第13話 寝込み襲撃

 想定外の出来事が重なったため、宿に着くのが遅くなった。


『遅かったから心配しました。夕飯、すぐに用意しますね』


 宿の娘は帰りを待っていたらしく、笑顔でシアを出迎えた。

 食欲はなかったが断り切れなかった。

 宿には食堂があったが、利用したことはない。いつも食事は借りている部屋に運んで貰っていたのだが……。


『たまにはこっちで食べたらどうです?』


 上目遣いで言われて、従った。

 運ぶのも食器を下げに行くのも手間が掛かるのよ、と責められている気がしたからだ。


 食堂には他の宿客はなかった。

 暇なのか、娘は食べ終わるまでずっとシアの隣に座っていた。


 話し掛けてくる娘に適当に相槌を打っていると、

『私、お邪魔ですか?』

 と、悲し気な上目遣いをされた。


『いや……一人で食べるのは寂しいから、ありがたいよ』

 そうだ、とは言えず、本心とは真逆のことを言う。

『良かった。うふふ』


 娘のお喋りに、ただでさえなかった食欲が減退したが、それでも半分は食べた。


 美味しくなかったですか。いや美味しかった。食が細いんですね。いや酒場で少し口にしてきたから。酒場?どこの酒場です?お友達とでも行かれたんですか?いや、知り合いと。知り合い?


 ……食事後のやり取りに、神経がすり減って、ようやく娘と別れ部屋に一人になった時には、疲れ果てていた。


 着替えるのも億劫で、すぐに寝台へ直行する。

 横になり目を閉じると、眠気が襲ってくる。剣を腰に帯びた寝苦しい恰好のまま、荒波に呑まれるごとく、眠りに落ちた。




 賞金稼ぎとしての習性として、物音に敏感、がある。


 渡り歩く生活をしていると、温かな寝床にありつけない夜もあった。

 手頃な宿がない場合は馬屋を借りる。民家すら見当たらないと野宿だ。


 ひとつ場所に席を置く賞金稼ぎでも、野宿の経験はあるだろう。

 人間の賞金首だったとしても近場にいるとは限らない。

 妖獣が人里に現れるように、人だって山奥に隠れたりする。

 一日で探し当てれば良いが、日を要する時は、野宿せざる得ないこともある。


 山で野宿をしていて、不穏な気配に気づかず寝入っていたら、夜明けを迎えられない。

 獣に襲われることもあれば、人に襲われることもある。

 運悪く妖獣に遭遇してしまうこだって、あるのだ。


 野宿経験の多いシアは、得にその習性が身についていて、宿で眠っていても、小さな物音ひとつで、目が覚めた。


 眠りが浅いだけなのかもしれないが、他人の眠りの深さなど経験出来ないし、知らないので、比較出来ない。


 その夜もシアは、カタという音で眠りから覚めた。


 風で窓が鳴っただけか、と思う。

 だが夜風がすうっ、と額を掠めた。


 窓は閉めていたし、隙間風にしては、冷たい。


 ガタン、とさっきより大きな音がする。

――そして、何かの気配がした。


 シアは剣に手を伸ばした。

 眠る際はいつも、利き腕の傍に置いていた。


 目を閉じたまま、探るが……ない。


 腰に帯びた状態で寝たのを寸時に思い出した。だがその一瞬の遅れが、命取りになる。


 腹の上に、何かがいた。もはや眠ったふりで、相手を油断させ攻撃、という状況ではない。


 見開いた先。雲が切れたの、煌々とした月光が、部屋を蒼白く染めていた。

 冷たい月明かりに照らされた獣の姿に、シアは瞠目する。


 長い鼻筋。濡れた鼻先。

 僅かに開いた、横長の口端には白い牙がある。


(狼……犬?……いや)


 獣ではない。これは……妖獣だ。


 若干大きさが違うだけで、獣と酷似している妖獣もいる。

 見分けが付かないなら、獣と同じではないか、という人もいるが、姿形が同じでも、違う種族なのだ。

 凶暴さも強さもまるで違う。実際に遭遇した人間でなければ、その違いは判らない。


 目の前のそれも、姿は獣だ。

 体長も大型犬や狼と同じ。

 たとえば首がふたつある、とか、犬歯がたくさん生えているとか……、判り易い特徴はなかった。だけどもシアは本能的に、それが妖獣だとわかった。


(妖獣がどうして……)


 シアは驚愕しながらも、腰の剣に手を伸ばす。


「うっ……」


 両腕を前脚で押さえつけられた。

 ぎりぎりと爪が立てられる。


 顔を顰めたシアを、妖獣が見下ろす。

 毛並みが月光に反射し、まるで昼間の太陽のごとく煌めき、勝ち誇ったような紫の双眸が妖しく光った。

 既視感を覚えたその時、妖獣がシアの喉に食らいついてきた。


「ぐ……」

 死を覚悟する。だが牙が動脈に届く前に、妖獣は力を緩めた。


(っ……嬲り殺すつもりか……)


 今度は首横を狙い、妖獣は歯を剥き出す。

 シアはその横っ面目掛けて、頭を振り上げた。


「キャンッ」


 頭突きを喰らわされた妖獣は、いやに可愛い鳴声を上げた。

 だが妖獣なので躊躇しない。

 よろけた妖獣の腹を蹴り上げる。


「ギャンッ!」


 妖獣は寝台の下に転げ落ちた。

 蹴ると同時に、飛び起きたシアは、すぐ様、剣を抜いた。

 そして、とりあえず目に付いたものを斬る。


「ヒィッ!」


 尻尾を切断され、転がった妖獣が悲鳴を上げた。

 尻尾だけでは不安だ。

 何せ、相手は妖獣だ。妖獣は首を落さない限り、油断が出来ない生き物だ。

 だが、留めを刺そうと、剣を振り上げるが……その妖獣はバタバタと七転八倒していた。


(も、もしかして……ただの犬だったのか?)

 幼獣にしては弱い。尻尾を切られたくらいで、痛がりすぎである。


 自分の本能的な感覚を疑い、戸惑っていると、妖獣の躰がびくっ、びくっ、痙攣し始めた。


 そして――全身を覆っていた毛が短くなっていく。

 シアは目の錯覚かと、瞬きする。


 横倒しになった四肢が長くなる。

 ただの犬ではなかった。

 しかし妖獣でもない。

 窓から差し込む月の光に照らされたそれは、をしていた。

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