第9話 災い
シアがザストから解放されたのは、夕方だった。
朱く染まった町並みは、歩いているうちに、青さを帯びてくる。
衿を引っ張り、くんと嗅ぐ。
衣服にこびり付いているのか、鼻腔にこびり付いているのか……。酒臭さに眉を顰めた。
(ついて行くんじゃなかった……)
真っ昼間から酒場に連れて行かれたのは、まあ良い。
どこの国でも酒場は一番の情報源であり、ギルドと依頼者を取り持つ役割を兼ねている場合も多い。
シアのライノール初仕事も酒場の貼り紙――『妖獣出没危険地域』とだけ書かれた、賞金稼ぎ以外には依頼だとわからぬものであったが――を見て酒場の主人に事の詳細を訊き、ギルドを通さず、依頼を処理した。
賞金稼ぎにとって、切っても切り離せない場所。
それが酒場だ。
青少年が酒場に立ち入るのを禁止している国もあったが、寛容な国も多い。ライナスは後者だった。
もちろん若過ぎると酒の代りにアルコール抜きの果汁飲料が出て来るし、若くなくとも、場所と不釣り合いな様相ならば、からかわれ、侮られる。
シアもまた、父親と同伴していた時はともかく、一人になってからは冷やかしを何度となく受けた。
だがそういったことも含めて慣れているので、酒場の雰囲気や荒くれ者達に気圧され、動じたりはしない。
ただ――下戸なので、酒は一滴も口にできないのだが。
ザストから散々、酒を薦められたが呑まなかった。
白けさせた、と怒るだろうかとも思ったが、残念な顔をしてもザストは不機嫌にはならなかった。
(悪い男ではないんだが……)
破落戸風ではなく、賞金稼ぎにしては紳士的な風に見える。
端正な顔立ちで、清潔で、明朗な青年だ。
やや強引な所はあったが外向的と取れば、欠点にはならない。
シアは外向的ではなかったが、内向的というわけでもない。
無口な父親と二人きりでいる時間が長かったためか、冗談を言ったりして気さくに語り合う技能はなく、どちらかといえば口下手であったが、普通の会話ならば、それなりには出来る。
しかし一カ所に落ち着いた生活を送っていないので――いや、それだけが原因ではないのだろが――友人はいない。
気を許している相手は唯一、レドモンだけだった。
積極的に話し掛けてくるザストに居心地が悪くなったのは、嫌悪を抱いているからではない。
慣れていないからだ。ザストに非はない。あるのはシアの方だった。
だが……グラスが空になる毎に人柄が変わっていく。それはザストの非だ、とシアは思う。
(
好いている娘が相手にしてくれない。
好いてる娘に、どうやら他に好きな奴が出来たらしい――と、泣きじゃくり始めた。
男は強くなくちゃいけない。軟弱な男にどうして女が守れる。と、力説し始める。
そうして、酒場の女給がシアにばかり良い顔をしている、と烈火のごとく怒り始めた。
そして、でもあんたは三つ葉だ。俺より強いんだろ。どうして強くなれるんだ、教えてくれ、と絡まれた。
ザストが素面であった時は、彼の質問に答えてばかりだった。
酔っ払ってしまえば、問いかけることすらできない。
結局、知りたかったことは何ひとつ訊ねられなかった。
ずっと酒癖の悪い男の隣で、顔を強ばらせていただけであった。
ザストが眠り始め、ようやく解放された。馴染みの客だから、と苦笑いする主人に任せ、酒場を後にしたシアは依頼を終えた時以上に、疲労困憊していた。
(見映えのよいモテそうな男なのに――女にふられたのは、酒癖のせいだ。きっと)
どれほど男前でも、酒乱を恋人、人生の伴侶にしたい女性はいないだろう。
恋愛面に疎いくせに、シアはつらつらとそんなことを思った。
ギルドのある区域から、宿までの距離は遠い。
次第に夕闇が深くなり、街灯がぽつぽつと点り始めた。
宿の娘に日が暮れるまでに戻ると告げていたが、無理そうだ。
夕飯に魚を頼んだが、酒場でつまみを口にしていたので、腹が一杯だった。
(用意してくれていたら、断るのは申し訳ない。でも、疲れているのでさっさと寝てしまいたい)
まあいい……着いてから考えよう、と悩むのを先送りにした時、何者かの視線を感じた。
また例の、つけられている気配か……。
憂鬱になりながらも、気配の先を辿る。
丁度、シアのいる大通りの右側に路地があった。
歩調を緩め、横目で確認する。
建物の影になったそこは闇が濃い。視線はそこから向けられている気がした。
(今日は疲れているし……確かめるのはまた今度にして。無視して、ついてくるようなら、途中で撒こう)
決めて足を進めるが、視界の隅に、闇に紛れた人影が動くのが映り込んだ。
違和感を感じ、足を止め、目をこらす。
人影はひとつではなかった。
(いつもの気配だと思ったんだが……違ったな)
人影はシアを狙っていなかった。
視線は気のせいだったのだろう。
彼らはシアの存在に気づいてもいないようだった。
緊張を解くが、別の厄介事らしく……シアは、まいったな、と心の中で呟いた。
気づかなかったことにしよう、と行き過ぎ掛けるが、声が聞こえた。怒声である。
街の破落戸だ。怒声の言い回しから、破落戸同士の諍いではなく、善良なる民……かどうかまではわからないが、それらしき者に絡んでいるのがわかる。
近い将来荒れるだろうとはいえ、少なくとも今現在は、ライナスは治安の悪い国ではない。しかしどれほど豊かで平和な国であろうとも、民の全てが善良になることはないのだ。
どこの国でも見掛ける。よくある光景だ。
こういった厄介事にいちいち首を突っ込んでいては、身が持たない。
金にならない仕事はしない。そう割り切れるほど、賞金稼ぎに染まっていなかったが、正義の味方になれるほど、お人好しでもない。
疲れているので無視したい。
だけどももし、明日の朝、ここに死体が転がっていたら。
破落戸に殺された、という噂を耳にしたら、後味が悪い――。
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