第7話:最初の仕事

「誰だ?」


 突如声を上げた私に、アーサーは怪訝そうに私を見つめた。そりゃそうだ。毎度通っているなら、私の存在を知らなくて当たり前。事情を知らない分際で口を出すなと思われるかもしれない。ケネット商店の皆さんだってそう思っているだろう。


 しかし、こんな理不尽なビジネスを強いられているなんて納得できない。利害の一致で結ばれる契約こそ理想のビジネスパートナーだ。培われた価値観ではない、所詮は理想。ブラック企業でそんな価値観が身につくものか。今世くらい理想論者になったっていいだろう。


「申し遅れました。私、旅人のリオと申します。本日より住み込みで働かせていただくことになっております」


「従業員? ふん、教育がなっていないな。新人すら伯爵子息に口応えするとは、経営者の程度が知れる」


 アーサーの挑発にバーバラさんの手が箒を掴む。胸中お察ししますが落ち着いてください。私は努めて冷静に、営業職で身につけた低姿勢と礼節で応じる。


「本日からの契約でしたので、店長に非はございません。私の不徳の致すところです、深くお詫び申し上げます」


「ほう、言葉遣いだけは一人前のようだな。それで? 僕にこれ以上どんな無礼を働くつもりだ?」


 見透かされているのか、それとも「引き下がるだろう」という慢心か。残念ながら、ブラック企業の営業は簡単には折れない。これは異世界で最初の仕事だ。貴族が相手だろうが、営業トークに変わりはない。調教の成果を見せてやる。


「僭越ながら、私から一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?」


「構わん、許そう」


「アーサー様がケネット商店の商品を独占する目的をお聞かせください」


 まずは彼の意図――というより、計画を問う。商品を独占すれば、その分は彼の家に還元されるはず。ケネット商店はアーサーにとって永久機関のよう。決してプラスは生まれない。むしろ彼が商品を買い占めることで、日常的に利用していた常連さんは不便に感じるだろう。商品がないならば他店を利用するしかなくなる。結果として、ケネット商店に閑古鳥が鳴く。アーサーの気まぐれで商品の独占を辞めた場合、商品の買い手が現れずに店をたたむこともあるかもしれない。


 彼の父親――伯爵様がなにを思ってケネット商店に援助しているのかはわからない。けれど、ただの戯れではないはず。この商店を押さえておくことに将来的なメリットを感じたはずなのだ。となれば、気になるのはアーサーの目的。ある種のいたちごっこを続ける理由とは? それさえ理解すれば、落とせる。私はいま、自信に満ち溢れていた。


 アーサーは顎に手をやり、考え込む仕草を見せる。性格は悪いけど、画になるなぁ。でもイケメンだからってなにをやっても許されるわけじゃないんだよ、少年。イケメンはイケメンであるが故に、高い理想を求められるものなの。顔面偏差値にかまけていたら、三十代から地獄だよ。


「お前たちに分からせるためさ。どちらが上で、どちらが下かをね」


「重ねて質問させていただきます。それは御父上――伯爵様からそうご指示があってのことですか?」


「いいや? 貴族としての権威を失墜させないための政策のようなものさ」


 つまりは私情。どれだけロイヤルな言葉で飾っても無駄だよ、ブラック企業の営業は粗を探して突っつく。つけ入る隙を作ったが最後、私は畳みかける。躊躇は要らない。このまま押し倒す。


「お言葉ですが、アーサー様の仰る『政策』は生産性に欠けたものかと思います」


「……なんだと?」


 切れ長の目をさらに細め、アーサーは私を睨み付ける。こういう育ちが良さそうな子がヤンキー更生もののドラマとかに出るとギャップでやられるファンも少なくなさそう。というか私はそうだった。セブンスビートの加賀谷くんとセットで人気だった南雲空くんみたい。彼、落ち着いた子だったけどそういうドラマに出演してから凄かったんだよなぁ。音楽番組でも、衣装はだけさせたり、セクシーでワイルドなファンサが増えてった。若々しい肉体に黄色い声をあげたものだ。あのファンサが恋しい。


 そう、こんな回想ができるくらい、いまの私には心の余裕がある。


「伯爵様がケネット商店を援助する理由について、私なりに考えました。当店には定期的な利益を生む力があるとご判断いただけたのだと思います」


「こんな小さな個人経営の商店にそんな価値があるものか」


「店長、この周辺に小売業を営む店舗はございますか?」


 ここでバーバラさんに話を振る。私は旅人という設定だ、自宅近辺のことは彼女たちの方がよく知っている。毅然とした口調で問いかける私に、やはり驚いたままの彼女は一瞬言葉を詰まらせる。


「あ、ああ……あたしの知る限り、大型のはないねぇ……」


「となれば、この近辺にお住いの方――特に、年配のお客様はケネット商店を利用するでしょう。足腰の弱ったお客様は日用品の買い物を身近なところで済ませるはずです。つまり、当店をご利用されているお客様は、アーサー様が商品を独占することによって不便さを覚えます。そして、伯爵様が当店を傘下に置いていると広まれば……」


「……我がランドルフ家に悪い印象を与えかねない、か……」


 なるほど。あなたはアーサー・ランドルフというのね。由緒ありそうなお名前。けれど、ナチュラルな素行不良は悪い印象しか与えませんよ。ケネット家の皆様の態度こそ、あなたを映す鏡なのです。身嗜みをどれだけ整えていたって、他人という鏡はあなたの本質をごまかしません。業績が芳しくなかった頃を思い出して、少しだけ吐き気がした。


 アーサーは黙り込む。私の意図に気付ける程度の知性はあるようだ。ただの放蕩息子ではないらしい。きちんとランドルフ家にとってデメリットであると考えられるならば、まだ救いようはあるように思えた。うちの上司なんて自分を満たすことしか考えていなかったし、なんならお局様との不倫デートを経費で落としていたとか噂されていた。奴に比べれば、この横暴極まりない伯爵子息は随分まともな人間に見える。


 やがてアーサーはため息を一つ漏らした。頭が冷えたか? いまなら感情ではなく理性で動けるはずだ。ここぞとばかりに言い放つ。


「ご理解いただけたようですので、本題に移ります。このままアーサー様のお戯れでケネット商店をご利用されますと、ケネット商店、ならびに近隣住民――そしてなによりランドルフ家に一切メリットが発生しません。ですので、一ヵ月だけで構いません。商品の独占を中止し、様子を見ていただけないでしょうか? いま以上に収益を伸ばすと約束します」


「……もし、それが叶わなければ?」


「私の身を差し出します。使用人でも奴隷でも、アーサー様のお望みの形でお仕えさせていただきます」


「ちょっと、リオ! そこまでしなくても……!」


 アレンくんが私の腕を強く引く。けれど私は動かない。これは駆け引きだ。眼前の少年は、心まで腐ってはいない。人間として、年相応の当たり前の価値観は持ち合わせている。目を見ればわかる。ただ自分の強さを誇示したいだけの上司とは違う。この少年の目には、かつて見た浅ましさは映っていなかった。


 アーサーは再び沈黙を喫する。そして、呆れたように深いため息を吐いた。


「……興が削がれた」


「交渉成立……でしょうか?」


「いいや、不成立だ。女、お前の体じゃ釣り合わない」


 下手したてに出てりゃあなんて言い草だ! 異世界デビューした私はそこそこ可愛いと思うぞ!? さすが天下の貴族様は女性を見る目が肥えていらっしゃいますねぇ! 美女なんて選り取り見取りなんでしょうねぇ!


 日本だろうが異世界だろうが、見下されるのは純粋に腹が立つ。ああ、許されるならば資料がたっぷり詰まった革の鞄で高慢な鼻を抉り取ってやりたい。なんなら苦み一六三パーセントくらいのお茶を“うっかり”飲ませてやりたい。


 煮え返るはらわたを必死に宥めていると、アーサーは「だが」と続けた。


「商品の独占は今日限りで止める」


「……え?」


 沸騰していた怒りが急に収まった。はらわたにドライアイスを放り込まれたような気分になる。条件を飲まず、けれどこちらの望みを叶える。彼の言動には合理性が感じられない。気紛れにしたってもう少し納得できるだろうに。なにを思って止めると言ったんだろう?


 踵を返すアーサー、静まり返る店内。直後――私の背中をバーバラさんが勢いよく叩いた。豪快な笑い声と共に。


「リオちゃん、あんたすごいじゃないのさ! なんだい、貴族相手に商談しようだなんて! よくやってくれたよ!」


「痛っ、痛いです! すごくなんてないですよっ! 不成立だったんですから……!」


「でも、うちの商品を守ってくれたのはリオちゃんだ。ああ、よかった……ありがとう、本当にありがとう」


 黙っていた旦那様もほっと胸を撫で下ろす。部外者が出しゃばる内容ではなかっただろうが、恩に報いる第一歩だと思えばいい。ここは私の職場なのだから、少しでも返していきたい。そう思っての行動が、結果的にこの店を救えたのなら何よりだ。


 お父さん、お母さん。私、異世界で最初の契約取っちゃいました。

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