シュヴァルツェンの夢守人

硝子の海底

 心地良い微睡みが身体中を包んでいた。

 風が、鳴っている。それだけじゃない。水の音。

 瞼を通して、光が揺れているのがわかる。地面はきっと芝生だ。柔らかい若草と土の匂いがする。


 次第にはっきりしてきた意識の中で、ゆっくりと、重い瞼を押し上げる。


 まず視界に飛び込んできたのは、青々と茂る木々。目線を移すとすぐ側に、きらきらと反射する水面があって、ここが湖のほとりだと理解した。


 しかし、なぜ私は、湖の側で眠っていたのか。

 脱力しきった身体がしばらく動きそうにないので、私はその場で思案する。


 まず、自分について。


 私は都内の高校に通う17歳。他に思い出せることは…


「本を読むのが好きだったこと、友達が少なかったこと。あとは…」


 呟いて、気付いた。


 私には、何もないじゃないか。



 ここまで書いて私は、ペンを走らせる手を止めた。






 * ・.。*゚・*:.。❁





 私が目を覚ました時、私のすぐ側には鞄が落ちていた。私が元の世界で使っていたものだ。


 ───《元の世界》


 まるで異世界転生した人間の使う言葉。



 そう。私の《今いる世界》は、私の《元いた世界》とは違う場所だ。

 私だって、まさか「こんな綺麗な場所が現実にあるはずがない」なんて安直に、この結論に至ったわけじゃない。






 それは、ほんの数分前。


 目を覚ました私はまず、(先程記述した通り、)自分自身のことと自分の周囲の状況を把握することにした。



 すると起き上がった私の手元に、愛用の鞄があった。中身を確認すると、いつも持ち歩いているものの他に見知らぬノートが入っている。

 ノートというよりも、本、の方がわかりやすいかもしれない。



 青い蝶の意匠が施された革の装丁で、重厚さと可愛らしさが寄り添ったような本。


 途端、私はこの装丁に守られている物語がどんなものなのか、確かめずにはいられなくなった。


 表紙をめくる、次、その次、また次のページを止まることなくめくった。






 そこには、何も書かれていなかった。



 少しの落胆を紛らわすように、ぱたん、と音を立てて本を閉じる。


 そのとき、裏表紙で何かが光った。ような気がした。

 不審に思って見てみても、何も変化はない。


 本に弄ばれているような気分になり、私は腹立ち紛れに裏表紙を開いた。






『哀しき夢守人へ、たった一つの愛をこめて。』





 魔法のようだった。

 いや、きっとあれは魔法だった。

 私の手の中で、真っ白だった最後のページに、金字が刻まれたのだ。



 あぁ、ここは、私のいた世界とは違うのだ。

 もっと綺麗で、素敵な場所。



 そう信じられたらもう、《元の世界》なんてどうでもよかった。

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