第49話 三好長慶、立つ
主要登場人物別名
弾正… 六角定頼 六角家当主 天下人として幕政を牛耳る
大和守… 篠原長政 三好家臣 三好長慶の傅役として生涯仕える
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
宗三… 三好政長 三好傍流 宗家の三好長慶と争いを繰り返す
河内守… 遊佐長教 畠山家臣 河内守護代 事実上の河内の覇者 三好長慶に娘を嫁がせる
――――――――
大和での会談を終えて京に戻った六角定頼は、足利義晴と細川晴元を仲介して義晴・義藤を京に戻していた。この日はその和睦を祝して室町殿にて能楽が催されている。
蒲生勢も交代で辻警護の任に当たっていたが、賢秀はこの日は非番で宿所である相国寺に父と共に控えていた。
目の前では父親の定秀が何か棒のようなものをしげしげと眺めている。
「父上、それは何でしょうか?」
「これか。鉄砲というものらしい」
「鉄砲……」
息子の藤太郎賢秀の目には好奇の光が明々と灯っていた。
「御屋形様が右京大夫様から贈られたとかでな。何でも轟音を伴って鉛の弾を飛ばす戦道具らしい」
「弾を飛ばす……飛び道具と言っても弓とはかなり違いますな」
「うむ。南蛮渡来のものだ。精巧な絡繰りが施されているようだ」
触りたそうな顔をして賢秀が定秀の手元を覗き込む。
一体どのような戦道具なのか、若い賢秀の興味は尽きない様子だ。
「持ってみるか?」
「はい!」
定秀から鉄砲を受け取った賢秀は手にズシリと重みを感じる。見た目よりも随分重い。木の細工の中に何やら複雑な鉄の細工が乗っているように見えた。
「随分重いものですが、これでどのように弾を飛ばすのでしょうか?」
「わからん。後程職人が試し撃ちを披露しに来ると言っておったからそなたも立ち会うがよい」
「良いのですか?」
「構わん。気になって仕方がないという顔をしておるわ」
賢秀が嬉しそうな顔をすると、再び鉄砲に視線を落として様々な部分をじっくりと眺めて行く。
棒の手元には可動する金属の蓋のようなものがあり、その下に引き金がある。試みに引き金を引いてみると、カチリと音がして撃鉄が動く。何のためにこのような絡繰りを作っているのか、賢秀の興味は尽きない様子だ。
―――まるで新しい玩具を与えられた子供だな
定秀は先ほどまでの自分の姿も忘れて、ひたすら鉄砲に向かい合う息子に苦笑した。自分自身色々と触って眺めてみたが、どのような目的があってこういう絡繰りを作っているのかはわからなかった。
定頼は試し撃ちを見たとのことだが、弓の方が強いだろうと言ってあっさりと下賜してくれたことを見るとそれほど興味を示さなかったのだろう。自身が日置流の弓の名人である定頼は、鉄砲をさほどに評価してはいなかった。
「堺の安孫子や近江の国友ではこれを模倣して国産の鉄砲を作っているそうだ。我が日野は刀鍛冶の多い地でもあるし、高く売れるそうだから日野で作ってみてはどうだと御屋形様は仰せだ」
「日野で……では、そのために?」
「うむ。俺に下されたのはそれが理由だろう。武具としてはともかく、銭になるならば御屋形様は作ってみよと仰せられた。場合によっては我が日野の新しい産物となるかもしれんな」
定秀の言葉を聞き、賢秀はますます興味深げに鉄砲を眺める。
「どれくらいの値で売れるのでしょうか?」
「左様、五十貫ほどもするらしい」
「ごっ、五十貫!?」
賢秀も思わず声が裏返る。五十貫と言えば現在の価値に直して五百万円ほどだが、銭を未だ輸入に頼っている当時としては現代の貨幣価値以上の値打ちがあった。
「ははは。まあ、どのような物かは後程試し撃ちを見てからだな」
話していると部屋の外から職人の到着が告げられた。
「来たか。さて、五十貫の商品とは一体どのようなものかな」
定秀にも純粋に興味がある。賢秀と共にいそいそと庭へと降りて行った。
※ ※ ※
摂津の越水城では連日の評定が行われていた。議題は細川晴元への対応についてだ。
「此度の右京大夫様の池田殿へのなされようは甚だ理不尽に過ぎる。遊佐河内守殿にかつて
松永久秀が満座の中で細川晴元の非を鳴らす。長慶と遊佐長教の和睦と婚姻が成立したそのわずか十日後に、摂津池田城主池田信政が京の管領邸にて切腹させられるという事件が起きていた。
細川氏綱出現後は摂津国衆も向背常ならぬ態度を取り、そのことに細川晴元は常々腹を立てていた面はある。だが、それにしてもその理由付けがお粗末すぎた。これでは、一度でも細川晴元に背いたことのある者はいつ腹を切らされるかと不安にさいなまれることになる。まして三好長慶はその遊佐長教と婚姻を結んでいる。池田がかつて通じていたという理由で腹を切らされるならば、婿となった三好長慶はいつ誅されてもおかしくないことになってしまう。
「しかし、我が殿は御父君の代から細川右京大夫様をお支えして参った。今になってそれを翻すいうのも如何なものか……」
「大和守殿!貴方らしくもない。その御父君の南宗寺殿を裏切って腹切らせたは当の右京大夫様でございましょう!このままでは我が殿に
篠原長政が慎重な意見を出すが、松永に押し切られる。長政が終生忠誠を尽くした三好元長を切り捨てたのは細川晴元なのだから、長政にも反論の言葉を探すのが難しい。
篠原長政とて今回の沙汰を快く思っているわけではない。これでは『いつか背くかもしれない』という理由で三好長慶に切腹が申し付けられたとしても不思議ではないからだ。
「それに、今は遊佐河内守殿もこちらのお味方だ。宗三や右京大夫と戦端を開くこととなっても、今ならば互角以上に戦えましょう。機は熟したと言うべきでしょう!」
松永久秀と篠原長政を中心に展開される議論に目を瞑って聞き入りながら、三好長慶の脳裏には会談の別れ際に耳打ちされた遊佐長教の言葉が蘇っていた。
―――南宗寺殿を切り捨てるよう進言したのは宗三殿だ
驚くべき事実と言えた。今まで父の三好元長に一向一揆をけしかけたのは細川晴元と木沢長政の策謀だと聞かされていた。確かに三好政長は河内十七箇所をいつまで経っても長慶に返そうとしなかったが、それは単純に三好政長が領地を手放したくなくて三好長慶と細川晴元の間に入っているだけだと思っていた。
だが、もしも三好政長が主体となって動いたのが事実だとすると、三好政長は最初から三好元長を嵌めるつもりで細川晴元に具申したことになる。最初から河内十七箇所は三好政長に与えるという話が付いた上で三好元長を謀殺したのだとすれば、今に至るも三好長慶に十七箇所の代官職が返還されないことにも納得がいく。
三好政長は河内十七箇所を三好元長亡き後に預かっていたのではなく三好元長から奪い取ったのだ。奪い取った物を返す盗賊などは居ない。
もちろん、遊佐長教が新たな騒乱を起こして自らへ向いた細川晴元の目を逸らそうと画策したことだという可能性もある。だが、それにしては今まで理不尽に感じていたことへの理由が全て納得できる気がした。
三好政長は父の遺領を横領しているのではなく、れっきとした父の仇だったのだ。
今までの自分ならば、そうと知ってもことを起こすことは控えただろう。細川晴元の後ろには六角定頼が居る。六角を敵とする覚悟がなければ、これ以上突っ込んだことは出来ない。
だが、今は……。
深い思索の森から抜け出た長慶は、目を見開くと一座を見回した。
今の今まで議論を戦わせていた篠原長政と松永久秀も長慶の様子に気付いて話を止めた。
「宗三は我が父三好元長の仇だ。父を殺し、その領地を奪い取った罪を許すわけにはいかぬ。宗三を討ち、父の遺領である河内十七箇所を奪還する」
居並ぶ群臣が両拳を突いて頭を下げる。長慶の下知に従うことを示した形だ。
「まずは右京大夫様と六角弾正殿に書状を出す。改めて、河内十七箇所を某の手元に戻されるように願う」
「それを右京大夫様は聞き届けられましょうか?」
松永久秀の問いかけに長慶の口元が大きく歪んだ。
「返すわけがないだろう。宗三が父を討つことを認めたのは右京大夫様だぞ」
「しかし、ならば何故そのような……」
「これは宣戦布告だ。右京大夫様……いや、右京大夫は必ず我が願いを無視するだろう。六角はそれでも右京大夫の説得に掛かるだろうが、その説得を聞き入れるような右京大夫ではない」
「では!」
松永久秀の顔が明るくなる。反対に篠原長政の顔は険しくなっていった。
「敵は右京大夫。そして六角弾正だ。皆、そのつもりで支度を整えよ!」
「ハッ!」
長慶の言葉に再び全員が頭を下げる。評定が終わると、全員がバタバタと広間を後にした。すぐにでも用意を整え始めなければ秋がやって来る。秋の刈入時に戦を行うことは難しい。
群臣が広間を出て行ったところで、最後まで居残っていた篠原長政が不安げな顔をして長慶に近づいた。
「若……まことに六角様と事を構えられるお覚悟ですか?」
「じい。もう決めたことだ」
篠原長政の顔が不意に笑み崩れ、懐かしい日々を思い出す目になった。幼き日の三好長慶は傅役の長政の言うことを聞かず、散々に手こずらせた悪童だった。
あの時から長慶は何も変わってはいない。そのことを篠原長政は思い出していた。
「元服早々に仰せになったお言葉でしたな。『いずれは……」
「弾正をも超える男になる』今がその時だ」
「……わかり申した。これ以上殿の行く道をお止めは致しませぬ。ですが、険しい道ですぞ」
「わかっている。だが、三好元長の子としていずれは通らねばならん道だ。俺が六角弾正を越えて行く様をしっかりとその目で見ていてくれ」
「ハッ!」
天文十七年(1548年)八月
遊佐長教と同盟した三好長慶は、三好政長の非を訴えて改めて河内十七箇所の代官職の返還を細川晴元に訴えた。同様の書面は近江の観音寺城へも届けられた。
長慶の予想通りに細川晴元はこの懇請を無視し、逆に三好長慶が細川晴元に断りなく遊佐長教と婚姻を結んだことを叱責する返書が届いた。
長慶は細川晴元の予定通りの行動に内心手ぐすねを引いて次の一手を打つ。摂津各地に檄文を飛ばし、三好政長と細川晴元の非を鳴らして反旗を翻すことを宣言した。
細川晴元によって当主を切腹させられた池田城は即座に三好長慶支持を表明し、その他の国衆も次々に長慶に同調したために摂津で細川晴元を支援するのは伊丹城の伊丹親興と茨木城の茨木長隆だけとなった。
更には丹波の守護代内藤国貞や和泉の松浦隆信、大和の筒井順昭らが三好長慶に同調。これによって細川晴元の頼れる軍勢は舅の六角定頼だけとなった。
堺にて遊佐長教と綿密な打ち合わせを行った三好長慶は十月に入って正式に細川氏綱と同盟を結び、反細川晴元を鮮明にする。
そして天文十七年十月二十八日には末弟の十河一存を先陣として越水城を出陣し、河内十七箇所内にある榎並城へと迫った。
度重なる戦乱を制した六角定頼は既に病に身を蝕まれ、六角家の全盛を支えた功臣達の中で最も若い蒲生定秀が既に四十二歳を迎えている。
天下が次代の英雄を欲しているかのように、天下に推されて三好長慶は摂津欠郡の地に己の足で立ち上がった。
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