第2話:霊魂案内所 不慮の事故課

「もしもし、もしもーし……」


 ぺち、ぺち、と。控えめに頬を叩く感触に気づいた。重たいまぶたをゆっくり開けると優しい光がお出迎え。照明……だろうか? 病院に運ばれた? いやいや、完全に死んでたよ。ここはどこ?


 状況を確認するために、瞬きで目を慣らす。ぼんやりとしていた視界が鮮明になっていった。私は机を挟んで男性と対面している。相手はスーツ、眼鏡をかけた気の弱そうな男性だった。私の意識が戻ったことに安堵したのか、胸を撫で下ろしている。


「よかった、目を覚ましていただけましたか。ああ、これで上司にどやされずに済む……」


「お疲れ様です。えっと、どちら様でしょうか……?」


 上司、という単語が出てきたということは、この人も企業勤め? なんだか少し同情する。面倒な上司には目をつけられたくないですよね、胸中お察しします。


 私の問いかけに、男性は慌てたように服を探る。名刺を探しているのだろう、やはり会社員のようだ。お勤めはどの会社だろう。日を改めてまた会いたい。菓子折り持参で、感謝を伝える必要がある。


 などと考えていると、男性は内ポケットから一枚の紙を差し出した。探していたのは案の定、名刺のようだ。


「申し遅れました。私、霊魂案内所、不慮の事故課のミチクサです。よろしくお願い致します」


「ご丁寧にどうも。私、#舞楽__まいらく__#株式会社、営業の#牧野理央__まきのりお__#と申します。よろしくお願い致します」


 なにはともあれ、社会人は挨拶が大切。私も名刺を取り出し、ミチクサと名乗った男性に渡す。名刺交換が済んだところで、辺りを見回す。なんとなく役所に似た構造に思える。幾つか窓口? のようなものがあり、そこではまた別な人が職員と話をしていた。事故現場でないことは確実。ミチクサさんは公務員なのだろうか。安泰ですね。


 ――そうだ、私は交通事故に遭ったのだ。


 思い返すと震えが止まらなくなりそうなので、撥ねられたという事実だけを認める。そしてミチクサさんの名刺を改めて見直す。霊魂案内所、不慮の事故課。なるほど、やはり私はこの世を去ってしまったらしい。この場においては、この世があの世か。状況を飲み込めていないのか、頭も上手く働いていないようだ。


 ぼんやりと虚空を眺めていると、ミチクサさんが話を切り出そうとしていた。きっと三途の川を渡る手続きについて、説明がしたいのだろう。セブンスビートのライブに行けないことが悔やまれる。いったいどうして信号無視なんて馬鹿なことをしてしまったのか、社会人として恥ずかしい。


「牧野様、あなたは不慮の事故により命を落としてしまったようで……お悔やみ申し上げます。僭越ながら、私が担当者としてあなたの魂を然るべき場所へ案内させていただきます。よろしいでしょうか?」


「はい、よろしくお願いします。さて、この後、私はどうすればよろしいでしょうか? 三途の川の手続きは私もこれが初めてで……ご教授いただければと思います」


「……サンズノカワ?」


 ミチクサさんはぽかんと、頭上に疑問符を浮かべた。この人、まさか死人の案内を生業としていながら、三途の川を知らない? それとも三途の川は管轄外なのだろうか。だとしたら、死後の魂はいったいどこへ導かれるというのか。私の常識とは少し異なるようだ。考えてみたら死後の手続きなんて現世に伝わるはずがない、当たり前である。ひとまずはミチクサの指示を待つとする。


「サンズノカワなる場所への案内はマニュアルにはございませんでしたが……申し訳ございません。不慮の事故課の者は強い後悔を持って亡くなってしまった魂を担当させていただいております。牧野様もそのようでしたので……」


「そうなんですよ! セブンスビートのファーストライブを前日に控えてたのに! なんで私は信号無視なんて……! 愚か、愚かとしか言いようがない! あーもう私の大馬鹿者! 死んでしまえ! もう死んでますね! あっはっはっはっは!」


 傍目にも強い後悔だと思われていたらしい。アイドルの追っかけを恥ずかしいと思ったことはないが、仲間内で話題に出るならともかく初対面の人にそこまで見透かされていると体が痒くなってくる。肉体は既に死んでいるのだろうが、なんとなく痒い。


「牧野様の経歴書を拝見させていただきましたが……高等学校卒業後、単身で上京したそうですね。勤め先はいわゆるブラック企業……八時出社の二十三時退社、帰りはいつも終電とのことですね。なんと言いましょうか、お疲れ様です」


「慣れましたよ、これでも十周年間近でしたから」


「あまり好ましくない慣れですね……それでは本題です。不慮の事故課は報われない魂を保護し、異なる世界で二度目の人生を送るための支援をさせていただいております」


「異なる世界?」


「ええ、地球とは異なる星です。人間以外にも多種多様な種族が生を営む世界ですよ」


 随分と空想的なセカンドライフを提示されている。アニメやゲームの中でしか知らないような世界。男の子ならば心が躍るのかもしれないが、生憎私はそうではない。少しばかり肩を落とすと、ミチクサさんは苦笑した。


「やはり女性と男性では反応が違いますね。男性ならば喜んで転生されるのですが……」


「申し訳ございませんが、私はアイドルの追っかけをやっていた身ですので……ファンタジー世界にあまり関心がないんですよね」


「謝ることではございませんよ。人には人の趣味嗜好、ですので……大変心苦しいのですが、牧野様をそちらにご案内させていただくのが私の仕事でして……」


 どこか後ろめたい様子のミチクサさん。なるほど、彼が私をその世界に案内するのは、言ってしまえばノルマ。達成できなければ上司にどやされてしまうだろう。同じ社会人――同じではないかもしれないが、労働者として気持ちは痛いほどわかる。


 しかし、アイドルのいない世界で再スタートを切ったとして。私は満足のいく人生を送れるのだろうか。ミチクサさんは救えても、私自身は救われない。どうしたものか。素直に頷けない自分がいた。


 渋る私に焦りだしたのか、ミチクサさんは「そうだ!」と上ずった声をあげた。


「アイドルのいる世界をご所望でしたら、ご自身の手でプロデュースしてみてはいかがでしょうか!?」


「……私が?」


「ええ! 牧野様が思い描く、理想のアイドルを、異世界で発掘するんです! あなたの欲求も満たせる、あわよくばファンがついて資金源にもなり得る! 生活に困らないとは思いますが、いかがでしょうか……!?」


 必死のミチクサさん。断るのも気が引けてきたが、落ち着いて考える。


 アイドルをプロデュース。私はプロデューサー。あるいはマネージャー。私が教育できる。私が見たいアイドルを育てられる。私にしか表現できないアイドル像を見つけられる。アイドルを、作り上げる――アイドルのいない退屈な世界に、私は“星”を生み出せる。


「――大有りですね?」


「そ、それでは……!」


「はい――私、異世界で最高のアイドルをプロデュースしてみせます!」


「やったあああああ! ありがとうございます、ありがとうございます!」


 私の手を掴み、頭を下げる。声は震えており、泣いているのだと理解した。懐かしいなあ、私も初めて契約取れた日は、なんだか嬉しくて泣けてきちゃった。環境が環境だったから、それ以外の理由で泣くことの方が遥かに多かったけど。


 お父さん、お母さん。私、プロデューサーになります。

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