第4話 戦端


予定変更です 六話までイケました

主要登場人物別名


六郎・治部大輔… 梅戸高実 北伊勢梅戸家当主 定頼の弟

弥五郎・民部少輔… 朽木植綱 朽木家当主

左兵衛太夫… 蒲生高郷 定秀の父


――――――――


 


梅戸うめど治部大輔様。ご着陣されました」

「うむ。ご苦労」

「朽木民部少輔様。ご着陣されました」

「うむ。ご苦労」


 続々と本陣へ届く使番の言葉に一つ一つ頷きながら、定頼は諸将を前に周辺絵図を広げていた。


 大永五年(1525年)五月

 京極高延と京極高吉の家督争いに端を発したお家騒動は、京極氏の手を離れて有力国人の浅見貞則と浅井亮政の対立に発展し、遂には浅井亮政が浅見貞則を追放する騒ぎとなっていた。

 六角氏の介入を避けるため国境防備を厚くした浅井亮政だったが、定頼はこの機を逃さずに北近江平定を目論んで進軍を開始する。 


 定頼は軍勢を催して鳥居本(現彦根周辺)の佐和山城に陣を張り、各地の軍勢の参集を待っていた。

 藤十郎は今回日野の守りで留守居とされ、軍勢には父の高郷が従軍していた。


「兄上!お待たせし申した!」

「おお!六郎!よう来てくれた!」

 陣幕を上げて入って来た梅戸治部大輔高実たかざねを立ち上がって迎えると、定頼は両手を広げて歓迎の意を表わした。

 北伊勢に勢力を持つ梅戸氏は定頼の弟の六郎高実が養子として家督を継いでおり、事実上六角家の一門衆としての扱いを受けていた。


 山越衆と呼ばれた保内・小幡・石塔いしどう・沓掛の各商人が八風街道を越えて伊勢の桑名と交易を行っているが、伊勢側に梅戸氏が勢力を張っているために山越衆は安全に通行が出来ていた。

 仮に梅戸が没落すれば、観音寺城下に持ち込まれる富も減らざるをない。

 それほどの大事な重石を外してまでも弟を呼び寄せた事で、諸将は定頼が今回で北近江を制圧する心づもりだと理解した。



「御免!」

「おお!弥五郎殿!日野に続き馳走かたじけない」

 続いて陣幕を上げて入って来たのは朽木植綱だった。

 今回も定頼は立ち上がって満面の笑みを向ける。対する植綱は複雑な顔をしていた。


「よし、では軍議を始めるぞ」

 定頼の一言で全員が床机に腰かけて絵図面に視線を落とす。

 定頼に促されて重臣の進藤貞治が状況説明を始めた。


「我らは六千にて鳥居本の佐和山に陣を張っております。対する京極方は顔戸ごうどに陣を構えているとのこと。数はおおよそ三千」

「京極と言いながら、実態は浅井だ。国人衆も浅井が全て握っておる。

 京極は神輿みこしに過ぎん」

 定頼の言葉に進藤が頷くと、話を続ける。


「数で負けている故でございましょうが、浅井方は顔戸の陣を堅守して固く守る構えを見せております。そこで…」

 言いさすと進藤が図面上の碁石を北の方にずらす。

「我らは一手を分けて顔戸を無視し、坂田を経由して小谷城へ進軍する構えを見せまする。

 小谷城は二年前に築城した浅井の本城。必ずや反応いたしましょう。

 動いた所に後ろから一手を持って挟み撃ちに致します」


 全員が揃って頷く。進藤の献策に異存はないという意思表示だった。


「先陣は後藤・三井・蒲生に任せる。せいぜい旗を立てて目立つように進軍せよ」

「ハハッ!」

「別働は進藤・三雲・永田それに目賀田めかたの軍で当たれ。先陣は法螺貝の音を合図に反転し、挟撃せよ」

「ハハッ!」

「ここで浅井の息の根を止める!各々、抜かるなよ」

「ハッ!」

 定頼の号令に諸将が頷くと散会となった。


 軍議後、複雑な顔をした朽木植綱が定頼の方へ顔を向ける。

「あの、それがしはどのように動けば?」

「弥五郎殿には戦が終わった後、美濃への道を閉じておいてもらいたい。

 土岐修理太夫しゅりだゆう殿には動かぬと約束を取り付けてあるが、弟の左京太夫さきょうだゆうが不穏な動きを見せていると聞く。

 万一にもこちらに侵入されては困るのでな」

「はぁ…」

 植綱は不満気だった。


 定頼の居ない所では所詮盗人などと悪口を叩くが、本人を目の前にするとその無邪気な笑顔に惹かれてしまう。

 戦で役目を与えられないと、役立たずと思われているのかと落ち込んだりもする。

 定頼から褒められたいという欲求と、定頼を追い越したいという嫉妬心がせめぎ合っているのが朽木植綱の内心だった。


「何、弥五郎殿を軽んじての事ではない。むしろ我らの背中を預けられるのは弥五郎殿を置いて他に居ないと思っておる」

「……ハッ!」

 定頼から頼りにされていると言われ、顔つきが引き締まる。

 複雑な男心ではあった。



 翌朝


 蒲生家の家紋『対い鶴むかいつる』が風に揺らめきながら、湖畔のあぜ道を北へと向かっていた。

 目線の先には後藤高恒の軍勢が見え、後ろからは三井高就の軍勢が続いて来ているはずだ。

 高郷は山側に布陣する浅井勢の方へと視線を向けた。


「慌てふためいておるな。我らの狙いに気付いてはおらぬのかな?」

 高郷の言葉通り、浅井の陣では旗指物が慌ただしく揺れていた。


「気付いたとて、取れる行動は限られております。我らに攻めかかるか、小谷に引き返すか、二つに一つ」

「うむ」

 隣を進む森又九郎が笑顔で答える。

 高郷同様、定頼の器量に感じ入っていた。


 ―――さすが御屋形様。稀代の戦上手よ。蒲生家の命運を託すのはこの方を置いて他に居らぬ


 高郷は定頼の元に馳せ参じると決めた時の事を思い出していた。


 定頼以前の六角氏は、伊庭・馬淵・蒲生などの有力国人のまとめ役程度の勢力だった。

 実際、近江守護代を務める伊庭氏は、一度ならず六角家に背いて戦を仕掛けていた。


 ―――あれはもう五年前になるか


 定頼の父・高頼は、度重なる伊庭貞隆の反乱に頭を痛めていた。

 伊庭氏は六角高頼が最も頼りにした宿老だったが、伊庭の重臣・久里くのり貞秀さだひでが高頼に謀殺されると、憤激した伊庭貞隆が出奔。九里家の本拠地岡山城に籠って徹底抗戦の構えを見せた。


 岡山城は琵琶湖に突き出した山地に築かれた要害で、周りに濠を巡らして頑強に抵抗していた。

 琵琶湖の水運は常楽寺湊を抑える九里氏が握っており、琵琶湖からの補給も万全で、中々に落ちそうになかった。


 しかし、兄氏綱に代わって軍を指揮していた定頼は、五反船と呼ばれる大船を摂津国から取り寄せて琵琶湖を掌握し、補給を絶たれた事で五年前の永正十七年に岡山城は落城していた。

 海から京へは宇治川をさかのぼり、京から大津へは何と陸路で船を運んで琵琶湖に浮かべたという。

 正に壮大なスケールの計略だった。


 その話を聞いた高郷は、その軍略に驚くと共に定頼の器量に感じ入り、定頼と面会するとすぐさま臣従を誓った。

 幼弱の秀紀を戴いた蒲生家を保つ為、庇護してくれる存在を血眼になって探していたという事もあった。

 会ってみるとその人柄にも大いに惹かれ、十四歳になった息子の藤十郎をお側で使って欲しいと言って出仕させた。

 それ以降、高郷は六角麾下きかの猛将として近隣に武名を馳せている。



「こちらを目指しておりますぞ!」

 又九郎の言葉に回想から引き戻された高郷は、再び視線を浅井陣に移す。と、一手の隊が蒲生軍を目指して駆け下って来るのを視界に捉えた。


「横腹を突くというか!片腹痛い!

 槍を押し立てよ!防陣を張って受け止める!

 騎馬は両端を守って抜かせるな!前後の軍が態勢を整える時間を稼ぐぞ!」


 高郷は大声で部隊に指示を飛ばすと、槍を構えて前線へと駆けだした。

 後続からは蒲生家を支える家臣達が続々と付いてくる。

 彼らの誰よりも早くに前線に到達した高郷は、浅井勢の先頭を駆ける騎馬に槍を振るった。

 ひと薙ぎで弾き飛ばされた騎馬武者は、そのまま落馬して動かなくなった。


「ここを通りたくばわしを倒してから行けい!

 六角随一の猛将、蒲生がもう左兵衛太夫さひょうえだゆうとはわしの事だ!」

 戦場を圧する高郷の大声に浅井勢が怯んだ隙に、矢の雨が降り注いだ。

 前後を進む後藤・三井勢からの援護だった。

 矢が止むと同時に法螺貝の音が響き、佐和山の方角から大きな陣太鼓の音が聞こえた。

 後続が突撃してくる合図だ。


「突撃の合図だ!かかれー!」

 高郷の声に、それまで槍と楯を構えて守りの姿勢だった足軽達が、楯の影から躍り出て敵勢に突進した。

 高郷も騎馬を降りて手あたり次第に敵兵を槍で吹き飛ばし、突き倒して回る。

 後藤・三井勢と息を合わせて浅井勢の先陣を包囲する構えを見せると、たまらずに先陣が崩壊した。


 余勢を駆って後ろの浅井本陣を目指すと、四半刻(30分)もかからずに本陣の旗が北へと大きく動き出した。


「しまった!逃がすな!」

 高郷は再び騎乗して浅井勢の後を追いすがる。

 ここで逃がしては籠城を許すことになる。討てるうちに討ってしまいたかった。


 ―――十分に包囲しきる前に突破されたか


 高郷は、既に先陣が殿しんがり代わりとなって本陣を逃がす時間を稼いでいた事に気付いていた。

 包囲が完成する前に強行突破を許してしまう事になったと忸怩たる思いだった。


 軍列も乱れたまま遮二無二浅井勢を追ったが、間一髪小谷城に逃げ込まれてしまった。


 ―――くそう!わしとした事が不甲斐ない!


 膝を叩いて悔しがったが、蒲生勢だけで城攻めは出来ない。

 高郷は辺りを警戒しながら兵を休ませつつ、定頼の本隊の到着を待った。


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