第7話 遺言

 西暦二〇五四年八月一日


 私は日本の宇宙飛行士小太刀徹。

 もしかするとこれは私の遺書になるかも知れない。

 事の起こりは八日前、月面に降りた時から始まる。私が月に降りるのは二度目だ。今回の我々の任務は、三年後に予定されている溶岩洞窟恒久基地化のための予備調査だった。

 三年後、プリンセスホールの入口を完全に塞ぎ、洞窟内に空気が満たされる計画だが、これはそんな容易なことではない。

 どこかで空気漏れが起きるのは当然として、今まで真空だった洞窟の壁に一気圧の圧力がかかった場合崩落の危険はないか。酸素や水蒸気を含んだ空気に触れて洞窟壁が腐食しないか。

 火山性ガスも問題だった。この溶岩洞窟ができた当時は内部は火山性のガスで満ちていた。そのほとんどは宇宙へ抜けて行ったが、一部では凝固して氷の状態で洞窟内部に残留している。この氷に昇華点を上回る空気が触れれば、たちまち昇華してしまい空気中に有毒ガスが発生してしまう。

 それらの危険な個所をチェックしていくのが今回の任務だった。

 調査は順調に進んでいた。十二台の探査ロボット達が洞窟内のデータを集め、次第に正確な地図が作られていった。それでもこの調査はまだまだ時間がかかる。そのための水を補給するため、私は月面車で南極基地へ向かった。プリンセスホール内部にも氷の水があるが、硫化水素などの有害成分を含んでいてそのままでは飲用に適さない。まだ十分な精水設備ないので今はその水は使えないのだ。

 アクシデントがあったのは、南極からの帰り道でのことだった。

 水を満載したタンク車をけん引していた私の月面車ムーンローバーは突然霧に包まれた。月では、夜明けと日没に静電気の影響で砂が舞い上がる月噴水ムーンファンテンと呼ばれる現象があることは知っていたが、これほどとは思っていなかった。

 気がついた時にはすっかり視界を遮られてしまい、月面車は深い竪穴に落ちてしまった。

 狭い竪穴の途中でタンク車が引っ掛かったおかげで、穴の底に叩きつけられなくてすんだが、月面車は宙づりになってしまった。

 私は月面服の中に潜り込み月面車を脱出。

 その直後にタンク車が破裂した。

 ぶら下がっていた月面車は底に叩きつけられ壊れてしまった。そしてタンクから勢いよく噴出した水は、瞬時にして気化すると同時に、気化潜熱を奪われた水が瞬時にして凝固して氷になった。その氷によって縦穴は完全に塞がれてしまった。縦穴の壁を何とか氷のところまでよじ登ってみたが、氷の層は厚く私の力では破れそうにない。

 私は完全に閉じ込められてしまった。

 通信機を使ってみたが、電波は岩に遮られどこにも通じなかった。もしかすると穴に日の光が差し込んで氷が溶けるかも知れないという期待も抱いたが、太陽はさっき沈んだばかりだ。

 次の日の出まで二週間。生き延びられるだろうか?

 月面車の残骸から使えそうな物を探してみた。食料と水は十日分、電力も二週間は持ちそうだ。 しかし、酸素は三日分しかない。

 日の出まで到底もたないだろう。

 私に残された希望は、仲間がこの縦穴に気がついて助けに来ることだけのようだ。

 私は下手に動きまわる事はしないで、この場所で救助を待つことにした。

 その一方で、月面車に積んであった二台のロボットを起動させ、出口を探させることにした。

 今日はもう休もう。せめて夢の中で妻や子供達と会えればよいが。

 昇はちゃんと勉強しているだろうか?

 珠は泣いたりしてないだろうか?

 心配だ。二人を抱きしめたい。



 西暦二〇五四年八月二日


 私は戻ってきたロボットに起こされた。

 出口が見つかったかと期待したがそうではない。定時連絡に戻ってきただけだ。

 ロボットとの間に無線が通じないため、私は八時間後に戻ってくるように命じておいたのだ。出口は見つからなかったが、ロボットは洞窟内のマップを作製してくれた。

 かなり大規模な洞窟なようで、二台がかりでも探査しきれていないようだ。私はロボット達に未探査区域を調べるように命令しようとしたとき、マップに妙な構造を見つけた。

 月の洞窟は溶岩の流れた跡なので、当然細長い構造をしている。しかし、一ヶ所だけドーム状の空洞があったのだ。

 直径が百メートル。高さは五十メール。

 ほぼ真円に近い構造だ。自然の造形とはとても思えない。ここから歩いて一時間ほどのところにある。今からでもそこへ行ってみたい。何があるか見てみたい。

 しかし、いつ助けがくるか分からないのにここを動くわけにはいかない。

 私はロボットの一台を未調査区域に向かわせ、一台をドームに向かわせることにした。

 ロボット達が行った後、私は酸素の残量を見て愕然とした。じっとしていれば消費量を抑えられるかもしれないと思ったのだが、ほとんど変わりはなかったようだ。

 私の命は後、三十六時間しかなかった。

 三時間が過ぎて、ドームへ行ったロボットが戻ってきた。ロボットの持ってきた映像は驚くべきものだった。ドームはやはり自然のものではなかった。何者かに作られたものだ。

 ドームの壁は金属ともセラミックともつかぬ材質でできていていた。そしてドームの中心で何かが輝いていた。直径一メートル程の光る円盤というべきだろうか。いや、光る穴といった方がいいかもしれない。

 私はその映像を見て興奮を抑えることができなかった。一時だけ迫りくる死の恐怖を忘れることができた。間違えない。

 これは人類以外の文明だ。



 西暦二〇五四年八月三日


 どうやら、最後の時間が近づいてきたようだ。酸素残量は二時間を切った。

 ロボット達はよくやってくれたが、とうとう出口は見つからなかった。

 美代子、昇、珠。すまない。私はもうお前達のところへ帰れない。もう抱きしめることもかなわない。最後に誰かがこのボイスレコーダーを見つけてくれる事を期待して言い残しておく。

 美代子、昇、珠。私はお前達を愛している。死の瞬間まで私はお前達を愛し続ける。うまい言葉が思いつかないが、それが私の偽りない気持ちだ。

 最後の酸素を使って私はあのドームに行ってみようと思う。勘違いしないで欲しいが、私は決して自暴自棄になったわけではない。

 もしかすると、あのドームにいけば私が生き延びる術が残っているかもしれない。

 可能性は少ないが私の最後の賭けだ。

 このボイスレコーダーを見つけた人よ。

 ロボットのコンピューターにマップを残してあるので、見つけたらドームを探してほしい。私が賭けに敗れたなら、そこに私の亡骸があるはずだ。何もなければ、私は賭けに勝ちどこかで生き延びているかもしれない。

 では後をたのむ。

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