を細めた。
目撃情報のみで、まだ被害はないが、森に居着く前に処理して欲しいとのことだった。
さほど広くはない森だったが、探すのに一週間を要した。
(金色の毛並みの……大きな犬、妖獣だった……)
紫の双眸が印象的で……。
シアはラキスを見下ろす。
「そうだ……あの妖獣と似ているんだ」
ラキスの瞳に感じた既視感が合致する。
そして、瞳の色合いだけでなく、大きさに違いはあれど、毛並みやかたちは先ほどの妖獣と似ているのに気づく。
「あの森で仕留めた妖獣と同じ種類か……」
「おれの兄だ」
呟いたシアを、ラキスは憎々しげに睨んだ。
「父も母も物心ついた時にはもういなくて……兄はおれのたった一人の家族だった。優しくて……優しくて……、優しい人だったっ!ランテの小山が人臭くなったから、マトリールに引っ越したばかりだった。お前がやって来て、兄の腹を割いた。ご丁寧に首まで切り落とし、あろうことか兄の右の前腕を持って行った……。死んだら生き返らない。再生しないのにっ!ぼろぼろになった兄をおれは土に埋めた……あの夜のことは一生忘れないっ……復讐を糧に、おれはこの一年間生きてきて、これからもお前を憎み続けるんだっ」
声を震わせ、ラキスは言う。
「お前が怖くて、怖くて……木陰に隠れて、びくついていたおれはもういない。この一年で、おれはたくさん、いっぱい成長したからなっ。必ず、必ず、お前を殺すんだっ!」
そういえば……一年前、件の妖獣を仕留めた時、別の妖獣の気配を感じた。だが妖獣が徒党を組むのは珍しく、襲いかかっても来なかったため、気のせいだと思った。
「……あの妖獣が、お前の兄だと?」
「信じないならそれでもいい。兄がお前に殺されるのを、おれはこの目で見た。お前が兄を殺した。それだけは絶対の、本当の、真実なんだ」
真摯な、激しい憎悪の眼差しに、シアは押し黙る。
信じ難い。
青年の言葉を受け入れるには、経験や知識、シアが信じてきたもの。
それらすべてを、一から見直さなければならなかった。
今のシアに唯一わかることは、ラキスという青年に自分が憎まれているという事実だけだった。
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