実朝暗殺!

sanpo=二上圓

第1話

 雪が降っていた。雪は灰のように舞っていた。

「震(ふる)えておられるのですか?」

「まさか」

 傍(かたわ)らに立つ若者の言葉に公暁(くぎょう)はひっそりと笑って答えた。

「これは武者震いだ」

 二人とも闇に解け込む黒い法衣(ほうえ)、括袴(くくりはかま)に脛布(はばき)を巻いて一見、僧兵のいで立ちである。但し足拵(あしこしら)えは足駄(あしだ)ではなく草鞋履(ぞうりば)きだ。寡頭(かとう)も白ではなく黒布だった。

「おまえにはわかるまい。私がどれほどこの時を待っていたか。だから――」

 ふいに口調を変える。優しい眼差しで若者をまっすぐに見た。

「おまえには感謝している。犬丸よ」

 犬丸と呼ばれた若者は無言のまま目を伏せた。足元に犬がいる。こちらは本物の犬だ。真っ白い犬はさっきからずっと大人しく地面に伏せていた。

「おう、おまえにも感謝しているぞ、シロ」

 公暁の声が弾(はず)む。

「おまえを見た時から私の運命は動き出したのだから。そうだ、御礼に名を授けてやろう。シロなどではなくもっと立派な名――〈使者〉はどうだ? かの弘法大使(こうぼうたいし)も高野山で導いてくれたのは犬だというからな」

 いかにも鶴岡八幡宮別当べっとうらしいたとえ話だ。 ※別当=長官、寺院の統括者

 境内をうろついていたこの犬を公暁が目にしたのは師走の五日。かれこれ二月(ふたつき)ばかり前になる。その日も祈誓のため参篭しようと渡殿(わたどの)やって来た時、目前を過(よぎ)る犬の姿を見た。何処から迷い込んだものか、怪訝(けげん)に思って近寄るとその後ろに人が立っていた。歳は十五、六。胸紐を結んだ直垂(ひたたれ)に括袴姿――一目(ひとめ)でわかる、侍の子弟だ。勝気そうな目が好ましい。この若者が発した言葉はいたく簡潔だった。

「ご無念存じております。仇を討つ気はおありですか?」

「――」

 公暁の仇の名は源実朝(みなもとさねとも)。叔父であり、鎌倉幕府第三代将軍である。

 公暁が未だ幼名の善哉(ぜんざい)と呼ばれていた七歳の時、父、二代将軍・源頼家(みなもとよりいえ)からその座を乗っ取り、命まで奪った。罪の意識からか、実朝は一旦(いったん)は甥である公暁を猶子(ゆうし)に据えた。※猶子=親子の関係を結ぶ事

 だが結局、母――公暁には祖母に当たる――尼御台(あまみだい)北条政子(ほうじょうまさこ)の命で公暁は十二歳で仏門に入れられ修行という名目で京へ追いやられた。十八になった一昨年、漸(ようや)く鎌倉へ戻され鶴岡八幡宮の別当に就任した。しかし、誰もが知っている。これは聞こえはよいが幽閉の身と変わらない。

 犬を連れた若者は犬丸と名乗った。自身も源家に恨みがあると言う。続けて口にした企てが、またこの上なく簡潔だった。明けて建保七年の正月、実朝の右大臣任官を祝う拝賀の日、その参詣(さんけい)帰りを襲撃する――何と単純明快で美しいではないか!

 そして、その日が今日なのだ。

「全てが終わったら、犬丸、おまえにも佳(よ)い名を授けてやるぞ。功労者として一生私の傍らに侍(はべ)らせてやろう、第四代鎌倉幕府征夷大将軍の寵臣となるのだ」

「勿体ないお言葉です」

 犬丸は畏(かしこま)まって膝を折り頭を下げた。目線が同じ高さになった犬の額をポンと叩く。構ってもらったのが嬉しかったのか犬は跳ね飛ぶと黒尽くめの主従の周りをクルクル回り、勢い余って闇の中へ駆け去ってしまった。

 犬丸は白い息を吐いて笑った。

「なに、ご心配には及びません、あいつはすぐ戻って来ます。そういう風に躾(しつ)けています」


         *


 雪は益々激しくなった。

 既に陽は落ち闇に塗り込められた冬の夕刻、いよいよ祝賀参詣の列が動き出す。

 この日のために馳せ参じた千を数える御家人たち。その最先端で太刀持ちの執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の足が止まった。

 随身(ずいじん)が訝し気に顔を見上げる。 ※執権=将軍を補佐する幕府最高職

「如何(いかが)なされました、義時さま?」

「犬が――」

「?」

 降りしきる雪の中、白犬が一匹、中門を掠(かす)めて駆けて行くのを、確かに随身も見た。

「やぁ! さながら雪片が凝(こ)ったかと思いましたが――あれは犬ですな?」

 次の瞬間、随身の肩に義時の体がドンとぶつかる。

「義時さま?」

「眩暈(めまい)が……」

「大丈夫ですか?」

 さざめきが広がった。将軍近侍の重臣たちが集まって来る。

「どうした、何事か?」

「義時さまのお具合が――」

 義時は苦しげに息を吐いた。

「む、む、この大事な時に、足がふらついてかなわぬ。太刀持ちと言う大役なれば粗相をしたら取り返しがつかぬ」

「ならば、私が代わりましょう」

 ズイッと一歩前へ出たのは源仲章(みなもとなかあき)である。京生まれの公家で文学博士。実朝の侍読(きょういくがかり)を務めた。後鳥羽上皇に可愛がられているそうで朝廷側とも繋がりが深い。それを盾に尊大で立ち居振る舞いに遠慮がない。こう時には必ずシャシャリ出て来る。

「おお、仲章殿、かたじけない」

 己の無様な姿態を恥じているのか、義時は顔を上げず白い地面を見つめたまま言った。

「では、お任せしよう。こんなことは初めてじゃ。私も年か……」

 仲章は肩を揺らして笑った。

「なんの、代役はむしろ、光栄です。義時殿はゆっくりと休まれるがよい」

 義時の御家人たちは少なからず動揺した。せっかくの祝賀の参詣に同道できないとは我が主は何と運の無いことか。北条家の重鎮たちが小声でこれを諫(いさ)めた。

「義時殿は戌年(いぬどし)の生まれじゃ。先刻見たという白犬に何か感じるところがあったのだろう」

「そう、白犬は天のお告げだったのかもしれぬ……」


        *


 雪は遂に止むことなく振り続いた。

 右大臣祝賀の参詣を滞りなく終え、一同、帰路に着いたその時だった。

 既に護衛は石段の下に降りている。もっと多い雑兵は鳥居の中までは入れず周辺で待機していた。今日のために京からやって来た公卿(くぎょう)たちが厳(おごそ)かに並んで待つ中、最後に拝殿から出て来たその人、右大臣源実朝めがけて黒い魔風のように突進して来た影がある。

 影は叫んだ。

「親の仇はこう撃つぞ!」

 刀を抜き放ち、実朝の長く引いた下襲(したがさね)を踏むや、顔面に渾身の一撃。血を吹いて前に倒れかかるのを、その胸を蹴って仰向けにする。上半身を足蹴(あしげ)にしたまま、ザクリ、首を斬り落とした。

 時が凍った。静寂が四方に染み渡る。

 それがどのくらいの間(ま)だったのか、やがて公卿たちが蜘蛛の子を散らす如く一斉に逃げだした。実朝の一番近くにいた太刀持ちの源仲章は己の刀を抜く間もなく、闇に閃(ひらめ)く刃に両断される。その他、周囲に留(とどま)った者たちは片っ端から斬り殺された。

 舞うのは白い雪、飛沫(しぶ)くのは鮮血。夢見た通り美しい図だ。漆黒の闇の中、燃え盛る篝(かがり)が刃風に揺れてジジッジジッと悶(もだ)えた。

 まだ湯気の立つ首を引っ提げて、公暁は石段の上から不気味なほど静まり返った鳥居下を覗き込んだ。今一度、声を限りに叫んだ。

「見ろや! 親の仇はかく討つぞ―――!」

 千の兵は何処へ行った? 階段下は黒い沼のように闇が沈殿している。


        *


 降る雪にも音は無い。

 ポタポタポタポタ……二尺ほど積もった地面に滴(したた)る血の音だけが響いて行く。

 見事討ち取った実朝の首を下げて八幡宮裏山の道を意気揚々と歩く公暁に犬丸は声を掛けた。

「これからどちらへ参りましょう? やはり義村(よしむら)様のお屋敷がよろしいのでは?」

 三浦義村は公暁の乳母の夫であり最大の後見人である。

「それもよいが」

 カラリと爽快に笑って公暁、

「まあ待て、先に寄る処がある。この首を引っ提げてぜひ行きたいと思っているのよ」

「何処です?」

「扇谷(おうぎがやつ)に草庵がある。知っているか?」

「いえ」

「寺ともいえぬ寂しい場所じゃ。そこにな、ビャクシンとイヌマキの木が植えられているのだ」

 え、と犬丸が眉を寄せたのを見て公暁は頷(うなず)いた。

「そうよ。ビャクシンとイヌマキは鶴岡八幡宮が有名だ。あれはこいつが」

 手に下げた首を持ち上げる。懐かしき叔父の顔。

こいつ・・・が、憧れた宋(そう)から取り寄せた苗を植えたのだ。その同じ苗を植えた場所へ行く」

「同じ苗を? それは知りませんでした」

「兄弟木と言うやつさ。・頼家を弑逆(しいぎゃく)した・実朝を、子の私がまた討つ。今宵、凱歌をあげるのに最も適した場所と思わぬか、のう、犬丸?」

「そういうものですか? やはり源氏大将筋は考えることが違いますね」

 暗殺が成功したからには、本当は真っ先に頼れる庇護者の元へ逃げ込んだ方がよいに決まっているが――

 だが、犬丸は抗(あらが)うことなく素直に従った。いつの間にか白い犬が二人の傍に戻って来ている。


        *


 雪の夜道を黙々と渡って来た二人である。夜を徹して歩いたとて、疲れなど感じない。公暁は今年二十歳、犬丸は十七。思う存分刃を振るい人を斬りまくった若い血は身内で滾(たぎ)っている。

「ここだ」

 なるほど、石段もない斜面を上ると若木が二本、並んでいた。

「こっち、ビャクシンはどんな過酷な土地にも根を下ろす不屈の木じゃ。馨(かぐわ)しい香りで仏像を彫るのにも適している。だから僧侶に好まれる」  

 見上げながら公暁が教えてくれた。白い頬、繊細な眉、父頼家より叔父――今その手にぶら下がって揺れている――実朝によく似ている。

「だが、犬丸よ、こちら、イヌマキも面白いぞ。マキは漢字で〈槙〉、真の木と書くのよ。騒がしい音を塞ぎ、火にも風にも強い高貴な木じゃ」

「なのにイヌなのですね?」

 珍しく犬丸が可笑しそうにクスリと笑った。あまり感情を表さないこの若武者が。

「うむ。ホンマキという種が別にあるので遜(へりくだ)ってイヌの名を付けたと聞いたが、木の質にさほど変わりはない。花のせいだと私は思うぞ」

 公暁は白犬を振り返った。

「おう、使者よ。ちょうどおまえの尾のようだ。春になるとな、白くてフサフサした花をつける」

「それは面白い――」

 犬丸は微笑んだが、真横に立っていた公暁は微笑を返さなかった。いや、笑おうとはしたのだ。だが、その時には犬丸の抜いた刃が一閃、公暁の左肩から股先まで斬り裂いていた。

「グ―――」

 血を撒(ま)き散らせて倒れる。

「三浦殿の門前でと思っていたが、なに、場所などどこでもよいのだ」

 頬に飛び散った返り血を手の甲で拭って犬丸は呟いた。これは始めから決まっていたこと。自分はあなたを斬るために遣わされたのだから。

「なあ、シロよ」

 躾けた通り忠実に傍に控えている犬に言った。

「公暁殿がおまえに授けてくれた名は気に食わぬ。ハナから不吉だと俺は思ったぞ。見ろ、今となっては、叔父も甥も仲良く〈死者・・〉じゃ。哀れな骸(ムクロ)よ」

 実朝の頭巾を剥ぐとハラリと漆黒の毛が新雪の上に零(こぼ)れた。

 ザクリ、今夜二度目に聞く豪快な音を響かせて公暁の首を斬り落とす。両手に二つの首をぶら下げて立ち上がった。

 そこで、ふと思った。

「首は一つでいいか」

 清々しいと言ってよい笑いが顔いっぱいに広がる。肩越しに木を振り仰ぐと、

「イヌマキとな? ここに埋めるか。俺たち同様・・・・・、長い尾らしいからな」

 犬丸こと、本名、長尾景茂(ながおかげしげ)は実朝の首の方を二本の木の一方、イヌマキの下に埋めた。

 若者は己の手柄である公暁の首だけを下げて帰った。それを父、長尾定景(ながおさだかげ)に渡すと定景は、おまえももう一人前だと大層(たいそう)褒めてくれた。首は定景が馬を飛ばして北条義時の邸へ届けた。時を移さず、義時が首実検をした。

 全て目論見(もくろみ)通りに事は運んだと言ってよい。

 傀儡(かいらい)に甘んじて歌だけ詠んでいれば良かったものを政治にも強権を欲した実朝、別当に据えたにもかかわらず剃髪もせず露骨に次期将軍の座を狙う公暁。邪魔者を退けるために北条義時と三浦義村が共謀して決行した謀反である。

 かくして河内源氏統領の血筋は三代で断絶した。

 死者を嫌った若き暗殺者長尾景茂とて、数年後、北条氏に反旗を翻して、源頼朝(みなもとよりとも)の墓の傍らで三浦泰村(みうらやすむら)ともども自刃する未来が待っている。居城は北条時頼(ほうじょうときより)によって壊滅、長尾一族は滅亡した。

 とはいえ、この長尾氏は上杉謙信(うえすぎけんしん)の祖と伝えられている。真の木、槙はまた杉を指すとも云う。猛き鎌倉武士の血が枯れることなく種を飛ばして戦国の世に大きく枝を張ったと考えれば愉快だ。

 実朝の首は遂に見つからなかった。

 山門を入るとすぐビャクシンとイヌマキの堂々たる古木が並んで植わっている寺院は鎌倉に実在する。だが、悲しいかな、犬丸が首を埋めた同じ場所なのかどうか、今となっては証明する術(すべ)がない。史実に残る確かなことは一つ。


 建保七年 (1219) 一月二十七日、夕刻より雪。その激しい雪の中、実朝暗殺!



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