第6話 妖魔
伝承では、妖獣は世界が今の世界になった時、生まれたといわれていた。
眠りの時代。粛正された悪しき人間の骸を喰らった人以外の生き物。鳥や獣や魚が、妖獣の起原だという。
――だが、これは大昔の英雄譚よりも、ずっと嘘くさい。
妖獣は人とは別のかたちに進化しただけ。
鳥や獣や魚、人と何ら変わりないく、生物の種類のひとつだとシアは思っている。
伝承を心の底から信じているのは、一部の人間だけだ。
妖獣という危険な生き物を、わかりやすく悪者に仕立て上げるため、人が作った昔話に過ぎない。
妖獣が人間を襲うのは、粛正された人間の悪しき魂が、善き者を羨んでいるから、とも言われていたが、妖獣は鳥や獣や魚も、分け隔てなく襲っている。
他の生物とは違い狩ることが困難で、生態が謎に包まれている。
よくわからない怖いものを、人々が受け入れるためには、伝説という緩衝剤が必要だったのだろう。
妖獣は他の獣たちと大差ない。
獣より少し知能があり、獣よりずっと凶暴なだけだ。
多くの妖獣は山に棲み、山路を歩く人間を襲う。時折、山を降りてきては人里を襲ったりもするし、帰り道がわからなくなったのか、街に出没することもあった。
妖獣にも種類がある。
小物ならば、そこそこ剣や弓に自身があれば倒せる。だけども、大物はそうはいかない。
人に害をなす、倒すには厄介な妖獣を、国や街の有志一同が仕留めることもあったが、命と手間惜しさに、金を出しギルドに依頼することの方が多い。
ギルドの三分の一は妖獣が賞金首だ。
妖獣だと賞金も破格だ。しかし尻込みする賞金稼ぎも多かった。
人を殺したり捕らえたりするのとは、危険の度合いが違うからだ。
ランクが高い場合は徒党を組んで、妖獣を仕留めるが、その場合、配当することになるので、利益も少なくなる。
割に合わないこともあったが、妖獣だからといって依頼を断ってばかりいたら、ギルドの信用が落ちる。
ギルドは賞金に謝金を上乗せしたり、強く頼み込む……というか命令したりして、渋る賞金稼ぎに依頼を受けさせていた。
そんな中。
悩みの種の妖獣を渋ることなく、むしろ喜んで狩りに行くシアはありがたい存在だった。
どの支部でも歓迎されると同時に、奇異の目で見られた。
賛辞と、若干皮肉もあるのだろう。――ついた通り名は『妖獣殺し』。
妖獣を殺しているのは事実だけれど、そう呼ばれるのは嬉しくない。
単にその響きが嫌いだというのもあったが――嬉しくないのは、かつて父がそう呼ばれていたからだ。
父の人生の中では、短い期間ではあったけれど。
人も妖獣も分け隔てなく、いや、妖獣絡みだと渋りながら依頼を受けていた父が、妖獣が賞金首の仕事しかしなくなったのは、母が妖獣に殺されてからだ。
春の柔らかな風が吹いていた午後。
庭掃除をしていた母の前に妖獣が現れた。
全身を鱗で覆われた、巨大な蛇のかたちをした妖獣は母を呑んだ。
呑んでしばらくして吐き出された母は、母ではなく、ただの肉の塊になっていた。
シアはその陰惨な光景を、家の中で見ていた。妖獣はシアには気づかず、どこかへと去っていった。
父が帰ってきたのは、夜になってからだ。
母が肉の塊になったのを目撃した時と全く同じ恰好で、シアは戸の影で座り込んでいた。
父は何があったのか、シアに問い質した。
シアはぽつりぽつりと、銀色の大きな蛇が現れたこと、すぐそこにある肉の塊が母であることを、告げた。
その日、村では母を含めて、三人が犠牲になっていた。
一週間前は、隣の村で二人が妖獣に殺されていた。さらに一週間前は別の村で一人、犠牲になっていた。
蛇のかたちをした妖獣は、ギルドの賞金首だった。
登録されてはいるものの、引き受けて手が見つからない賞金首……。
父は妖獣を放置していたこと。依頼を受けなかったことを悔いた。妖獣の割りには賞金が格安だったのを理由に、渋った自身を責めた。
母が死んで一週間後。
父はその妖獣を倒した。
しかし母を肉の塊にした妖獣を、その手で殺したというのに――父の妖獣への恨みが晴れることはなかった。
人間が賞金首の依頼は受けない。
高額の賞金をちらつかされ、頼み込まれても、妖獣以外の賞金首は追わない。
余計なことだ。そんな暇があるのなら、と。まるで時間を惜しむように、次から次へと妖獣絡みの依頼を片付けていった。
どれだけ倒したところで妖獣を根絶やしにするのは不可能なのに。
母の死後の父の人生は、一匹でも多くの妖獣を殺すこと。それだけに費やされた。
ひとり人娘の存在など、助手程度にしか思っていなかったに違いない。
時折見せていた温かな微笑みはなくなった。
優しい口調も消え、指示以外の言葉を発さなくなった。
頭を撫でてくれることも、手を繋いでくれることもなくなった。
もっと女らしく、と剣に興味のある娘の将来を案じることもなくなり、それどころか、もっと強くなれ、と望むようになった。
自分の手伝いをしろ。そして、お前も母の復讐をするのだと――・
父が変わったのは悲しかったが、住んでいた村を離れ、街から街へ転々とする生活にはすぐに慣れた。
女らしさを望まれなくなりほっとしたし、剣を握れるのは嬉しかった。
普通の少女とかけ離れた生活を強いる父を恨んだこともない。
けれど……父を恨めないのと同じく、妖獣の存在もシアは恨めなかった。
『母さんを殺した妖獣は殺したのだろう?復讐は果たしたのに、どうして父さんは妖獣をそんなに憎んでいるんだ?』
仇討ちだと、妖獣を殺す父が不思議だった。
『どうして?母さんを殺した妖獣を憎むのは当然だろう』
お前も憎んでいるはずだ、ときつく睨まれ、シアは首を傾げた。
『母さんを殺したのは蛇型の妖獣で、もう死んでる。他の妖獣は母さんを殺していない』
シアが言うと、父は首をふった。
『妖獣が母さんを殺したのだ』と――厳しい顔付きで言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます