Ⅰ. 第3話

 ギラギラと容赦なく降り注ぐ陽光。

「あっちー」

 暑さに思わずクラッとする身体をひとまず街路樹にもたれかけ、空を見上げた。

「めーかいがこれほどとはな……これじゃあ、蒸発してしまう」


 ここは、冥界と呼ばれる少し異質な世界。

 依頼を受けてここまで来たのだった。

 だけど……。

 きょろキョロと辺りを見回している俺の方が、ここでは完全に異質なんじゃないか?


「ちょっと、お兄さん‼」

 迷える俺の背後から、女神の声が。


「今晩の宿はお決まり?」


 振り返って最初に目に飛び込んできたのは、鮮やかな色を重ねた唇だった。俺の好きな色、———赤。


 今日は依頼主のところで休める。

 依頼があった時に確か、部屋を用意してくれるとか話していたはず。

 でも、その美しい唇とお別れするのは耐えがたく、自然と悲し気な顔になる。


「ごめん、せっかくのお誘い悪いけど……」


 言ったところで、彼女の少し後ろにいるもう一人の接客係が目に入る。なんてことだ。依頼主の申し出を断ってここに決めようか。本気で悩む。


「オネーサンたち、もしかして‟メーカイビジン”ってやつかな?お会いできて光栄だよ、ホント。明日だったらどうかな?」


 彼女たちの宿は、お世辞にも豪華とはいえない造りで、元々が何色だったかも分からないような褪色たいしょく具合だ。

 なんとなくの予想はついたが、明日の予約客はいないらしい。


「ぃや~、それはうれしいなぁ。じゃあ、明晩あそんで遊んで」


 見えないハートマークを飛ばしまくって、上機嫌で去っていく姿を宿屋勤務の女性たちは冷静な目で見送る。


「すっご、いい男ですね……でもカルイ」

「どうせ旅人よ。しかも明日の客だし。さぁ、仕事しなきゃ」



 依頼人の屋敷はすぐ、ではないが分かった。

 通された部屋は天井がやたらと高く、茫洋ぼうようとしている。客間なのだろうが家具といえばソファがひとつ。


おせぇ」

 真顔のレスト。

 シガレットケースから煙草を取り出し、ソファに寝転ぶ。

 

 酷暑の中、散々探し回って歩き回って、やっと一息つけた。

 だが、待てど暮らせど、誰も来る気配がない。案内係の執事らしき人も引っ込んだきりで、もしかしてもう忘れられているんじゃないかと思うほどだった。

 すっかりくつろぎモードのレストだが、その胸中には不安が滲み出してきたところだ。


「ったく……依頼っつうからはるばる来たってーのに。客待たせて何やってんの、ここの主人?」

 あ、客は依頼人の方だっけ。


 痺れを切らして独白したところで、ドアが開いた。


「ぃや—————」

「どーもどーも」

 フリルシャツにタイトなジャケット、眼鏡の痩せた男が頭をかきながら現れた。


 髪をくしゃクシャにして、ニヤけた顔をレストに向ける。

 眼鏡の奥は笑っていない。かなりの曲者くせものだ。


「訪問暗殺者アサシンのレストと申します」

 レストは既に立ち上がっていて、にっこりして言った。


 先ほどの悪態はどこへやら。変わり身の早さは、さすが『D』か。

 すっかり‟営業スマイル♪”だ。



 その1時間後……


 玄関に出たレストは、ドアに向けて舌を出している。お行儀が悪いが、べーってやつだ。

 まったく……冥界とは相性が悪いのか。ここでのレストは悪態ばかりで、その人格に誤解を招きそうだ。

 おそらくは、依頼内容が気に食わなかったのだろう。


「だ———っ。なにあの、りんしょくじじー」

「宿泊させてくれねーの?アテが外れた……」

「——ったく、やってらんないね」


 いや……、これは酷い依頼のせいで気が立っていると見える。


 そこへ突然、庭の植え込みから少女がひょいっと顔を出した。


「まぁ、酷いことおっしゃるのね」


 ヤバッ……

「あ……えっとこれはその……。きっ君は……、ここのお嬢さん?」


 さらさらのショートヘアが丸顔によく似合っている。

 衿にフリルのついたブラウスに、タイトなロングワンピース。

 可愛らしいこの少女があの兄の血縁者とは驚きだが、兄妹揃って服は淡い配色だ。


「お兄様の悪口言わないでほしいの」

「わっ悪口なんてっ」

「お父様が亡くなってから大変だったのよ」

「う……うん」


 少女はとがめているわけではなかった。ただ、兄のことを誤解されたくなかっただけ。

「すまなかった。言いすぎたこと許してほしい」


 分かってはいるが、レストにとっては、彼女の兄への感情はまた別物だ。吝嗇りんしょく……


 「君のお兄さんに頼まれたことは、ちゃんとこなすからね」


 少女はなんとか信じてくれたようだ。

 はにかむような笑顔で見送ってくれた。


 結果オーライで。

 先ほどの宿屋が結局、今日の宿泊先になる運命だったのかもしれない。

 はやる気持ちでレストが向かったのは語るまでもない……。 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る