逃げる人々
前方に小屋らしき物が見えてきた。
「あれです。急いで」
小川が鋭く叫んだ。皆が更に足を速めた。一人、足を負傷した遠藤が遅れがちになる。
「ちきしょう」
舌打ちしながら、遠藤が必死に進んでいると、不意に誰かが肩を貸してくれた。
「――?」
国広豊だった。肩を借りながら、唖然として見つめた。暫く言葉を忘れていたが、慌てて怒鳴る。
「てめえ、何やってる。沙也香ちゃんのところにいろ」
「妻が抱いています。かなり先に行っている。大丈夫です」
「てめえも行けよ。俺のことなんか、構うんじゃねえ」
「さっき、沙也香を助けてくれましたから。そのお礼です。僕は頼りなくて、みんなの力にはまったくなれないけど、このくらいならできます」
二まわりは体の大きい遠藤を必死に支える国広。後から追いついてきた東谷が見かね、逆の肩を支えた。
「馬鹿だぜ、おめえは。いいか、生きてここから戻れたら、これだけは覚えておけ。ヤクザ相手に貸し借りだのお礼だの、考えるんじゃねえ。利用されて何もかもむしり取られる。それがヤクザなんだ」
「わかりました。生き残れたら、一切ヤクザとは関わりません」
殊勝な表情で国広が言った。
「それがいい」思わず苦笑しながら言う遠藤。
「おまえも、生き延びたらヤクザなんかやめたらどうだ?」東谷が言った。
「俺はもうどっぷりつかっちまった。やめるとしたら、死ぬ時だ」
どこか寂しそうに遠藤が言うと同時に、小屋に着いた。
全員雪崩込む。
東谷、そして沢崎は素早く動く。武器を確認した。ダイナマイトをかき集める。ライターも、鎌やナイフなどもあった。
倒した黒崎の部下達から、自動小銃や拳銃の弾はできるかぎり集めながら進んできた。だが、それももう残り少ない。どんな武器でも手に入れたかった。
この場にとどまるつもりもない。
「小川さん、俺と沢崎がここで迎え撃つ。みんなを連れて行ってください」
東谷が言った。小川は険しい表情だが、頷く。
小屋には出入り口が二カ所あった。一つが今全員が飛び込んできたもの。おそらくその正面から黒崎達がやってくる。反対側に小さなドアがあった。そちらに小川達が集まる。
「連中に囲まれないうちに、行け」沢崎が叫ぶ。
「待てっ!」遠藤が怒鳴った。ダイナマイトをズボンに何本も突っ込んでいる。
「何をやっている?」
東谷が訊くと、遠藤はニヤリと笑った。
「おまえら二人も行け。ここは俺一人で充分だ」
「何だと?」
「何をするつもりだ?」
東谷と沢崎が同時に訊く。
「俺か? 俺はよ、最後によ、あいつら相手に、でっかい花火を上げてやるよ」
遠藤の目がギラリと光った。ライターと拳銃を手にして東谷達に向き直る。そして、そこにいる全員を順番に見た。
「沢崎の言ったとおり、俺は人でなしだ。弱い者ばかりを食い物にしてきた卑怯者だ。だからよ、最後くらい格好つけさせろや。俺なりの、懺悔だ」
「遠藤さんっ!」国広が叫んだが、後が続けられなかった。
「おい、SAT野郎」東谷を睨み怒鳴る。「沙也香ちゃんの家族は、何があっても守りぬけよ」
東谷は頷いた。
「沢崎っ! 地獄で待ってるぜ。てめえとの決着はそれからだ」
沢崎は常になく真剣な表情で遠藤の言葉を受け、頷く。
遠藤はまた不敵な笑みを浮かべ「行けよ」と全員に顎をしゃくって指示した。
小川が小さなドアを開け、外に出ようとした時、国広みどりの腕をすり抜け、沙也香が遠藤の前までやって来た。
「おじちゃん」
「え?」沙也香に呼ばれ、戸惑う遠藤。
「おじちゃん。ありがとう」
遠藤は沙也香の言葉を受け、不覚にも体が震えた。自然と涙が零れはじめた。
「おじちゃんの方こそ、ありがとうよ」
震える声でそれだけ言うと、遠藤は、これまで誰にも見せたことがないような笑顔を浮かべた。それはおそらく、彼がまだ純真な心を持っていた頃のものだろう。
国広が沙也香を抱き上げた。
その二人に背を向けると、遠藤は仁王立ちになり「さあ、行きな」と言った。
遠藤を残し、全員、外へ出た。
振り返ると、月明かりが小屋を明るく照らしていた。
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