第23話 吉兆


主要登場人物別名


弾正… 六角定頼 六角家当主


藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣

但馬守… 後藤高恒 六角家臣


六郎… 細川晴元 細川京兆家当主


千熊丸… 三好長慶 三好家当主 細川晴元によって父を謀殺される

大和守… 篠原長政 三好家臣


御裏方様… 志野 六角定頼正室


――――――――


 

 鴨川の水を跳ね上げながら、蒲生勢と晴国勢が川中で乱戦を展開している。

 蒲生勢は北白川から下って五条辺りの鴨川東岸を確保し、対岸の平岡に陣する晴国方の松野勢を押し込んでいた。

 奇しくも二年前に木沢勢と戦った地点で、今度は木沢長政と同じ細川晴元方として戦うという事に、定秀は混沌とした世相を感じずにはいられなかった


「ォルァァ!」


 馬上から赤樫の大身槍で薙ぎ払うと、五名ほどの足軽が防御の上から吹き飛ばされて川の中に転げた。

 後ろから長柄の兵がひたひたと押し寄せ、転がった足軽が守っていた地点に槍先をねじ込む。

 すでに松野勢の前線は崩れ始めていた。


「渡河地点に拠点を確保せよ!長柄隊はそのまま押込め!」

「オウ!」


 定秀が槍を上げて軍勢に指示を出すと、長柄隊を押し上げながら外池茂七が首尾よく定秀のこじ開けた綻びを広げていく。

 対岸からは矢が飛んで来るが、空中で槍を振って矢を払いのけると定秀は少し下がって馬廻の到着を待った。


「殿!お一人での突撃はお控えください!」

「はっははは。すまんすまん」


 弥七に代わって馬廻組頭となった原小十郎が恨めしそうに声を掛ける。

 小十郎も定秀が雑兵如きに討たれることはないと思っているが、主君一人に突撃させたとあっては馬廻衆の立つ瀬がない。

 しかし、定秀の見る所長柄組が川で矢を受けると無駄に被害が出そうだった。そのため、先に敵の前線に綻びを作るべく単身突撃した。これは定秀にとっていつもの事と言えた。


 弥七や彦七ならば、その気配を察して何も言わずともぴったりと左右を固めてくれたが、新たに任命した小十郎にはまだその辺の呼吸が飲み込めていないようだった。


 ―――戦の呼吸というものを肌で感じてもらわねばいかんな


 人数や装備は補充が出来ても、戦の経験値だけは一朝一夕には身に付かない。こればかりは場数を踏んでお互いの呼吸を知って行かねばどうしようもなかった。


 ―――茂七も気張っているな


 前方を見ると長柄隊が定秀の作った綻びを押し広げ、間もなく対岸に敵を押し上げる勢いを見せていた。

 だが、定秀の視線の先に岸の先から駆けて来る新手が見えた。どうも雑兵や物頭と違い、部隊の大将らしき大幟を従えている。

 敵の力量をとっさに認識した定秀は、再び馬の腹を鐙で蹴った。


「続け、小十郎!大将首だ!」

「は……はは!」


 やはり小十郎は一拍遅れた。彦七ならば定秀よりも早く飛び出していただろう。主君の後ろを走るようでは馬廻は務まらない。


「どけどけぇ!蒲生藤十郎が通るぞ!」


 馬上から喚きながら対岸に突撃すると、味方どころか敵の足軽までが道を開けた。蒲生藤十郎の武名はすでに敵方にも知れ渡っていた。

 馬の勢いで敵兵を跳ね飛ばしていくと、岸を下って来た敵将が慌てて槍を構えるのが見える。


「そ…某は松野美作守…」

「遅いわ!」


 敵が名乗り切る前に馬を寄せた定秀は、すれ違いざまに松野の右肩に槍を叩き込む。

 堪らず槍を取り落として馬から転げ落ちた松野美作守は、後から続いた外池茂七の槍に腹を貫かれて首を切られていた。

 残りの敵本陣勢は算を乱して逃げ惑い、対岸に拠点を作るまでもなく蒲生勢の勝利は確定した。


「茂七!でかしたぞ!」

「殿の後について行けば手柄首が転がっておりますゆえ」

「こいつ。言うではないか」

 戦場のなかでカッカッと大笑いした定秀は、そのまま長柄隊を対岸に上陸させて拠点を確保し、五条大橋を振り仰いだ。

 五条大橋は後藤勢が正面から攻め寄せている。蒲生勢は渡河して五条大橋を守備する部隊の後ろを突く役割だった。

 だが、あっけなく敵将を沈めた蒲生の勢いに五条大橋の敵も逃げ出している。後藤勢は悠々と橋を渡って洛中に侵入した。



「但馬守殿!平岡の辺りはおおよそ確保いたしましたな!」

「うむ。しかし、藤十郎の突撃は以前より鋭くなったか?」

「左様でしょうか?」

「ああ、どうも以前よりも敵陣を切り裂く威力が増しておるようだ。怪我の影響も微塵もないようだな」

「ははは。これこの通り、すっかり完治いたしましたぞ!」

 左腕をブンブン振って後藤に完治を示す。洛中に拠点を確保したら、次は右京のあたりで戦っている薬師寺国長の援助に行かねばならなかった。


 後藤と馬を寄せて話していると、二騎の伝令が西の方から駆けて来た。


「馬上にて失礼いたします!薬師寺備後守様が高雄にてお討死!法華宗も散り散りになっております!」


 伝令の言葉に定秀は後藤と顔を見合わせた。

 薬師寺国長から援助要請を受けて北白川から出陣していたが、肝心の国長が討たれてしまってはどうしようもない。


「やれやれ、我らが後を引き継ぐしかあるまいな」

「左様ですな。さても六郎殿の軍勢は当てにならぬことで…」


 定秀は苦笑した。前線を維持できないのならば陣を退けば良いのだ。その判断すらできないとは、細川晴元の周りを固める武将は本当に頼りになるのか心許なかった。

 もっとも、国長にとってみればこれほど早く六角軍が後ろを確保するとは思っていなかったのかもしれない。

 薬師寺勢は摂津から洛中に進出したが、丹波から細川晴国の本隊に攻めかかられている所に松野美作守に後ろを遮断されて包囲されていた。



 天文二年(1533年)六月十八日

 右京の高雄に陣を敷いていた薬師寺国長は細川晴国の軍勢によって敗退し、国長本人は討死した。

 鴨川を越えた下京の平岡に進出していた六角軍は、薬師寺の敗退を受けて改めて細川晴国軍と対峙する。

 晴国は小競り合いをしながら六角軍と洛中で睨みあっていたが、二日後の六月二十日には一旦大覚寺まで軍を退いた。




 ※   ※   ※




 篠原長政は阿波木津城を嫡男の長房に任せて、淡路島へ来ていた。

 目の前には三好元長の嫡男千熊丸が不機嫌な顔で座している。

 三好千熊丸は細川晴元と本願寺証如との和睦を仲介したが、その名代として全てを取り仕切ったのが篠原長政だった。


「大和守。なぜわしが父を殺した男と父を殺させた男の和睦を仲介せねばならんのだ。両者ともわしにとって仇ではないのか」


 千熊丸の甲高い声が響く。気持ちは篠原にも分かり過ぎるほど分かった。報せを受けた長政は、なんとしても主君の仇討を成さんと木津城の軍勢を集めたほどだ。

 だが、それ以上に淡路島に逃れた主君の遺児である千熊丸・千満丸・千々世が居た。さらには堺を脱出した時に身ごもっていた元長の妻は、阿波に逃れて後に又四郎を生んでいる。

 これらの主君の遺児たちの身を立て、元長の血脈を守る事こそ忠義であると淡路島水軍の安宅治興に説得され、不承不承ながら矛を収めた。その後は暴走を始めた一向一揆と戦う細川晴元を支援し、一時淡路島に迎えて軍勢の建て直しにも協力した。


 嫡男千熊丸は父の仇に協力する長政を散々に詰ったが、それにも関わらず長政は千熊丸の側を離れようとはしなかった。もう二度と主君の側を離れぬと決意していた。


「千熊丸様、御身の御無念はよくわかり申す。某とて、お気持ちは同じにござる。されど、六郎様は六角の協力を取り付けております。

 お父上も六角弾正様とだけは事を構えられぬと申されておりました。今は怒りを堪え、力を蓄える時でございます」


 何度も聞かされた言葉に益々不機嫌な顔を抑えられずにいる千熊丸に対し、長政も神妙な顔で応じた。


 ―――感情とは別に、道理をわかろうと努力されておられる


 まだ十二歳の千熊丸は時に感情のままに振る舞う事もあったが、それでも長政の言葉に理を認めて長政の行う事に口出しはしなかった。

 幼き主君のいじらしい態度と頭の良さに、長政も何としても身を立てさせてみせると決意を新たにしていた。



 天文二年(1533年)六月二十日

 京で蒲生定秀や後藤高恒が細川晴国の軍勢と戦っている頃、摂津では石山御坊に逃れた本願寺証如と細川晴元が和睦した。この和睦を仲介したのが三好千熊丸の名代として働いた篠原長政だった。

 千熊丸は同時に元服して孫次郎利長を名乗り、伊賀守を称した。


 この千熊丸こそが、後に畿内を統一し、戦国の巨人と謳われた三好長慶ながよしであり、弟の千満丸が三好実休じっきゅう、千々世が安宅あたぎ冬康ふゆやす、末弟の又四郎が十河そごう一存かずまさとなる。


 しかし、十二歳で元服をした孫次郎利長だが対外的にはまだ千熊丸という幼名で通した。

 下手に大人として認められるよりも、父を殺されながらも懸命に細川晴元に尽くす健気な遺児という印象を与え、世間を味方に付けるために篠原長政がそのようにした。


 八月には篠原長政は本願寺の指令を聞かなくなった一向一揆を個別に撃破して回り、摂津の越水城を奪回すると三好千熊丸を越水城に迎えて三好の摂津の本拠地とした。

 越水城は大阪湾に面した城で、淡路島も近く安宅水軍の援助も充分に受けられる。

 元長の二の轍を踏まないようにいつでも淡路島に逃れられる態勢を整えておいた。




 ※   ※   ※




「御裏方様にはこのようなむさ苦しい所へお運び頂きまして、恐悦にございます」

「お邪魔しますよ。昨年の田楽祭り以来ですね」


 観音寺城下の蒲生屋敷では、突然の訪問者に上を下にの大騒ぎになっていた。

 六角定頼の正室である志野が定秀不在の無聊を慰める為と称して妻の辰を見舞っていた。

 ニコニコと上座に座る志野の姿に辰が侍女と共に頭を下げる。定頼の正室といえば観音寺城を裏から取り仕切る女帝だ。

 さしもの弾正も女房殿には頭が上がらぬと幕閣の中でも噂話になっている。だが当の志野はそうした噂を知ってか知らずか、いつもニコニコと笑顔を崩さない立ち居振る舞いに終始していた。


 下座でゆっくり顔を上げた辰は華やかな志野の装いにため息を吐く。

 白絹の小袖の上に華やかな赤い打掛をはおり、打掛には銀糸で桔梗の花を象った意匠を施してある。ややもすれば下品になりそうな豪華さでありながら、大人びた美しさを持つ志野が着れば、その美しさに華を添えるお召し物となる。


 ―――私には似合わないかな


 志野の美しさをうっとりと見つめながら、辰は心のどこかで自分の顔立ちを意識していた。

 志野と違って幼さの残る辰には、派手な着物はその派手さに飲み込まれてしまう。

 辰は打掛も薄桃色の可愛らしい意匠をしており、可憐さをより引き立てるように心がけていた。


「何もおもてなしする物とてありませんが…」

 そう言って朱塗りの椀に白湯を注いで出した。


「まあまあ、綺麗な塗の器です事。これはどちらの産ですの?」

「日野の塗師が拵えた塗椀でございます。日野は山深い地でございまして、木地師や鍛冶師が産物を多く手掛けております」

「まあ、それにしても美しい塗ですね」

「ありがとうございます」


 会話を交わしながら、頭を下げる辰の顔色が優れぬ事に志野はいち早く気付いた。

 いつも朗らかに笑っている志野だが、決して愚かではなく、その勘働きは定頼以上に鋭かった。


「ところで、辰殿は今やや子を宿しておいでで?」

 辰がギクリと顔を上げる。この六月ごろから体調が優れない日が多くなり、月のものも既に二か月来ていない。しかし、元が不順な辰にはまだ確信が持てなかった。


「恐れ入ります。もしかしてとは思っておりますが、まだ確かではないと…」

「いいえ、間違いありません。女の勘というものは当たるのですよ。一層御身大切に為されませ」

「そうでしょうか…」

 キッパリと言い切った志野の言葉に、辰の青白い顔にも喜びの顔が現れる。待望の事ではあるが、それだけにぬか喜びをしたくないと周囲には厳重に伏せていた。それを一目で見破った志野の眼力もずば抜けていた。


「殿方は何かあると戦に出かけてしまいますからね…

 そうですわ!何か精の付くものを届けさせましょう。それと暖かい羽織ものを。それから…」

 慌ただしく引き連れていた侍女に指示を出す志野に対し、辰の方が慌てた。


「お、御裏方様。突然にそのような…」

「何を仰います。藤十郎殿の御子なれば御屋形様にとっても一大事です。観音寺城の奥を挙げて臨まねば」

「有難いお計らいですが、出来ましたら夫には内密に…」


 辰の言葉に志野もキョトンとした顔になる。


「まだ無事に産まれてくれるかも分かりませんし、夫は京で御屋形様御為に働いております。

 余計な事を知らせて心を迷わせたくないのです」


 志野がふっと表情を緩めて笑顔に戻る。いじらしい事を言う辰を、志野はすっかり気に入ってしまった。


「そうですわね。では、お戻りになった藤十郎殿の驚く顔を楽しみにいたしましょうか」


 そう言って共に笑いあった。

 しかし、志野は定頼には辰懐妊の事を知らせた。もちろん、辰の心情を伝えて定秀には内密にするように願った。

 定頼も戻った定秀がどれだけ驚くかと思うと、志野の策に喜んで乗った。大事の身であるので、志野はその後も侍女に何くれと辰に心を配るようにと手配した。


 陰ながらの志野の計らいに感謝し、辰は男児を産むことを祈念しつつ、かすかに聞こえる城下の夏祭りの音に耳を傾けながら天文二年の夏を過ごした。



――――――――


三好長慶兄弟に関してはこの当時名乗っていた名前を書くとだいぶゴチャゴチャになるので、以後は良く知られている名前で通していきます

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