第5話:異世界デビュー
アレンくんに手を引かれるまま帝都を歩く。人々の装いにも少しだけ慣れてきた。ただ、建物の無機質さというか、どことなく冷たい感じには時間がかかりそうだった。
――ところで、さっきからちらちら見える“これ”はなに?
気持ちが落ち着いてきたからか、視野が少し広くなった。のはいいのだが、視界の端に文字が見えている。見たことがない文字だし、じっくり読む暇もいまはない。後でもう少し詳しく見てみよう。きっと“データベース”の仕業だとは思う。
オンオフの切り替えくらい出来てほしいものだが、如何せん私自身に宿ったものだ。パソコンのように電源があるわけではない。取扱説明書でもあればいいのだが……。
「あ、見えてきた! あれだよ!」
アレンくんの指が差す方を見ると、一つの家屋。看板にはやはり見たことがない文字。きっと、ケネット商店とか書いてあるのだろう。
造りとしては一階部分が売り場になっているようで、二階の窓にはカーテンが見えた。三人家族、仲良く暮らしているのだと思う。初対面の人の家庭に住まわせてもらうなんて、日本にいたらあり得ない。異世界の価値観に慣れるのももう少し時間が必要そうだ。
「ただいまーっ! ちょっと相談あるんだけど! リオ、すぐ戻ってくるから待っててね!」
「は、はい……ご無理なさらず……」
どたどたと、忙しない足音と共に店内に戻るアレンくん。これで断られたら、潔く日銭を稼げる仕事でも見つければいい。ケセラセラ、社畜は逞しいのだ。
待っている間、こっそりと窓から店内を覗いてみる。ああ、なんていうか、コンビニだ……ちょっと安心した。見たところ、食品や日用品なんかが置いてある。見たことがないものも多く、不思議な感じがした。
あまり覗いていると不審者に思われかねない。そっと窓から離れ、店舗の近くに設置されたベンチに腰を下ろす。ふと空を見上げると、気づかなかった。分厚い雲に覆われている。雨が降り出しそうかと言われるとそうでもない。ただただ、空が重くて暗いと感じた。
歩いてきた方を見れば、至る所に大きな煙突。異世界とは言うが、科学の方が発達しているのだろうか? むしろ、蒸気機関のようなもの? なんにせよ、少年誌に載っていそうなキラキラした世界観ではなさそうだった。
――ここでアイドルをプロデュースしたら、世界が明るくなったりするのかな。
プロデュースもマネジメントも素人の私がそんなことできるはずがない。けれど、それは現在の話。いずれは世界に名を響かせるような最高のスターを輩出してやる。そう決意してここに来たのだ。後悔しない人生を送るために、私にできることを考えよう。
そのとき、扉が開いた。アレンくんが満面の笑みで駆け寄ってくる。わあ、犬みたい。年上の女性に好かれそう。私は好きだよ、その笑顔。
「オッケーだって! よかったね!」
「ほ、本当ですか……? よかった……これで体を売らずに済む……」
「なに言ってるの……? ほら、いいからおいでよ!」
「わ、わっ……! 引っ張らなくていいです!」
ご満悦なアレンくんに連れられて店内へ。カウンターの奥に階段があり、そこから居住スペースに入るのだろう。思えば、先程店内を覗いたときに彼のご両親の姿がなかったのはなぜだろう。休憩時間? でなければアレンくんも外出できないか。
疑問も晴れないままに二階へ上がると、ダンディな旦那様と気の良さそうな奥様がいた。旦那様は金色の短髪、奥様は赤のロングヘア―だった。アレンくんの髪は奥様の血が色濃く出たようだ。
ご両親は私を見てか、目を丸くしている。奇妙な沈黙に耐えられず、ひとまずは自己紹介。挨拶は社会人の基本です。
「あ、えっと……初めまして、旅人のリオと申します。この度はアレンくんのご紹介で、こちらに住み込みで働かせていただく……ことになりまし、た……? よろしくお願い致します」
相変わらず、ぽかんと口を開けたまま。なにかまずいことをしただろうか。こういうときは謝罪、頭を下げるべきか。土下座は入社二年目で既に完成されていたが、果たしてこの世界の住人に通用するのか否か。
迷っていても仕方がない。手を付こうと屈んだ矢先、奥様が豪快に笑った。
「アレン、あんたやるじゃないか! こんな可愛い子連れてくるなんてねぇ!」
奥様は大股で歩み寄り、アレンくんの肩を叩く。結構大きな音がしたので、ちょっとだけ心配になった。男の子ってお母さんからこんなスキンシップ取られて育つの? 逞しく生きてるんだね。
「痛っ、痛いって! やるってなに!? 困ってる人がいたら助けるのが普通だろ!?」
「そりゃそうだけどねぇ、いやいやあたしは安心したよ! あっはっはっ!」
「母さん、お客さんが怖がっているから……」
旦那様が私を気にかけてくれる。奥様はうっかりしていた、と言うようにご自身の頭を軽く小突いた。
「ごめんね、お嬢ちゃん! リオちゃんって言ったっけ? アレンから話は聞いてるよ、住み込みで手伝ってくれるんだって?」
「あ、はい……その……ここに来るまでに持ち合わせが底をついてしまいまして……どこかで日銭を稼ごうと思っていたのですが、アレンくんのご厚意でお世話になることとなりました。よろしくお願い致します」
持ち合わせは確認しないとならなかったのだが、嘘も方便。罪悪感が腹の底でぐるぐるしているが、背に腹は代えられない。十分な資金が手元にあるなら、すぐにここを離れればいいだけだ。
それにしても、なんというか、母ちゃん! って感じのお方だ。初対面なのに、どこか懐かしく思う。うちの親はこんな感じではなかったが、安心感? のようなものを感じた。
それはそうと、お父さん、お母さん。親不孝でごめんなさい。親の死に目に立ち会えないのは最大の親不孝だと思いますが、どうかお許しください。前途多難な第二の人生だけど、こっちで幸せに暮らせるように頑張ります。
奥様はまた驚いたような顔を見せる。私、なにかおかしなことを言っただろうか? 最低限、失礼のないように振舞ったつもりだったが……。
「なんだい、若いのにしっかりした言葉を話すじゃないか。アレンとそう変わらないくらいなのにねぇ」
「へ……?」
アレンくんとそう変わらない? 私はアラサー。なのに、十代のアレンくんと? いや、日本人は童顔だと聞くし、そう考えれば納得ではあるか……? あ、でも転生か。つまり私はこの世界で赤ちゃんとして生まれて、すくすく育ってきたんだ。いま何歳かはわからないけど、たぶん若いんだろう。アラサーなのは気持ちだけだ。
奥様は不意に私の髪の毛に指を通した。はー、と感心したような息を漏らしながら。
「髪もこんなに綺麗なピンクだもんねぇ。手入れもしっかりしてそうだし、旅人なのに身綺麗にしてるのがわかるよ」
「はい? ピンク?」
生前、髪を染めたことなど一度もなかった。就職してからは営業ということもあり特に身嗜みに気を使うよう言われていたからだ。生涯黒髪で通してきた。この世界は地球と色の概念が異なるのだろうか? 困惑する私。そんな私を見て奥様は不思議そうな顔をした。
「どうしたんだい、そんな顔して」
「あ、えっと……洗面所、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「鏡でも見るのかい? ほら、あっちにあるよ」
奥様の指が示す先には、私を映す姿見があった。そう――この世界の“リオ”が、そこにいた。
後ろで結える長さの髪は、誰の目にも明らかなピンク色。瞳も青空を流し込んだような色だし、なにより顔つきだ。生前、最後に見た私の顔はひどくくたびれていて、実年齢よりも老けて見えていた。ところがいまはどうだ。血色はいいし、肌はぷるぷる、潤いが見えるほど若々しい肉体だった。記憶を取り戻したショックで気づかなかったが、ファンシーな衣装を着ている。なんだ、私もコスプレしてるんじゃん――っていうか、私可愛くない?
「えええええっ!?」
現実に耐えられず、絶叫。異世界だもんね、そうだよね! そりゃあ純正ジャパニーズの容姿じゃいられないよね! っていうかなんでこんな可愛らしい容姿になっている!? 凡庸で没個性な方が裏方に徹する上で都合がよかった気がするんですけど! 発注ミスですか!? 一般女性Aじゃなくて美少女の肉体届けちゃいましたって!? ふざけるな! 自意識過剰も甚だしいけどこれは目立つ! 私は目立たなくていいんだよ!
茫然自失とする私の肩をアレンくんが揺すった。意識が現実に引き戻される。そうだ、あの鏡に映る私が“この世界の私”なのだ。受け入れろ、この肉体を。両手で頬を叩き、切り替える。いちいち落ち込んでいる暇はない。どんな困難が立ちはだかろうと、ド根性で契約を取る。随分逞しくなったものだ。ため息を一つ。
「すみません、少々取り乱してしまいました」
「びっくりした……リオ、そんなに大きい声出せるんだね……?」
「だ、大丈夫ならいいんだけど……っていうか、リオちゃん。長旅にしては軽装だねぇ。着替えはあるのかい?」
そうだ。私……っていうか“この世界の私”は大した荷物を持っていなかった。鞄に収まる程度の軽装だ。いったい何処からここに辿り着いたのか。日記とかがあれば手掛かりが掴めそうなのだが……。
ここより前に滞在していた街の設定はしていないが、この国と他国の距離次第では不信感を抱かせかねない。適当にあしらうのが吉か。そう思った矢先、奥様はニヤリと笑った。
「あたしが作った服の出番かねぇ」
「つくった……?」
奥様はご機嫌に鼻歌を歌いながら奥の部屋へ向かった。疑問符を浮かべては間抜けな声でオウム返しの私、疑問を晴らしてくれたのは旦那様だった。
「母さんは昔、服飾の仕事をしていたんだ。だから何着か自分で作っちゃったんだよ」
「でも女の子の服ばっかり。オレが着れるのは一回も作ってくれたことないんだ、ひどいよね」
微かに唇を尖らせるアレンくん。拗ねているのだろうか。
可愛いなぁ。
ああ可愛いなぁ。
可愛いなぁ。
思わず一句読んでしまうくらいの可愛さだ。いつか仕立ててもらえるといいね。最高の笑顔を見せてくれるんだろうなぁ、見たい。なんなら写真撮りたい。この世界にカメラってないのかな、今度この街をうろついてみよう。写真という概念がある世界観なら、きっとカメラもあるはずだ。
少しして奥様が帰ってきた。その手には、コスプレ会場を闊歩していそうなファンシーな服が握られている。形状はゆったりとしたワンピースのようで、色は可愛らしい桃色を基調としながらところどころに模様が描かれている。うーん、ファンタジー。というより、この世界の普段着というイメージが湧いた。
この世界においては一般的なデザインなのだろう。きっとこの世界のティーンエイジャーが着る服だ。日本育ちのアラサーには少々気恥ずかしさがある。
「ほら、これ着てみな! リオちゃん可愛いから絶対合うよ!」
「こ、こんな可愛い服、私には……!」
「いいからいいから! ほれ、野郎は棚卸でもやってな!」
「母さん、オレたちの扱い雑じゃない……?」
「まあまあ、女性はいつまでも心が少女なんだよ。ほら、アレン。さっさと棚卸を終わらせようか」
「はーい……」
やれやれ、と哀愁を漂わせて売り場に降りるアレンくんと旦那様。なんだか申し訳ない気持ちになるが、もう逃げられない。覚悟を決めて、奥様の着せ替え人形になることにした。
お父さん、お母さん。私、異世界デビューしちゃいます。
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